なんでんかんでん 川原ひろし社長はコロナ直撃も悲壮感なし、アフターコロナの飲食店のあり方も語る

なんでんかんでん 川原ひろし社長はコロナ直撃も悲壮感なし、アフターコロナの飲食店のあり方も語る

なんでんかんでん悲壮感なし

なんでんかんでん 川原ひろし社長はコロナ直撃も悲壮感なし、アフターコロナの飲食店のあり方も語る

なんでんかんでんの川原ひろし社長(C)日刊ゲンダイ

コロナ禍を生き抜く飲食店経営者たち】

 なんでんかんでん 川原ひろし社長(57歳)

 ◇  ◇  ◇

「新型コロナの感染が拡大する直前の年末年始に、ヨーロッパで『なんでんかんでん』を開くため、ちょうどイギリス、ドイツ、ポーランドを視察していたんですよ」

 こう話すのは、1980年代後半、東京・環七で"とんこつブーム"を起こしたラーメン店「なんでんかんでん」の川原ひろし社長。かつて「マネーの虎」に出演したこともある業界きっての有名人だ。

 海外出店はコロナの影響で当然、白紙に。国内も20年2月に新規オープンした渋谷店がコロナ蔓延で6月に閉店。

「オープン直後は好調でしたが、3月から怪しい雰囲気になり、緊急事態宣言が出た4、5月は入居していたビルが閉鎖。たくさん入居していた居酒屋がみんな撤退するありさまです。その後やることがなくて。寝るのが好きなので、働きづめだった35年分寝ようと開き直りました」

■自粛中は料理研究に励む

 創業から2012年11月まで営業していた世田谷・羽根木本店から、6年の歳月を経て復活した高円寺店も19年11月に閉店。さらに、昨年再開したばかりの渋谷店がコロナ禍で閉店するはめに。

 現在、なんでんかんでんホールディングスでフランチャイズ本部を運営しているが、頻繁に行っていた講演やセミナーの依頼もガクッと減った。

「何回かオンラインでやりましたが、お客さんの反応がないので調子が出なくて。この1年、家に籠りっきりであまりにも暇なので、ペペロンチーノやバーニャカウダーといった料理を基本から勉強して、かなり料理が好きになりましたね。こんな生活を送っていると、ますます店をやりたい気持ちが強くなって、なんでんかんでんを再始動させるとともに、ラーメン以外のメニューにもチャレンジしたいと意欲が湧いているところです」

 フランチャイズでなんでんかんでんの開業を希望する経営者の相談にも乗っているという。自身も大変な状況に置かれているが、楽天的な性格のおかげか悲壮感が全く漂っていない。

■半額になった惣菜で晩御飯もまたいい

「もともとぜいたくをしないので、稼いでいた時も車は動けばいいし、食べ物もなんでもいいというタイプ。夜たまに練馬の西友にいって半額になったお惣菜を買って食べたりもしています。大変な時代になりましたが、いつ死ぬかわからない戦時中に比べれば、こんな平和な自粛はないですよ。こもって好きなものが食べられるんですから、これが我慢できないなんて平和ボケだと思いますね」

 多くの店が苦境にあえぐ飲食業界だが、アフターコロナを楽観視している。

「今の状況を見ていると、オーナーが店に出ていたりと、家族経営の店のほうがダメージが少ない。この状況は当分続くと思います。大型店舗の居酒屋などを中心に、撤退で従業員が首を切られたりしていますが、一度止めると再開したときに人集めが難しくなるはずです。たとえ集められても料理やレジ業務を覚えるまでに苦労するので、今生き残っているところはライバルが少なくなった分、アフターコロナでだいぶ楽になるのではないでしょうか」

 しかし、生き残っただけでは繁盛店にはなれないと川原社長は断言する。

「今、日本全国のさまざまなお店に呼ばれていて、緊急事態宣言前は接客や経営のアドバイスをしたり、お客さんと一緒に飲んだりしていました。昔から行く先々の店の様子をよく観察していますが、繁盛店には法則があります。味や清潔さも大事ですが、総じてお客さんとのコミュニケーションを大事にしているところは、味が普通でもなぜか繁盛しているところが多いものです」

■携帯電話の忘れ物を届けるサービス精神

 お客さんとのコミュニケーションを含め、人から見たら過剰なサービスをしてきたことで、なんでんかんでんは一世風靡をしたと話す。

「店に携帯電話を忘れる人が必ずいて、閉店後に電話がかかってくるのですが、翌朝、場所がどこであれ、自分で電車に乗って届けるようにしていました。新潟や静岡にも行きましたね。なぜそこまでやったかというと、そうした積み重ねが信頼を作ることがわかっていたからです」

 こうしたサービスは、何も接客業だけに求められているものではなく、どんな仕事にも通じると。

「接客セミナーをやると、歯科医はもとより営業マンもそうした意識がない人が思いのほか多くて。でも、みんなお客さんがいるから成り立っている訳です。お客さんとのコミュニケーションに意識を向けるだけで、状況は大きく変わると僕は思っています。接客業というと飲食店だけだと思われがちですが、人とかかわるほぼすべての仕事は接客業なんです」

 こうした商人道は、20代でなんでんかんでんを創業したときにすでに身についていたという。こうした考え方は博多明太子の元祖、ふくや創業者の大叔父、川原俊夫氏から影響を受けているのではと話す。

「高校時代に通っていた学校で先生に明太子を売り歩いたりして手伝っていました。今考えると、大叔父は欲がない人で、自分が発明した明太子の製法も特許を取らず聞かれるがままに作り方を教えていました。なぜかと聞いたら、明太子を博多の名物にしたいからと。ある程度会社の規模が大きくなった時に、大叔父の子供たちが節税対策したらと話したら、『橋も信号も税金できている。なのに、なんで税金を安くしようと考えるのか』と大叔父に叱られたといいます。利他の人でしたね。僕だったらきっちり税金対策していたと思います笑」

▽川原ひろし 福岡市生まれ。高校卒業後、上京。芸能活動を経て、とんこつラーメン店「なんでんかんでん」を開業し、繁盛店として有名に。

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