専業主婦から経営者に転身 東横イン黒田麻衣子社長の覚悟

専業主婦から経営者に転身 東横イン黒田麻衣子社長の覚悟

2006年当時の父・西田憲正元会長(C)日刊ゲンダイ

【企業深層研究】東横イン(下)

 東横イン社長の黒田麻衣子は女性経営者に与えられる数々の賞を総なめにした。「JAPAN WOMAN AWARD 2016」のリーダー輩出部門のグランプリを受賞。「エイボン女性年度賞2017」の教育賞、2020年1月には「第40回毎日経済人賞」を受賞した。ホテルの支配人の97%が女性で、女性の活躍の場を積極的につくったことが評価された。

 社長になる前の黒田は専業主婦だった。聖心女子大学卒業。教師を志し、立教大学大学院で19世紀のドイツ史学を専攻。母校の高校で非常勤講師をしたが先生に向いてないと分かった。

 02年、父・西田憲正が経営する東横インに入った。入社した時点で婚約していたので、子供を産むまでの“こしかけ”のつもりだった。結婚、出産のため05年に退社。社会人経験は唯一、これだけ。なぜ、経営者になるという無謀な決意をしたのか。それは東横インが開業以来、最大の危機に追い込まれていたからである。

■バブル崩壊でホテル業に専念

 東横インは1986年2月、東京・蒲田に第1号店をオープンした。西田は電気工事会社の2代目。先代が急逝したため32歳の若さで社長に就任した。副業として始めたのがビジネスホテルだった。バブル崩壊で所有していたビルをすべて失ったがホテルだけは残った。土地と建物をオーナーから借りて、ホテルを運営する“店子方式”でやっていたことが幸いした。これ以後はホテル業に専念する。

 コンセプトは「駅前旅館の鉄筋版」。駅前や空港前に低価格なビジネスホテルを展開。90年後半から2000年代にかけて急成長を遂げる。「ビジネスホテル業界の風雲児」と呼ばれた西田は、得意の絶頂から奈落の底に突き落とされる。06年、障害者用駐車場を客室に違法に改造したことや建物の容積率の違反が発覚。西田は社長を辞任し会長に退く。その後の社長は西田の友人たちがピンチヒッターを務めた。

 さらに08年、東横イン松江駅前の地下から硫化水素が発生。建築廃棄物の違法投棄を指示したとして西田は逮捕され、懲役2年4月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。この事件で西田は会長を引責辞任した。

 西田逮捕の知らせを黒田はドイツで聞いた。黒田は夫の仕事の都合で、2人の娘とドイツで暮らす専業主婦だった。すぐ日本へ一時帰国。テレビ画面に映し出される父の姿を見て、「私が会社を守らなきゃ」と本能的に思ったのだという。父の逮捕から2カ月後の08年12月、黒田は日本に戻り、東横インの副社長に就任した。

 08、09年は事件の影響に、リーマン・ショックが重なり年間平均の客室稼働率は64%まで落ちた。当然、金融機関との関係も悪化する。10年3月、月末の支払いを乗り切るため、各店舗から釣り銭をかき集めたほか、クレジットカードではなく現金で支払った客には、次回宿泊時に利用できる500円の無料券を渡すことにした。これによって、現金がショートする黒字倒産を、なんとか回避した。

 黒田が幹部の信頼を勝ち取る出来事があった。金融機関への説明会でのこと。少しでも利益が出ると、返済に回すよう要求する金融機関に対して、いすから立ち上がった黒田が、たんかを切った。

「震災後、被災地の店舗の支配人や社員たちは、一人二役、三役で頑張っています。予定を超えた利益は、施設の修繕などに使わせていただきます」

 肝が据わったリーダーとして認められた瞬間だ。社内の結束力が高まると客室稼働率も回復。12年6月、黒田は社長に就任した。

■女性支配人を積極活用

 現場力を重視する黒田は支配人に女性を起用する。しかも、ホテルに勤務した経験のない人しか雇わない。先入観があると発想が硬直的になる。子供が中学生などになって育児が一段落した人を採用することが多い。

 決算公告によると19年3月期の売上高は905億円、当期利益95億円。利益剰余金771億円、自己資本比率50・7%の堂々たる高収益企業である。父の西田憲正は一切、経営の表舞台には出ないが、関連会社の代表取締役を務め、東横イングループのオーナーとして健在だ。西田憲正・黒田麻衣子の親娘は、未曽有のコロナ危機をどう乗り越えるのか。 =敬称略

(有森隆/ジャーナリスト)

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