SBI HDが最大のライバル野村HDと手を組んだ思惑とは?

SBI HDが最大のライバル野村HDと手を組んだ思惑とは?

口座数で証券界のガリバーを抜いた(C)日刊ゲンダイ

【企業深層研究】SBIホールディングス(下)

 SBIホールディングス(HD)が好業績に沸いている。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で株式相場は大きく上下に振れたが、傘下のSBI証券では個人投資家の口座の開設が急増し、口座数で野村証券を上回った。

 野村は全国に幅広く顧客基盤を持ち、日本最大の口座数を誇ることから「証券業界のガリバー」と呼ばれてきた。その野村をネット証券の雄、SBI証券が抜き去った。

 昨年6月末、SBI証券とSBIネオモバイル証券の合計の口座数が570万口座となり、野村HD傘下の野村証券(532万口座)を上回り、ナンバーワンとなった。

 老舗の大手証券が新興のネット証券に敗れたわけで、2020年の隠れた大ニュースである。

 SBI証券とSBIネオモバイル証券の月間平均の新規口座開設数はコロナ前に比べて2倍以上の伸びとなり、9月末には595万口座に達した。

 10月には中堅のライブスター証券を買収。社長の北尾吉孝は決算説明会で「総合力を生かして収益力を高める」と手数料収入に頼らない経営を目指す方針を明確にした。

 野村に対してライバル心をむき出しにしていた北尾が野村に急接近したことが話題となった。7月、ブロックチェーン(分散型台帳)技術を活用したデジタル証券分野で両社は提携した。SBIが野村系のBOOSTRY(東京・千代田区)の株式を取得する。

 BOOSTRYは野村グループの戦略子会社である。デジタル化された権利の発行と取引を担うプラットフォームシステム「ibet」を開発している。出資比率は野村HD56%、野村総合研究所34%、SBIが10%。世界標準となる技術を握りたいとの思惑がある。

■北尾社長とソフトバンク孫氏の関係は?

 この20年、野村とSBIの関係は、決して良好とはいえなかった。北尾は野村証券時代にソフトバンクの新規株式公開(IPO)を担当した縁で孫正義に引き抜かれて野村を飛び出した。

 ソフトバンクは1994年7月に株式を店頭公開し、野村証券が主幹事証券となった。事業法人三部長をしていた北尾は、この時、孫にスカウトされた。

 北尾はなぜソフトバンクに転職したのか。後年、こう語っている。

〈私の生き方は、“任天・任運”、つまり自分の人生における進路は運に任せ、天の導きに任せることにしています。転職についても、私が野村證券を離れる95年に孫正義さんから「1分時間をください」と言われ、「北尾さんが来てくれたら、ソフトバンクは飛躍できるのです」と直々に話があったことがきっかけでした。こちらから選んだわけではありません〉(「ダイヤモンドオンライン」2011年10月14日付)

 95年、北尾はソフトバンクの常務取締役に就任した。ウィンドウズ95が発売された年で、日本におけるインターネット元年であった。北尾はCFO(最高財務責任者)として合計で4800億円を調達した。店頭公開したばかりの新興企業の資金調達額としては空前絶後であった。

 この時、神風が吹いた。世界中でインターネット旋風が吹き荒れ、孫はITバブルの寵児となった。資金調達のプロ、北尾を軍師に招いたことで孫は成功を引き寄せたのだ。

 だが、禍福はあざなえる縄のごとし、という。ITバブル崩壊後、北尾は孫とたもとを分かつ。そしてSBIHDという一国一城のあるじとなった。

 こんなこともあった。05年、ライブドアが仕掛けたニッポン放送買収騒動の際、北尾はニッポン放送側の「ホワイトナイト」として、ライブドアの買収を阻止すべく登場した。北尾の知名度が一気に上がった。

 北尾はライブドア社長の堀江貴文を「株式市場の清冽な水を汚した」と糾弾した。ホリエモンには、この発言が「きれいごと」と映ったのだろう。

「自分が一番倫理観ねーくせに、論語だの哲学だの表向きのカッコつけばっか」。ホリエモンの北尾評は辛辣である。

 今や金融界の“重鎮”となった北尾だが、崇拝者ばかりではない。 =敬称略

(有森隆/ジャーナリスト)

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