資産管理会社「ききょう企画」を舞台に大塚家具株の争奪戦が【孤独な「家具や姫」大塚久美子の蹉跌】

資産管理会社「ききょう企画」を舞台に大塚家具株の争奪戦が【孤独な「家具や姫」大塚久美子の蹉跌】

総会前に始まっていた戦い(C)日刊ゲンダイ

【孤独な「家具や姫」大塚久美子の蹉跌】#15

 2015年3月に行われる大塚家具の株主総会を前に、大塚勝久氏と大塚久美子氏は大塚家の資産管理会社である「ききょう企画」が保有する189万株(約10%)の株式を巡って熾烈な戦いを展開していた。

 勝久氏が「ききょう企画」が保有する大塚家具の株式について返還するように求めれば、「ききょう企画」を実質的に支配していた久美子氏が勝久氏に株式を差し押さえられないように工作する――そんな“イタチごっこ”を展開していたのである。

「ききょう企画」は1985年に、勝久氏が保有する大塚家具の株式59万2000株を取得する格好で設立された会社だ。代表取締役は長男の勝之氏で、50%の株式を取得していた。

 このことからも、勝久氏から勝之氏への事業承継を円滑に進める目的でつくられた会社であったと推測される。

 残りの株式は、久美子氏、舞子氏、智子氏、雅之氏のきょうだい4人と母親の千代子氏で均等に10%ずつ保有し、きょうだい4人は取締役に、千代子氏は監査役に就任していた。これは家族全員が株式の配当で生活できるようにするための仕組みでもあったという。

 ところが勝之氏が2008年に大塚家具を退社し後継者を降りたことから、きょうだい5人で協議の上、勝之氏が保有していた株式を含めて90%を18%ずつ均等に分割することになった。この時点で勝之氏が事業承継の受け皿となる使命は終わっている。

 その後、「ききょう企画」は08年3月28日に、勝久氏が所有していた大塚家具の株式130万株を譲り受け、大塚家具の第2位株主となった。

 この時、譲受代金に充てる目的で同年4月4日に総額15億円の社債を発行、勝久氏がこれを買い取っている。社債の償還期限は13年4月4日だった。

 その後、勝久氏は大塚家具社長の座を久美子氏に譲り、父娘の関係がギクシャクする中、社債は償還期限を迎える。だが、これが履行されることはなく、勝久氏は13年10月28日に訴訟を提起したのだ。

 久美子氏は公判で「家族会議の中で話した」「平成19年(07年)11月ごろに初めて開き、その後も何度か会議をした」とした上で、株式を取得した目的や社債の償還について語ったが、言い分は勝久氏と食い違った。

 久美子氏は「ききょう企画」が大塚家具の株式を取得したのは「相続対策と安定株主政策だった」と受け止めていて、社債の償還期限は自動延長できると考えていたという。

 一方で勝久氏は、株の移動は株式配当などにより子供たちへの経済支援を行うためのもので、償還期限後には返済してもらうことを前提にしていたと強調した。

 この争いが複雑なのは、勝久氏が訴訟を提起する3日前の13年10月25日に、「ききょう企画」が久美子氏に対して大塚家具の株式189万2000株を譲渡担保として提供していたことだ。

 これが本当であれば、久美子氏は「ききょう企画」の債権者となるが、勝久氏側は久美子氏による「ききょう企画」への貸し付けや借り入れは「実体もない契約であり、無効だ」と主張。15年2月25日には、株式の名義を久美子氏から「ききょう企画」に戻すよう要求している。

■10%を保有する第2位株主

 当時、すでに久美子氏は勝久氏側の千代子氏と勝之氏を「ききょう企画」の取締役から解任(14年1月)し、追い出していた。同年7月には大塚家具の社長を解職されるが、大塚家具の第2位株主である「ききょう企画」は、久美子氏にとって大塚家具での復権と地位確立の牙城となっていたのだ。

 勝久氏が提起した訴訟の判決は、天下分け目の株主総会に間に合わず、「ききょう企画」の存在は勝久氏陣営を奈落の底に陥れることになる。(つづく)

(ジャーナリスト・松崎隆司)

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