1964年の渋谷が3Dで甦る!? ノスタルジーとVRが融合したプロジェクト始動

1964年の渋谷が3Dで甦る!? ノスタルジーとVRが融合したプロジェクト始動

画像提供:マイナビニュース

●東京各地区が魅力を訴求
東京の再開発が加速している。品川・田町地区、大手町地区、日本橋地区、上野・御徒町地区……以前取材させていただいただけでも、結構な数に上る。そして、やはり大がかりな再開発が進められている地区がある。東京の顔のひとつ、渋谷だ。

これほど再開発が加速している背景には、当然のことながら2020年の東京オリンピックがある。この一大イベントに間に合わそうと、各デベロッパーは躍起になっている感じすら憶える。また、増え続ける訪日外国人をいかに取り込むかといった思惑が、ヒシヒシと伝わってくる。

変わってきたなと思ったのが、東京の各地区でローカル色を強めていること。数年前は「まずは東京へ!」と、オール東京で訪日外国人取り込みに動いていた気がするが、現在は「上野へ」「日本橋へ」「虎ノ門へ」と、各地区の特徴を前面に押し出し、観光客誘致を推進している。

○あのプロデューサーが仕掛け人!?

そうしたなか、一風変わった取り組みを始めた地区がある。若者のエネルギーが集積する渋谷だ。

何がユニークなのかというと、昔の写真を集めてVRで渋谷の街を再現しようとしていること。しかも、現在の渋谷の姿ではない。1964年、つまり今から50年以上前の渋谷の姿を甦らせようとしているのだ。

この取り組みは「1964 SHIBUYA VR」プロジェクトと名づけられ、一般社団法人 1964 TOKYO VRという団体によるものだ。

そして、このプロジェクトの仕掛け人ともいえるのが、土屋敏男氏。バラエティ番組好きならピンとくるかもしれないが、日本テレビで人気だった「電波少年」シリーズのプロデューサーだ。

●新旧オリンピック時の東京を比較

土屋氏がなぜこのプロジェクトに関わることになったのか。「『鎌倉今昔写真』という企画がスタートだった。『カマコン』という運営団体が日本テレビと共同でこの企画を始めたことで、ほかの地域でも同様のことができるのではないかと思った」(土屋氏)。そこで白羽の矢が立ったのが渋谷だったというワケだ。

そして、なぜ1964年なのか……これはもう明白だ。1964年といえば、東京オリンピックが開催された年。2020年に東京オリンピックをひかえ、当時と2020年の東京の様子を比較できるというのがねらいだ。そこでこのプロジェクトが始動したというわけだ。

では、どのように当時の渋谷を再現するのか。前述したとおり、過去の写真を広く集め、それをスキャンしデジタル加工することで街並みを甦らせていく。そのためには1人でも多くの方に協力してもらい、写真を集めなくてはならないと土屋氏は話す。公式サイトに写真投稿機能を設けるほか、郵送での投稿も受け付けているそうだ。デジタルにあまり馴染みのない世代の方々も参加できる仕組みを作っている。

○異なる世代をつなぐ取り組みに!

ここに、もうひとつのねらいがある。写真をスキャンしデジタル加工するのは、デジタルハリウッドやバンタン高等学院の生徒だ。おそらく、昔の渋谷の写真を所持しているのは年配の方々だろう。そうした方々が、学生たちとコミュニケーションできる場にもなるはずだ。ある意味、世代をつなぐ取り組みともいえる。

そして、このプロジェクトに強力な援軍が現れた。ひとつは渋谷区。そもそも1964年の渋谷をVR化しようという取り組みだ。区として参加するのは当然だろう。渋谷区長の長谷部健氏は、「あの電波少年の土屋プロデューサーからの協力要請とあって、どんな無茶振りをされるのかドキドキでしたが、お話しをうかがって、区にとても有意義と感じました」と話す。そして早速、約400枚の写真を提供したそうだ。

そしてもうひとつの援軍が東京急行電鉄。取締役社長 野本弘文氏は、「渋谷は東急にとって、もっとも関わりのある場所。90年間おせわになった土地に恩返しができれば」と語る。そして、東急も約400枚の写真を提供した。

●沿線との関わりを深める東急電鉄
東急といえば、沿線との関わりを深めている。10月9日にも、東急池上線を全線無料にするという取り組みを行い、沿線地元への経済効果を波及させた。事前にこの取り組みを取材させていただいたが、「あまり目立った観光資源のない池上線に、無料だからといって人が集まるだろうか」と考えていた。ところがフタを開けてみれば、多くの観光客が訪れ、数多くのニュースで採り上げられていたほどだ。

○欽ちゃんもプロジェクトを応援

さらに援軍が現れた。タレントの欽ちゃんこと、萩本欽一氏だ。このプロジェクトは賛助会員を募って運営されるが、その第一号が萩本氏となった。萩本氏は渋谷に住んでいたことがあり、その後、浅草に移ったが、コント55号のルーツは渋谷にあったそうだ。いつもは、ギャラをもらってこうしたイベントに参加するが、今回は賛助金を払って参加したと、会場を笑わせた。

筆者は、最後に土屋氏と会話させていただいた。すると早速、「渋谷の写真、お持ちではないですか? あればぜひ提供してください」と頼まれた。記憶を紐解くと、確か数枚あったことを思い出した。だが、そもそも1964年ではなく1980年代に撮影したものだし、学生仲間と悪ふざけをして、ハチ公の噴水(今はない)に飛び込んだものだ。当時、そうしたノリが許される風潮があったとしても恥は恥。この写真をみつけたら、墓に持っていこうと心に決めた。
(並木秀一)

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