銀座テーラーグループ 代表取締役社長 鰐渕美恵子氏
「老舗だからこそ進化が必要」――高級紳士服店が持つ唯一無二の価値とは
2019/03/28
BRAND PRESS編集部

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、政財界トップや富裕層を数多く顧客に持つハンドメイドスーツの老舗、銀座テーラーの代表取締役社長 鰐渕美恵子氏。創業家に嫁ぎ、先代社長の妻として安寧な生活を送るはずが、さまざまな要因が重なり同社の営業職に就き、そして社長へ。波乱万丈な運命をたどる同氏の半生を振り返ります。

 

主婦としての日常がバブル崩壊を機に一変

学生時代は文学が好きで、特に三島由紀夫の作品をよく読んでいました。彼の作品は、西洋的な雰囲気がありながらも、日本が持つ“豪華”な美しさも内包されており、その魅力の虜になったんです。「キラキラしている」とでも言いましょうか。その世界観は今でも好きですね。

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わたしの人生に大きな影響を与えたのは、1970年の大阪万国博覧会です。わたしは各国のVIPをもてなすコンパニオンを務めていました。当時は外国人を見るのも珍しい時代。そんなときに、世界を身近に感じる貴重な経験をさせてもらいました。小さい窓から広い世界をのぞき込んでいるような、そんな感覚でしたね。

銀座テーラーの2代目社長 鰐渕正夫のもとに嫁いだのは、1973年のことです。その後、専業主婦で子育てと家事を中心にした生活を送っていました。そのころは日本中が好景気に沸き、主人の羽ぶりも良かったですね。このまま穏やかに過ごせるかと思いきや、時代はものすごいスピードで動いていきました。

銀座テーラーにとって最も深刻だったのは、1990年代初頭のバブル崩壊です。銀座の街も人通りが一気に少なくなり、高級スーツの需要も激減しました。銀座テーラーの売り上げもガタンと落ち、社員の離職も相次ぎました。

そうした中、ある社員の推薦で、わたしが銀座テーラーに入社することになります。1992年、わたしはすでに40代になっていました。「主婦業しかやってこなかった自分に何ができるのだろう」という不安もありましたが、「とにかく、この会社を立て直さないと」という思いのほうが強かったのを覚えています。

 

レディース用スーツへの進出を巡り社内は猛反発

新人のわたしが担当したのは、銀座テーラーがそれまで手がけていなかったレディース用スーツの商品開発と営業でした。というのも、それまでわたしと付き合いのあった方といえば、子育てを通して知り合った主婦友だちばかり。そんな彼女たちに気に入ってもらえる服を作り、購入していただく。そして、彼女たちの夫にも銀座テーラーのスーツをお勧めしてもらいたい。そんな思いがありました。

しかし、レディース用スーツの商品開発は、社内の猛反発にあいました。職人たちは、それまで紳士服一筋でやってきたことに誇りを持っていました。その誇りを捨ててまで、レディースに挑戦したくなかったのでしょう。しかし、たった1人の職人が賛同してくれたことで、レディースの商品を開発し、販売に漕ぎ着けることができたのです。わたしは、近しい人たちから必死に営業していき、月々のノルマを達成していきました。最初はレディースの取り扱いに反対していた社内の人たちも、その努力を徐々に認めてくれたようになりました。

その後、総支配人になり何とか切り盛りしていた矢先に、社長である夫の病が進行し、2000年にはわたしが3代目の社長に就任することになりました。まさか、数年前まで専業主婦だった自分が、1935年創業の老舗テーラーの社長になるなんて思ってもみませんでした。経営のことはまったくわからず、ただただ右往左往する毎日。いま思えば、相談できる相手をもっと作っておけばよかったなと思います。もし、若い経営者の方がこれを読んでいたら、会計や法律などそれぞれの専門領域で相談できる相手を見つけておくことをお勧めします。わたしにはそういう相手がいなかったので、ほんとうに多くの失敗を経験しました。

 

すぐには真似できない技術を後世に残すために

テーラーにとって職人は貴重な財産です。彼らの手から生み出される唯一無二の1着が、わたしたちの何よりの商品。しかし、わたしが社長に就任したとき、職人の高齢化が大きな課題となっていました。新たな職人を探そうと新聞に求人広告を出したところ、思いもよらず若い「パターンナー」が多く応募してきました。

パターンナーというのは、ファッションデザイナーが作成したデザインをもとに、パターン(型紙)におこす専門職です。特に大手ファッションメーカーのパターンナーというのは、ハンドメイドで生地からスーツを仕立てるのと異なり、自分でパターンを作成した服が機械で作られるという経験しかない人たちです。そういう若い人たちが、実際に自分の手で服を作ってみたいという強い気持ちを持って応募してくれました。

わたしはその状況を見て、服飾の「技術の習得」にニーズがあることに気づき、2006年に「日本テーラー技術学院」を設立しました。いまでは30代という若さでトップクラスの技術を持つ職人が育ち、そのうちの5人が銀座テーラーでその手腕を振るってくれています。もし、日本テーラー技術学院を設立していなかったら、技術は途絶えていたかもしれません。

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日本テーラー技術学院を設立した当初、「技術をオープンにすることに懸念はないのか」という声もありました。でも、考えてみてください。例えば、野球のイチロー選手のフォームを真似しても、彼のような偉大な成績は残せません。技術というのは、そんなに簡単に身に付くものではないのです。日本テーラー技術学院では、経験豊富な職人がマンツーマンで教えます。それでも、技術を習得するまでに5年ほどかかるものなんです。だからこそ、若いころから技術を学び、そこで育った職人こそが銀座テーラーの価値でもあるのです。

 

苦悩の経験が経営者としての地盤に

昨今、時代の流れは大きく変化しています。スーツも重厚感のあるものから、カジュアルに着こなせるものが求められるようになってきています。そうしたニーズにも対応できるように、2015年に「Ginza Tailor CLOTHO」という新ブランドを立ち上げました。このブランドでは、われわれが培ってきたハンドメイドのノウハウを活かしながら、若い人向けに手の届きやすい価格でオーダースーツを提供しています。例えば、スーツにTシャツやスニーカーを組み合わせるような方がターゲットです。

ファッションのトレンドは時代によって変わります。われわれは長い歴史のある会社ですが、老舗だからこそ時代に合わせて“変革”していかなければいけません。Ginza Tailor CLOTHOもその変革の1つです。変わることから逃げていては、やがて時代に取り残されてしまいます。日本に数多くある老舗企業も、変わり続けてきたからこそ、今も存在できているんです。「変わらないから、老舗」ではありません。「変わり続けてきたからこそ、老舗」なんです。

変わることと同時に、時代の流れを追求し続けていくことも大事です。例えば、AIは今後わたしたちの生活に溶け込んでいくでしょう。だから、今のうちからAIをどのように活かせるかを考え始めています。しかし、職人の技術が取って代わられるとは思っていません。技術力がわれわれの唯一無二の価値であることは守り続ける。そのうえで、AIでどのように補完するのか。そういう発想が重要になってくるでしょう。

また、企業には“正直”であることがいままで以上に求められているように感じます。Ginza Tailor CLOTHOはオーダースーツではありますが、生産は機械で行っています。そのため、お手ごろな価格で提供できるのです。しかし、その過程にはハンドメイドのノウハウが詰まっており、品質には自信を持っています。お客様にはその事実をきちんと伝えたうえで、購入していただいています。

経営者になって19年が経過しました。最初は何の知識もなく苦悩する日々が続きましたが、いま思えば、その経験が強力な地盤になっています。時代の流れを追求し、変革を恐れずに向かうべき方向を指し示すこと。失敗ばかりしてきたわたしですが、だからこそ物事を見極める力はついてきたと思っています。これからも銀座テーラーの価値を失わず、時代の流れに取り残されないよう、正しい方向を指し示していきたいですね。
■会社概要:株式会社銀座テーラーグループ
本社所在地:東京都中央区
創業:1935年
代表者:代表取締役社長 鰐渕美恵子
資本金:5,000万円
従業員:25名
事業概要:テーラー事業・教育事業・不動産事業・海外ビジネス支援事業

■プロフィール:鰐渕美恵子(ワニブチ・ミエコ)
1948年生まれ。70年甲南大学文学部英文科卒業後、大阪万国博覧会の国連館VIPコンパニオンとなる。73年銀座テーラー2代目社長と結婚し、専業主婦へ。95年銀座テーラー総支配人、2000年現職の3代目社長に就任。現在、関連事業として、テーラー技術者養成事業、メンズ美容事業なども幅広く展開。