SKYAH CEO/ガーナNGO法人 MY DREAM.org 共同代表 原ゆかり氏
「メイド・イン・アフリカ」を世界へ ガーナの村を支援する日本人女性の奮闘
2019/04/26
BRAND PRESS編集部

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、西アフリカ・ガーナ共和国の村を支援するガーナNGO法人MY DREAM.orgの共同代表を務めつつ、アフリカと日本の架け橋となる新会社SKYAHを2018年に立ち上げた原ゆかり氏。外務省勤務、米国留学と華々しい経歴を持つ同氏に、支援において真に必要なこととは何かを聞きました。

 

原点はテレビで見た“フィリピンのゴミ山”で暮らす少女

現在はアフリカと日本を軸に仕事をしていますが、その原点は、中学生のときにテレビで観たNHKのドキュメンタリー番組にあります。その番組は、フィリピンのスラム街でゴミを拾い集めて生活する少女を取り上げたもの。本来であれば、小学校に通うはずの年齢の少女が、ゴミ山に埋もれている金属やペットボトルなどを拾って、それをお金に替えることで家族の生計を支えていました。

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その映像を観たときに、ものすごい嫌悪感を覚えたんです。このフィリピンの少女が妹と同じぐらいの年齢だったこともあり、衝撃とともに「なぜ、こんなことになってるの…」という疑問を抱きました。それ以来、世界情勢に興味を持つようになりました。

「高校生になったら留学したい」と父に掛け合ってみたのですが、「自分が住んでいる日本のこともよく知らないのに、海外に行っても得られるものは少ない」と反対されてしまいました。あまりにも的を得ていたのでまったく反論もできず、ただ悔しかったですね。その代わり、「しっかり英語の勉強をすれば、海外の大学に進学してもいい」という交換条件を出され、その悔しさから高校時代は英語ばかり勉強していました。

大学時代に出会った「模擬国連」

留学に向けて準備を進めていたのですが、実際に進学したのは東京外国語大学でした。実は、留学に対して父は反対こそしなかったのですが、「海外の大学は9月入学だから、日本の大学に半年間だけ通ってみたら?」と提案されたんです。わたしもその意見に納得して東京外国語大学に入学しました。

そこで出会ったのが、“模擬国連”のサークルでした。模擬国連とは、学生たちが、国連に加盟する各国の大使役になり、実際の国連会議を模して、特定の国際問題に対してリサーチし、ディスカッションや交渉を行うというもの。模擬国連会議全米大会に日本代表として参加するなど、とても刺激的でした。自分の興味とも一致していたので、わざわざ海外の大学に留学する必要がなくなってしまったんです。いま思うと、留学していたら現在の仕事はしていなかったかもしれません。

模擬国連の活動を通して、各国の本部が抱える“事情”と、現場が抱える“課題”に大きなギャップがあることに気づきました。例えば、フィリピンのゴミ山の少女が直面するような問題を解決しようという共通の目的があるのに、双方の“事情”によって対策が進まず、お互いに文句を言い合っているような状況です。会社でも現場から「経営陣は何もわかっていない」というようなグチが出ることはよくありますよね。それと同じようなことです。

こうした本部と現場のギャップを埋めたいと思い、大学3年生のときに日本の“本部”にあたると考えた外務省を目指すことを決意しました。おそらく、人生の中でいちばん勉強したのは、そのときの国家公務員一種の試験勉強ですね。国家一種試験は幅広い法律知識が要求されるので、勉強することによって日本社会の仕組みを理解できたように思います。

米国留学中にガーナのNGOでインターンを経験

外務省に入省後、配属されたのは「国連政策課」でした。主な業務は、国連安全保障理事会の会議に日本が参加する際のリサーチやスピーチの準備など多岐にわたります。紛争などの世界情勢と直結しているので、毎日、緊張感を持って仕事に取り組んでいました。当時の忙しさは、現在とは比べものになりません。

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外務省には、2年間の霞が関勤務のあと、3年目に留学の機会が与えられる制度があります。わたしは米国コロンビア大学の公衆衛生大学院で国際保健(Global Health)を2年間学びました。国際保健を選択した理由は、外務省での仕事で抱いた“危機感”にあります。安保理会議で議題にあがるのは世界の悲惨な現状なのに、話し合いが行われるのは会議室。現場とは温度感がまったく異なります。この感覚にずっと浸っていたら、わたしも本部の感覚に染まってしまうという焦りが芽生えました。そこで、現場に寄り添ったことを学ぶために、国際保健を専攻したんです。

この大学院には、プログラムの一環として米国外で半年間インターンをする制度があり、2012年6月から12月までの半年間、アフリカのガーナ共和国に滞在しました。現地NGO(非政府組織)でのインターンでは、最初の3カ月間、ガーナ北部のボナイリ村で調査を行いました。実は、ここでの経験が大きなターニングポイントになりました。

当時は、いろいろな勉強もしていたので、「わたしにも何かができるはず」という自信がありました。しかし、いざボナイリ村で生活を始めると、英語は通じず、ごはんの作り方もわからなければ、入浴のしかたもわからない。そんな無力なわたしをホストファミリーや村の人々が温かく迎え入れてくれました。うれしい反面、もどかしさを感じましたね。村を支援するために来たのに、自分自身が村人たちから励まされていたからです。なんとか恩返ししたいという思いがさらに強くなりました。

村のみんなと「村に必要なものは何か」について話し合う中で出てきたのが、「幼稚園」という意見でした。もともと日中に子どもを預かるシステムはあったのですが、建物はなく、村にある大きな木の下に集まって教育活動が行われていました。しかし、ガーナには雨季があり、その時期は毎日のように雨が降ります。そのため、雨が降ると子どもを預かれないという問題がありました。そこで、園舎を建てることになりました。

費用を見積もったところ、日本円で30万円ほどかかることがわかりました。早速、寄付を募るためのWebページを立ち上げました。知人を介して口コミで広がり、最終的に30人のドナーから寄付をいただき、目標額に到達しました。無事に園舎を建て、わたしは大学院があるニューヨークに戻りました。この園舎の建設が、わたしが共同代表を務めるガーナNGO法人MY DREAM.orgの原点となります。

米国で大学院を卒業して外務省に戻ったあと、わたしは在ガーナ日本国大使館への配属希望を出しました。もともとガーナのポストは英国留学研修を終えた職員が就いてきたポストでしたが、わたしはガーナに行くことしか頭にありませんでした。必死に上司に嘆願し、人事部門の協力も得て、最終的に在ガーナ日本国大使館での勤務が実現しました。

現地に配属後もボナイリ村への支援を続け、平日はガーナの首都アクラで大使館勤務、週末は飛行機と車を乗り継いで村に行くという日々を過ごしました。

しかし、2年間の任期が終わったら、再び霞が関に戻らなければなりませんでした。そうなると、これまでのように頻繁にガーナに来ることができなくなってしまう。MY DREAM.orgの活動も中途半端に終わってしまう。そんな危機感を覚えたため、2015年に外務省を辞め、縁のあった総合商社のヨハネスブルグ支店で働くことになりました。

「メイド・イン・アフリカ」のブランド力向上を目指して

MY DREAM.orgでわたしたちが行っているのは、教育、保健・衛生分野の社会還元活動と、縫製、農業などの分野の収入向上活動を軸にした取り組みです。寄付ばかりでは自立を支援することにはなりません。

縫製の支援を始めたのは2014年のことです。当時ボナイリ村では、ほかの団体から技術支援を受けた女性たちが、手回し式ミシンを使って縫製する一定の技術は持っていました。しかし、品質にバラつきがあり、販路も開拓できていませんでした。

そこで、縫製スキルの向上を目指してチームを組成し、日本の物販イベントでコンテストを実施しました。だれの作品が最も売れたのかを競うシンプルなものです。上位3人には自分のブランドを立ち上げることができるという特典を用意しました。すると、全員の目の色が変わり、積極的に縫製スキルを学ぶようになりました。目標意識を持ってもらうことで、スキルの向上、そして人の育成につなげることができました。

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現在では、彼女たちの作品による売上は、MY DREAM.orgの重要な財源になっています。2018年にはミシンも一部を電動式に買い替えました。当初は、プロジェクト開始から10年後の2022年に寄付をゼロとする目標でしたが、予想よりも早いペースで完全な自立ができそうです。

わたしたちの目標は、ボナイリ村の収益向上を実現していくと同時に、その収益をもって教育や保健・衛生設備を整備して、子どもたちが将来の夢をかなえていける環境を作ることです。ボナイリ村の“持続可能性”を考えたとき、いつまでも自分のような外国人が居座っている状況は好ましくありません。最近は、意図的にボナイリ村に行く頻度を減らしているのですが、「もう来なくて大丈夫だよ」と村の人に言ってもらうことが最終目標ですね。

2017年には総合商社を退職し、自分で会社を立ち上げました。MY DREAM.orgで生産している布製品の輸入販売に加えて、アフリカ進出を目指す日本企業へコンサルティングサービスを提供しています。また、南アフリカ初の黒人女性醸造家が生み出したワイン「ASLINA(アスリナ)」やケニアティー「Kericho Gold」、ガーナ発のコスメブランド「Skin Gourmet」など、アフリカの造り手が誇りを持って手がける“真に良いもの”を日本に届けるサポートも開始しました。“メイド・イン・アフリカ”の価値を高めて、世界中の人が手に取ってくれる商品をさらに送り出したいですね。

 

■会社概要:株式会社SKYAH
本社所在地:東京都千代田区
設立:2018年(平成30年)5月
資本金:100万円
代表者:原ゆかり
事業内容:日本企業・団体のアフリカ事業支援、アフリカ企業・団体の日本事業支援、ガーナNGO法人MY DREAM.orgの収益事業、イベントの企画・運営・管理など

■プロフィール:原ゆかり(ハラ・ユカリ)
株式会社SKYAH CEO、ガーナNGO法人 MYDREAM.org共同代表。2009年に東京外国語大学を卒業後、外務省に入省。在職中にMYDREAM.orgを設立し、ガーナ共和国ボナイリ村の支援活動を開始。2015年に外務省を退職後、三井物産ヨハネスブルグ支店に勤務しながらNGO活動にも尽力し、2018年に独立。