経営の神様「松下幸之助」の赤裸々な実像──もうひとつの「家族」と「4人の子ども」

「経営の神様」こと、パナソニックの創業者・松下幸之助が亡くなって30年。和歌山に生まれ、没落した家名を再興するために9歳で大阪へ。丁稚奉公から身を起こし、22歳で独立。一代で世界有数の家電メーカーを築き上げた立志伝中の人物だが、逸話の数々はもはや「神話」の趣きすら漂う。随想集『道をひらく』は累計530万部。経営指南だけでなく、人生哲学、名言集などの「幸之助本」は現在でも毎年のように刊行されているのだが……。

 幸之助の名言として流布している理念のひとつに、「水道哲学」がある。昭和7年5月5日、第1回創業記念式で全社員を前にして語られた。

「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供することである」

 そうすれば人生に幸福をもたらし、「この世に楽土を建設することができる」と幸之助は続ける。崇高な志だが、ジャーナリスト・岩瀬達哉氏の評伝『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』によれば、幸之助は「神様」とは程遠い顔も持っていた(以下、〈〉内引用は同書)。証言するのは当時小学生だった、幸之助の甥・井植敏(さとし)氏(元・三洋電機社長)。その日、幸之助はひとり自室で机に向い、しきりに筆を動かしていたという。


■一心不乱に金、金、金……


〈金という字を清書してるんですわ。僕に気づくこともなく、一心不乱に金、金、金……と書き続けていた。あれは、子供心に強烈な印象として残り、その後も消えることはなかったね〉

 昭和14年、前年に公布された「国家総動員法」により、軍需産業へ加担し始めた時期だった。一方で、この同じ頃、幸之助は「経営といひ商売といひ、これ皆公事にして私事にあらず」に始まる「3つの心得」を社員に通達している。幸之助の表の顔と裏の顔…、というよりも、どちらも人間・松下幸之助の真の姿だったのだろう。

「共存共栄」は幸之助が企業理念とした思想だ。幸之助の署名入りの色紙を配られた町のナショナル・ショップは、それを店頭に飾っていた。「皆で、ともに栄える」、一見、現場思いの情に厚い経営トップのようだが、もちろんそうではない。言うまでもなく幸之助は「ナショナル王国」にあって絶対だった。意に沿わない者への叱責は、執拗を極めた。

〈「…お前さん、偉ろうなったんか。お前、大将か。ちがうやろ。大将、俺や。俺になぜ、報告せんのか」
 幸之助は石炭ストーブを火箸(ひばし)でバンバン叩(たた)きながら、後藤(清一、後の三洋電機副社長)を罵倒(ばとう)し続けた。ただ、怒り疲れた幸之助が、後藤にもう帰っていいといった時、ちょっとした気遣いを見せるのを忘れなかった。
「待て、お前を怒っているうちに、この火箸まがってしまったやないか。これ、まっすぐにして帰れ。まっすぐに直した。するとね、おお、やっぱりお前は上手やな。まっすぐになったな――。これでころっと変わりますな。人間の気持ちがね」〉

 三洋電機は、松下電器の立ち上げから共に歩んできた幸之助の義弟、井植歳男(としお)が袂を分かちて設立した会社である。電気洗濯機のシェアを三洋電機に抜かれた際、幸之助は迸る怒りを部下にぶつけた。全国の営業所長と製造現場の責任者を集めた席上だった。「半年だけ待って欲しい。その間に、社長のご期待に沿うような洗濯機を作ってみせる」と弁明する責任者に幸之助はこう言い放ったのだ。

〈一応は、これでおさまるものと、誰もが思った矢先、幸之助はさらに語気を強めて言葉を継いだ。
「わかった。3カ月待とう。3カ月待って、君、洗濯機が某メーカーより優れた製品が出来なかった場合、君、どうするか。その時はひとつ、君の首をもらおうな。……君、首はな、血の出る首だよ。君、首くれるな」〉

 平成の御代になって4カ月が経とうという4月27日、松下幸之助は大阪・守口市にある「松下記念病院」にて、94歳で永眠した。松下家の執事として臨終に立ち会った高橋誠之助氏は、岩瀬氏の取材に対しこう証言している。

〈臨終の瞬間は、悟り済ましたといった状態とは程遠いものでした。死にたくない、もっと生きたい、と必死の思いが形相に表れていた。生きて、やり残した仕事をしたいという無言の叫びが聞こえるようでした〉


■幸之助のもうひとつの「家族」


 そして幸之助の死の直後、店頭に並んだ写真週刊誌「フォーカス」が波紋を呼ぶ。「『神様』だって人間だった」、誌面には幸之助の「世田谷夫人」、さらに「世田谷夫人」との間に出来た4人の実子のうち、3人の写真が掲載されていたのである。追うようにしてその3カ月後、一冊の書籍が発売された。経済小説家・清水一行の『秘密な事情』。設定や氏名は変えてあるが、幸之助の「もうひとつの家族」について、小説仕立てで描いていた。
 岩瀬書では、新製品の展示会場に「世田谷夫人」を迎えた日のことを、元社員が回想している。

〈ほれぼれするような絢爛(けんらん)たる衣装に身を包んだ世田谷夫人が、さっそうと会場に現れると、周りにいる人たちがさぁっーと自然に身を引いてしまう。そんな、あたりを払うような雰囲気があった〉
〈意識して、“幸之助夫人”として振る舞っているようにも見えた。やはり、むめの(注・幸之助の妻)さんへの対抗意識があったのでしょう〉

 昨年、パナソニックは創業100年を祝った。そして今年2月、幸之助の孫・正幸氏(73)が、6月をもってパナソニックの取締役副会長を退任すると発表された。この人事により、同社経営陣から幸之助の血は完全に断たれることとなる。

デイリー新潮編集部

2019年6月7日 掲載

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