UMS主義者、かく語りき――衣のユニクロ、住の無印良品、食のサイゼリヤ

UMS主義者、かく語りき――衣のユニクロ、住の無印良品、食のサイゼリヤ

©iStock.com

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 そのときの世の中の「カッコイイ」のど真ん中にあるものがスキではない。あるときから「スティーブ・ジョブズは神だ!」ということで、アップルが強烈なブランドとなった。みんながいっせいにiPhoneを使いだす。こうなるともういけません。もちろんジョブズ氏は稀代のイノベーターにして事業創造者として尊敬している。しかし、「これがクール!」という社会的コンセンサスができてしまうと、僕にとってはあまりクールでない。

 スターバックスでMacBookを開き、横にはiPhone、耳にはAirPod、腕にはApple Watch。ま、スキな人にとってはそれが「ライフスタイル」ということなのだが、僕は当面アップル製品だけは使わないようにしている。社会的にバランスをとるためにも、その方がイイ。

■アップル製品を生活から排除する

 電子機器でいえば、いま最高にクールなブランドはソニーだ(あくまでも僕の中で)。iPhoneよりも断然エクスペリア。タブレットもiPadではなくエクスペリア。仕事場のPCはThinkPad。持ち歩きのPCはLet’s note。

 アップルのイノベーションに敬意を表して、さすがに携帯用音楽端末だけはクラシックなiPodをしばらく使っていた。ところが、 音楽を聴くのが好きな僕にしてみれば、iPodでは音質が物足りない(とくに付属のイヤホンは論外の音質なので、すぐにシュアーのものに替えた)。そのうちAstell&Kernというイイ音がするのを見つけたので、そちらに買い換えた。この時点でめでたく私物からのアップル製品の一掃に成功した。以来アップルとは取引はない。

 若い人はイメージしにくいだろうが、かつてはマイクロソフトがポップでヒップだった時代というものがあった。Windows95の発売日には販売店に長蛇の列ができたものだ。当時のアップルはマイクロソフトにボコボコにやられ、瀕死の状況。当然のことながら僕は極力マイクロソフト製品を排除し、不便だったMacを断固として使っていた。

 時は流れ、今となってはマイクロソフトというと筋金入りのおっさんというか、もはやB to Bの質実剛健な会社である。なんのためらいもなくウィンドウズやオフィスを使っている。いやー、ウィンドウズってイイですね。

 服にしても、ブランド物をすっかり買わなくなった。それでも若い頃はラルフローレンがスキだったし、もう少しハイブランドでいえば、90年代、30歳前後の頃はイキがってアルマーニのスーツを買ったこともある。いまにして思えば自分でも信じられない。

 このところの僕は衣食住の基本的消費に関してはUMS主義者である。すなわち、衣のユニクロ(U)、住の無印良品(M)、食のサイゼリヤ(S)だ。僕はこの3つを愛してやまない。GAFA(IT時代のプラットフォーマーとして君臨しているグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンのこと)もスゴイが、UMSも偉い。

■衣のU

 以前この連載で「GINZA SIX」のオープン前の内覧会に行ったという話をした( 「『お買い得』のメカニズム」 )。隅から隅までずずずいーっと高級ブランドのオンパレード。自分が完全にGINZA SIXのターゲット外であることを思い知らされた。

 というのは、そのときに僕が着用していたジャケット(ユニクロ製)、シャツ(ユニクロ製オックスフォードのボタンダウン。これ最高)、ジーンズ(ユニクロ製)、アンダーシャツ(ユニクロ製エアリズム。当然ですけど)、アンダーパンツ(ユニクロ製。当たり前ですけど)、靴下(ユニクロ製)、ベルト(ユニクロ製)、靴(これだけはABC MARTで買ったVANSのコットンのデッキシューズ)、このすべての価格を合計した金額が、SIXで売っている白無地のTシャツ1枚の値段の半分だった。

 こういう高価なTシャツを買う人がいる。それはそれでとてもイイ世の中だと思う。そういうブランド物がバンバン売れて消費が増大するのは大歓迎だ。スキな人にはぜひSIXに行って高額消費をしていただきたい。しかし、僕にとってはバカバカしいことこの上ない。ユニクロに行けば、良質なコットンを使った縫製もバッチリの高品質の白無地Tシャツが1000円で買える。

 しかも、10年前と違って、最近のユニクロのTシャツは形やディテールが考え抜かれている。それもそのはず、この1000円のTシャツは 「Uniqlo U」 というラインの商品で、かのクリストフ・ルメール(自身のブランド「ルメール」はもちろん、エルメスのアーティスティック・ディレクターだったことでも有名)がディレクションをしているのである。この完成されたTシャツがたったの1000円ポッキリ。イイ時代になったものだとつくづく思う。

■住のM

 圧倒的インドア派の僕は室内にいる時間が長い。ということで、わりと家具には興味関心がある。とくにチャールズ&レイ・イームズやエーロ・サーリネン、ジョージ・ネルソンといったデザイナーの手によるミッドセンチュリーものが好物だ。

 10年前に仕事場を引っ越すとき、自分の好きな家具に入れ替えようと思い、「ハーマンミラーストア」に行って、ネルソンのデスクだのイームズのキャビネットだのを奮発して購入した。

 ついでに時計やごみ箱やコートハンガーなどの小物もこの際イイやつにしようと思ってそのお店を物色したところ、実に素敵なデザインの木製ごみ箱を発見。「これもください」と言ったら、「あー、これはうちで使っているもので、売り物ではないんです」との答え。「どこのですか、これ?」と尋ねたところ、「無印良品で売っています」。

 そのときまで迂闊にも無印良品で買い物をするということがなかったのだが、さっそくお店に行ってみると、実にイイ感じの家具や生活雑貨が何でもそろっている。デザインがすっきりきっちりと統一されている。プレーンでシンプル。飽きがこない。目当てのごみ箱はもちろん、時計やファイルボックス、ペン立てなどを買い込んだ。以来、仕事場で使い続けている。

 自宅のソファはアルフレックスを使っている。きっかけはその頃に出た保科正の名著 『アルフレックスと私とイタリアと』 を読んだこと。その人間主義的な哲学にいたく感銘を受けた僕は、わりと値段は張ったけれども、迷わずアルフレックスを購入した。以来20年近く愛用している。

 ところが、その後もうひとつソファを買う必要が出てきた。このときは迷わず無印良品にした。これまたごくシンプルなデザインで、座り心地も寝心地もアルフレックスに負けず劣らずイイ。しかも価格は数分の一。

 無印良品のデザインに飽きがこないのは、それが独自の基準で練り上げられているからだ。それが証拠に、無印良品の家具や生活雑貨はほとんどが超ロングセラーで、デザインの変更は滅多にない。本当に良いものをつくれば、あとから新製品を出す必要はそもそもない。僕が仕事場で使っているごみ箱にしても、同じものが今でも売られている。新製品が目まぐるしく出てくる世の中にあって、このスローぶりがヒジョーにイイ。

■食のS

 UMSの残りのひとつ、サイゼリヤはいよいよ端倪すべからざる企業である。家の近所にあるので前から存在は知っていたが、実際に利用するようになったのは5、6年前からだ。僕の仕事(競争戦略についての学芸)の関心で、 『サイゼリヤ革命』 『サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』 といった、サイゼリヤについての本を読んだのがきっかけだった。

 調べれば調べるほど、外食業界におけるサイゼリヤの戦略ストーリーは秀逸であることが分かってきた。フォーカスが効いている。ひとつひとつの打ち手が実に論理的。しかもそのすべてがきっちりとつながっている。ストーリーが時間をかけて練り上げられている。

 素材から加工、調理までグローバルなサプライチェーンを構築し、質とコストのトレードオフを乗り越える。流行を追った新メニューの導入に依存しない。コストパフォーマンスを計算しつくした特定少数のメニューを長いこと売り続ける。家での「内食」の自然な延長として頻繁に来店するリピーターをターゲットにする。味にしても、普通の外食よりも控えめにし、刺激はなくても飽きがこないようにする。無印良品と一脈通じるところだ。

 これはたいしたものだと思い、早速近くのサイゼリヤに行ってみた。改めて驚いたのはその値段である。異様に安い。にもかかわらず、一品一品はきちんとおいしい。安いので、メインディッシュだけではなく、あれこれとサイドディッシュを楽しめる。結果的に支払う総額は普通のファミリーレストランとそう変わらないが、満足度と充実度が違う。

 以来、頻繁に利用しているが、確かに味に飽きがこない。つい先日も2名で行った。シェフサラダ、ソーセージグリル、青豆の温サラダ、プロシュート、バッファローモッツァレラのカプレーゼ(おいしいのでお代わりした)、新じゃがのオーブン焼き、フォカッチャ、野菜ソースのハンバーグ、デザートにプリンを注文した。僕はお酒を飲めないのでドリンクバーでメロンソーダ(これがスキ)だのエスプレッソだのを飲んだが、同行者はビールをジョッキで1杯、さらにグラスワインの白(100円! これが十分においしいらしい)を2杯飲んだ。

「王侯貴族のような……」とまではいえないかもしれないが、「豪遊」といって差し支えない内容である。それなのにお代は4千数百円。現代の奇跡といっても過言ではない。

 食でいえば、無印良品も強力だ。家でひとりで食事を作って食べるときなど、無印のレトルトのカレーやパスタソースを愛用している。モノのデザインと同様に、味つけが自然で飽きがこない。そのままだと芸がないので、自分の好きな食材に加えることにしている。カレーならマッシュルームを軽くソテーしたものを大量に投入する(スキなものをスキなだけ投入できるのが 自宅ご飯 のイイところ)。「生ハムときのこのポルチーニクリーム」にはカリカリにしたパンチェッタを載せる。もちろんマッシュルーム(これがとにかくスキ)も大量に追加投入する。

■経営の王道

 価値あるものがリーズナブルな価格で手に入る。「イイ時代になったものだ」と先に書いたが、本当は時代のせいではない。UMSそれぞれが商売を通じて達成した成果に他ならない。消費者として価値を享受するだけでなく、僕はUMSを商売の王道を行く企業として高く評価している。

 何よりもこの3社はきっちりと儲けている。それぞれに競争が激しい業界にいながら、持続的に業界標準以上の利益をたたき出し、成長している。長期利益の創出、ここに商売の一義的な目標がある。古今東西、長期利益は経営の優劣を示す最上の尺度である。

 何も「カネ至上主義」という話ではない。普通の競争のもとでは、長期利益こそが顧客満足のもっともシンプルかつ正直な物差しとなる。競争の中で持続的に利益が出ているということは、その企業の製品やサービスに価値があるということの何よりの証拠だ。まったく儲かってないのにお客が満足しているというのは、どこかに嘘がある。

 長期利益を稼いでいれば、投資家が評価し株価も上がる。配当も払える。雇用も作って守れる。給料も払える。サイゼリヤは労働集約的な外食産業の中で、社員の賃金水準がもっとも高い会社のひとつである。

 稼いでいれば、何よりも社会貢献ができる。株式会社という形をとる以上、最大にして最上の社会貢献は何といっても納税である。バンバン儲けて、バンバン納税。これがいちばん社会のためになる。

 一瞬だけ刹那的に儲けるというのではなく、それが持続可能な利益を追求するものであれば、「金儲け」はまったく悪いことではない。利益が出なければ、納税もできない。それでも道路は使うし、ごみの収集は来る。むしろ稼げない企業こそ、商業的にはもちろん、社会的にも悪である。長期利益はすべてのステークホルダーをつなぐ経営の基本線だ。UMSは商売を通じて確かに価値を創造している。

■日本発のグローバル化

 周知のように、このところのUMSは海外へと商売を拡張している。とくにアジアではユニクロや無印良品は絶好調。レストランという純粋サービスの業態のグローバル化は物販に比べてハードルが高いのだが、サイゼリヤは中国で着実な成功を収めている。

 UMSは日本発のグローバル企業のひとつのモデルだというのが僕の見解だ。ポイントは、単純に「安い」のではないというところだ。「お、ねだん以上。」なのである(ちなみに、ニトリもイイ商売をしている会社として尊敬している。UMSNといってもよい)。デフレ真っ盛りの頃に取りざたされた、ひたすら低価格を追求する商売とは一線を画している。安さだけではアジアでは通用しない。

 コストパフォーマンスといえばそれまでだが、UMSの商品やサービスは「パフォーマンス」の中身がイイ。顧客にとって実質的な価値にフォーカスしている。ちゃらちゃらフワフワしたところがない。

 グローバル化だ、グローバル企業だといっても、企業経営は出自からは逃れられないし、また逃れるべきでもない。とりわけUMSのような消費財企業についてはこのことがいえる。日本に限らず、アメリカでもヨーロッパでも、グローバルに成功した企業の基盤は母国の文化や特質にある。ラルフローレンにしてもマクドナルドにしてもイケアにしても、母国の文化を背負っていたからこそ、グローバルに独自のポジションを獲得できたのである。

■「成熟」による差別化

 アジアを中心に新興国の企業が続々と台頭する中で、日本発のグローバル企業が意識すべき日本の特質とは何か。キーワードは「成熟」だというのが僕の見解だ。成熟というと「頭打ち」とか「閉塞感」とかネガティブな側面に目が向きがちだ。しかし、見方を変えれば、成熟は日本と新興国の決定的な差別化の源泉になり得る。

 なぜならば、成熟はひとえに時間の関数だからである。人間でもそうだが、成熟には時間がかかる。時間をかけて経験を積み重ねるしかない。どんなにカネをかけても、若者は一足飛びに成熟した大人にはなれない。カネを出してもすぐには手に入らないもの。それがもっとも有効な差別化となる。

 僕が教えている一橋大学ビジネススクールの国際企業戦略専攻(ICS)はすべての講義を英語で行う。いわゆる「インターナショナルスクール」だ。学生数は1学年50人程度。小規模なブティック型のMBAプログラムである。主たるターゲットは日本人ではなく外国人。大半の学生がアジアを中心とした留学生だ。ビジネスの世界で日本を好きな外国人をつくる。日本に興味がある外国人が日本で経営について学ぶ。日本を好きで、日本をよく知る外国人を育成し、彼らが日本の会社にマネジャーとして入っていけば、日本企業のグローバル化に貢献できる。ここにICSの狙いがある。

 はるかに規模が大きく、歴史があり、ブランドも確立しているビジネススクールがアメリカにたくさんある。わざわざ小さな日本のスクールを彼らが選ぶのは、日本のビジネスや社会や文化に興味があるからだ。彼らにとって日本の魅力とは何か。尋ねてみると、「清潔」「繊細」「安全」「秩序」「配慮」「平穏」「落ち着き」「ゆとり」「控えめ」「静けさ」「内省」といった言葉が返ってくる。要するに成熟である。

 これまでの中国やこれからのインドは高度成長期、人間でいえば青春真っ只中にある。当然、元気がいいしカネもある。しかし、どうしてもギラギラしていて落ち着きがなく、バタバタと騒がしい。カネを使えばキラキラした高層ビルは建てられる。しかし、成熟の魅力は時間をかけなければ手に入らない。東京丸の内の仲通りは、いま世界中でもっともクールな街並みのひとつとして評価されている。ここまでくるのに日本もずいぶん時間がかかっている。

 高度成長期の日本でも、ギンギンギラギラのアメリカよりも、ヨーロッパの成熟したシックな文化に惹かれる人々が少なからずいた。成熟した国にユニークな価値や魅力というのが確かにあるのである。

 衣の分野でいえば、新興国の人々は外から見てすぐに分かる「ブランド」を好む傾向にある。ロゴがでかでかとプリントしてあるシャツや、一見してそのブランドとわかる意匠のついたバッグや靴に人気が集まる。

 例えば、ラルフローレン。あるときからポロシャツについている例の「ポロ」のマークが極端に大きなモデルが出た。これは成長する中国市場を狙った施策だと推察する。中国の消費者にとって、ブランドとは露出であり、価値の外在化である。人が見てそれとわからなければ意味がない。ブランドのロゴはでかければでかい方がいいのである。

 かつての日本人もそうだった。90年代の前半、ミラノの大学で教えていた頃の話。イタリアの通貨はユーロではなくまだリラの時代だった。日本円はリラに対して強かったので、ブランド物の爆買いをしようという若い日本人旅行客がミラノに押し寄せていた。

 当時人気のあったフェラガモの店はいつも日本人客でごった返していた。そのうちフェラガモは日本人の入場規制というのを始めた。入り口のところで時刻の入った整理券を配って、一定の人数しか入れないのである。で、その整理券をゲットしようという争奪戦が繰り広げられる。群がる日本人客に不機嫌な顔で整理券を配るフェラガモ店員。まるで「鶏にエサ」だ。

 この光景を見ていて、同じ日本人としていかがなものかと思った僕は、その辺どのように見ているのか、同僚のコラード・モルテニ氏に聞いてみた。すると、「あー、そういうのはいつものことだから気にならないね。昔は短パンのアメリカ人がアメックスのカードを振りかざして爆買いに来た。その後は中東からの旅行客が押し寄せてブイブイ言わせた。順繰りで、いまは日本人が主役。主役が入れ替わっても、光景は変わらない。そのうち日本人もブランド物に飽きて落ち着くよ。次は韓国、その次は中国だろう。そうでなきゃこっちは商売にならないわけで……」との答え。

 モルテニの予言は当たった。それから時が流れ、何年か前にミラノに行ったとき、ハイブランドが集まるモンテナポレオーネ通りは両手にショッピングバッグをいくつも提げた中国人で賑わっていた。日本人旅行客もいるにはいるが、裏通りをぶらぶら散歩している。落ち着いたものである。

■表層より実質

 伸び盛りの社会が顕示的で外在的な装飾を求めるのに対して、成熟した社会は内在化された実質を志向する。ユニクロのコンセプトである「ライフウェア」はその典型だ。ライフウェアはZARAやH&Mのような「ファストファッション」ではない。かといって、GAPのような従来の「カジュアルウェア」でもない。「部品としての服」という考えである。普通の人々の快適な生活のベースとなる部品。部品である以上、そこには機能や用途についての提案が込められている。ときどきの流行を追うわけではないが、時間とともに進化していく。そうした部品がヒートテックでありエアリズムでありウルトラライトダウンであり、先に触れたUniqlo Uのプレーンな無地Tシャツなのである。

 ユニクロの服は、その人を顕示したり個性を主張するものではない。個性は表面にある服ではなく、その人の中にあるもの。こちらとしては最高の生活部品を提供しますので、個性はそちらが勝手に発揮してください、というスタンス。ユニクロは刹那的なファッションではなく、実質的な価値に狙いを定めている。

 無印良品は「つつましく、満ち足りたくらし」(Good enough Living)を標榜している。つつましく、満ち足りたくらし。成熟した社会のありようを見事に表現したフレーズだと思う。「無印」という名前からしてそうだが、表層的な顕示にとらわれない実質的な価値が、ギラギラ路線のオルターナティブとして中国の消費者を惹きつけている。

 ヨーロッパの成熟した市場でも、ユニクロや無印良品は知的で落ち着いた生活を志向する顧客層に受けがよい。中高年はもとより、旬の流行を追いかけるよりも、生活の実質を重視し、プレーンでシンプルでベーシックなものを好む若者が増えてきている。成熟社会のメガトレンドであるといってよい。服に凝るよりも、まずは姿勢を整えた方がよい。姿勢を整えるよりも、まずは体型を整えた方がよい。プレゼンテーションのテクニックを習得するよりも、まずは言葉を豊かにしたほうがよい。言葉を豊かにするよりも、まずは人に語りかけるべき内容を豊かにしたほうがよい。表層よりも基盤を優先するという考え方である。

「ラグジュアリー」という言葉、これは単に豪華とか贅沢ということではない。人に見せびらかすという外向きの価値ではなく、自分にとって気持ちいいとか快適だという内向きの価値を意味している。考えてみれば、ユニクロや無印良品は僕にとって最高のラグジュアリーなのである。僕の好みでいえば、服にお金をかけるよりも、より快適なジムや読みたい本にお金を使ったほうがイイ。この1年間、きちっとしたスーツ&タイをどうしても着用しなければならない局面(四半期に1回ぐらいしかないが)を除いて、僕はユニクロ以外の服を着たことがない。それでもまったく問題ない。いよいよラグジュアリーな生活をしているといっても過言ではない。

(楠木 建)

関連記事(外部サイト)