『論語』は「専門分野を超えた教養」―數土 文夫・前東京電力会長

『論語』は「専門分野を超えた教養」―數土 文夫・前東京電力会長

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■教養とは「仁」である

 これまでの人生を振り返ると、本当に多くの本に支えられてきました。とりわけ『史記』『十八史略』『論語』『韓非子』『孫子』といった中国の古典には大きな影響を受け、今でもことあるごとに読み返しています。

 古代中国の倫理観で、最も重視されたのが「仁」でした。教養とは何かと問われれば、私の答えは「教養とは仁である」。言い換えれば、人に対する思いやり。男性や女性、外国人、異業種の人など、自分と違う相手に対応する能力のことです。相手に対する敬意や思いやりこそが仁であり、教養だと考えています。

 中国文学者の守屋洋さんは、「中国の古典の神髄は三つある」と言っています。まず「修己治人」――学問を修めて己の徳を積むことで、人を感化する。次に「経世済民」――世の中を治めて民を救う。ここから経済という言葉が出てきたわけです。三番目に「応対辞令」――人に応対するときは自分の言葉で話し、礼儀を仁の思いで行なう。教養を備えようと思えば、この三つが欠かせないのです。

■「出処進退に潔くあれ」―会長就任を後押しした『論語』

 今年四月、私は東京電力の会長に就きました。困難を承知であえて引き受けたのは、『論語』に綴られた言葉に背中を押されたからです。

〈之を用うれば則ち行ない、之を舎(す)つれば則ち蔵(かく)る〉。「之」とは、「あなた」であり「私」でもある。「世の中が私を用いたいというのであれば、出ていく。世の中がもう用はないと捨てるなら、そのときは速やかに退く」という意味です。出るべき時と退くべき時を自ら知り、裸の王様や老害になることなく、出処進退に潔くあれということ。私は六十歳頃から、常にこのことを心掛けてきました。

 国家とこの会社が私を必要だというのなら、やらざるを得ない。つまり、〈義を見て為さざるは、勇無きなり〉というわけです。正義だと知りながら行わないのは勇気がない、と。

 そして〈君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る〉。これは「君子は道理に合うかどうかで物事を判断し、小さな人間はどうしたら利益を得られるかを基準として考える」という意味です。今は世界中が利に走り過ぎている。国家も企業も個人も、そればかりでは長続きしないのではないでしょうか。

■ビジネスの現場にも生きる『論語』

 このように『論語』には、人間が生きていく上で自分を律する心得が書かれているんです。しかも二千五百年前の内容が、現代の人間関係やビジネスにおいても見事に当てはまる。〈巧言令色鮮なし仁〉と端的に言い切るなんて、発明のようなものでしょう。要するに、人間は昔と一つも変わっていないのです。『論語』は五百余りのショートセンテンスからできているので、どこから読んでもいい。会社や家のあちこちに何冊も置いてあって、週に一度は開いています。

『論語』は孔子と弟子との対話集ですが、私は常々企業が良くなるには、ダイアローグ(対話)、ディスカッション(議論)、ディベート(討論)の三つが大切だと言ってきました。この三つは、孔子だけでなく、ソクラテスもプラトンも緒方洪庵の適塾でも松下村塾でも、昔から一流の先人たちがやってきたことです。この三つのことをきっちりやると、モチベーションが飛躍的に上がり、知識も増える。ひいては、ビジネスの現場にも生きてくるのです。

■中国の歴史書を読んだ「理系」時代

 西洋の歴史書は出来事を編年体で記述してありますが、中国では歴史書も人間が主役です。その原形が最初の史書である、司馬遷の『史記』で、人物の列伝が中心となっている。『十八史略』も、人間の感情や行動が分かるように歴代王朝の興亡を綴った歴史書です。私に言わせれば、どちらも人間学の基礎そのもの。自分の立場や年齢によって感じ方や解釈が変わってきて、読み直すたびに新鮮さを感じます。

 私は北海道大学工学部を卒業後、エンジニアとして川崎製鉄(当時)に入社したのですが、大学時代に実験に追われていた時や、仕事で疲れ果てて家に帰った時、よく『史記』や『十八史略』を開いていました。理系には不似合いだと思われるかもしれません。しかし、儒教には「君子は六芸に達すべし」という言葉があります。「六芸」とは、礼(礼節)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬車を御する技術)、書(歴史と文学)、そして数(数学)。考えてみたら、数学は経済にも科学技術にも通じます。「数」を知らずして古代でもトップに立てるわけがない。理系だ文系だと分けたがるのは二十世紀になってからの話なのです。

■企業人としての“古典書”3冊

 企業人としては、福澤諭吉、内村鑑三、新渡戸稲造らの作品にも大きな影響を受けました。福澤も内村も新渡戸も若い頃、大変な貧乏を経験し、人生とは何かと非常に悩みながら、世界に通用する人物に育っていきました。

 福澤諭吉の『学問のすすめ』は「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」ばかりが有名ですが、本当に重要なのはその後に続く言葉。「しかし現実には、貧富の差や教養の差がある。それについては、人を恨むな。生まれた時から、どれだけ学問をしたかによって違ってくるんだ。だから学問をせぇ」と説いていますが、これは現代社会でも充分通用します。

 内村鑑三の『代表的日本人』は、日本の文化や思想を西洋に紹介するために英語で書かれました。押し寄せる西洋文化の中で、日本人としていかに生きるべきかがテーマで、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人を論じています。

 新渡戸稲造の『武士道』も原書は英語で、一九〇〇年にアメリカで出版されました。ギリシャ、ローマ時代の古典から中世ヨーロッパ、中国の文献まで引用しながら、三十七歳でこの本を書いた博覧強記。内村にしても新渡戸にしても、よくこれだけ勉強しているなと本当に感心させられます。エンジニアだった私は、専門分野を超えた教養の必要性を痛感したものです。

■原書をもっと深く読むには

 原書が難解な『武士道』を読み解くには、元台湾総統の李登輝さんが体験を交えながら丁寧に解説した『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』が私のお薦めです。若き日に「人生とは何か」と悩んだ李元総統は、ドイツの哲学書を一所懸命読んだものの、よく分からなかった。それが『武士道』に出会って、ようやく答えを得たとも言います。

「ノーブレス・オブリージュ」とは身分に伴う義務のこと。新渡戸は、それこそ、武士道の真髄だと述べました。李元総統は現代の日本で武士道が顧みられないことを嘆いていますが、私も同感です。『武士道』と『「武士道」解題』の二冊は今でもセットで手元に置き、折にふれて読み返していますね。

 北大は去年から「新渡戸カレッジ」という制度を作って、選抜した二百人の学生を無償で留学させているのですが、卒業生を代表して副校長に就任したんです。これほど名誉に思ったことはありません。社長や会長になる以上に嬉しかった。

■企業人としての“現代書”3冊―歴史から数学まで

 現代書も三冊ほど挙げたいと思います。

 世界的な歴史家で経済学者であるハーバード大学のD・S・ランデス名誉教授の『富と覇権(パワー)の世界史「強国」論』は、二十一世紀のグローバル社会で日本が生き残るためのヒントを教えてくれます。ランデス名誉教授の分析によれば、二十一世紀に強国として残る国は五つだけで、日本もその中に入っている。決して国力が衰えているわけではないのです。

 元日本IBM顧問の鴇田(ときた)正春氏による『日本の変革「東洋史観」』は、十二支や二十四節気を始めとする東洋の宇宙観が綴られている。この混迷の時代だからこそ、東洋の知恵に学べと説いています。

 木村剛氏の『「会計戦略」の発想法 日本型ガバナンスのスタンダードを探る』には、「企業会計の原点は、ローマ時代のキャラバンだ」という面白い話が出てきます。当時のキャラバンはローマからシルクロードを通って中国で品物を売り、中国で珍しい品物を買って帰り、またローマで売る。まず隊長以下の隊員が儲けを取り、残り分を出資者が山分けしました。つまり、一キャラバンが一会計ということ。資本家は「今度の隊長は誰か? 彼なら統率力がある」「品物の目利きは誰か」といった条件を見ながら、無事に帰る確率や儲け額を予想して出資していたそうです。

 先ほど数学の必要性を申し上げましたが、私は四十七歳で製鉄所の企画部長になった時、徹底的にアカウンティング(会計、経理)とファイナンス(財務)を学びました。今では企業会計は経営そのものだと考えています。

■文学全集を読みふけった少年時代、今も変わらぬ読書愛

 それにしても、「十数冊選べ」というのは難しい。「三百冊選べ」と言われたら簡単なんだけど。もちろん、渡辺淳一も読んでおります。

 小さな頃から本当に多くの本を読んできましたが、私の原点になっているのは、小、中学生の頃に読み耽った文学全集なんです。父が国語と漢文の教師だったこともあり、家にはたくさんの本がありました。

 ロシア文学ならトルストイの『復活』『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』、フランス文学なら『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』『赤と黒』。日本文学だと、夏目漱石に芥川龍之介、倉田百三、長塚節、田山花袋、谷崎潤一郎。特に印象的だったのは森鴎外です。『雁』や『山椒大夫』『高瀬舟』『阿部一族』から『ヰタ・セクスアリス』まで。

 きょうだい七人みんな読書好きでしたが、中でも僕が一番と自負しています。六十三巻あった平凡社の百科事典も、「あ」から順番に一冊ずつ読んでいった。あまりに本ばかり読んでいるので、父からは「ちゃんと勉強せぇ」と怒られていたほどです。

 今は、本を選ぶときはたいてい新聞広告を見てピックアップした上で、書店へ行きます。日比谷のジュンク堂、東京駅に近い八重洲ブックセンターや丸善まで必ず週に一度は行って、四、五冊買います。毎日忙しいですが、毎晩ベッドに入ってから、二〜三時間くらい読むのが至福の時ですね。

出典:文藝春秋2014年7月号

著者:數土 文夫(前・東京電力会長)

(數土 文夫)

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