「小説は生きる糧になる」――TOTO木瀬輝雄相談役を唸らせる名作小説

「小説は生きる糧になる」――TOTO木瀬輝雄相談役を唸らせる名作小説

©iStock.com

■読書の原体験は“文学全集”と“文芸誌”

 読書の醍醐味は、自分の知らない世界を見せてくれることに尽きます。登場人物の自分とは全く異なる行動や考え方に、思いも寄らない刺激を受けることもあれば、遠い時代の出来事に心を震わせたりする。読書を通じて、人間としての幅が広がっていくのです。

 私の原体験は、母が毎月一冊ずつ買ってくれた「少年少女世界文学全集」です。夜遅くまで起きて本の世界に浸っていました。一晩で読み終えてしまうから、一カ月先の刊行がすごく待ち遠しかった。思えば、その頃、自分の知らない世界や人生を仮想体験することの魅力にハマったのだと思います。

 中学生の頃は本も読まず友人と遊んでばかりいたのですが、高校から家を離れ鹿児島に行きました。寮を出て下宿暮らしを始めた高校二年生の頃、たまたま文芸誌の『新潮』を手に取る機会がありました。三島由紀夫の『春の雪』や井伏鱒二の『黒い雨』などが連載小説として掲載されていた。どれも、一度読み出すと止まらなくなって、それ以来、『新潮』は毎号買うようになりました。

■最も好きな作家の一人は“宮本輝”

 私の読書は、最初に読んだ一冊が気に入ったら、その作家の作品を一気に読むというスタイルです。すると、その作家ならではの色が見えてくる。

 最も好きな作家の一人が、宮本輝です。今から二十五年くらい前、読書家だった上司から「君と同い年の作家だから」と『海岸列車』をポンと渡されたのがキッカケでした。幼い頃、母親に捨てられた兄と妹の青春を描いた物語です。営業企画部長になる前後の時期で、忙しい毎日でしたが、千葉から東京まで一時間以上かかる通勤電車の中で、読み耽りました。

 私は京都大学の学生時代、写真部だったのですが、宮本輝の小説は言うならば、一作ごとに趣の違ったセピア色の写真を切り取ったような味わい深い印象を残してくれるんです。同い年ということもあり、物語の根底に流れる背景などに共感するところも多い。『螢川』や『泥の河』を読むと、戦後から昭和三十年代にかけての昭和の風景が思い出されるし、『海岸列車』だと、雪が舞う日本海に臨む鉄橋が浮かんできます。

 自伝的大河小説の『流転の海』シリーズからは、宮本輝らしい、人間に対する暖かな眼差しを感じます。『約束の冬』は、バブル時代に失ってしまった日本人本来の上質な人間性や凜とした生き方など、多くのことを改めて考えさせられました。

 凄みのある小説は、いつまでも記憶に残ります。井上光晴は『虚構のクレーン』や『地の群れ』で、長崎の原爆被爆者や朝鮮人炭鉱労働者などを通して、戦後社会の暗部を告発しました。福岡出身の私にとって、いずれも心に深く刻まれた作品です。

 自分とは異なる視点が得られるのも、読書の大きな魅力です。

 十八歳ながら、『川べりの道』で文學界新人賞(昭和六十二年)を受賞した鷺沢萠(めぐむ)には強烈な衝撃を受けました。当時、私は四十歳でしたが、自分の世代にはない鋭敏な感性が新鮮に感じられたのです。

 彼女の凄みのある生き様にも強く惹かれました。取材で父の生い立ちを追う中で、父方の祖母が韓国人であることを知り、韓国に留学します。帰国後は、文士仲間と徹夜で麻雀するような毎日を送り、最後は三十五歳の若さで自殺してしまう。彼女のブログを読んでいたら、自殺したという報道を聞いて、茫然としたのを覚えています。

■“SF作家・小松左京”との交友秘話

 SF的なものもよく読みました。特に安部公房は好きでしたね。『箱男』や『壁』など彼の作品はどれも発想が豊かで斬新で、一気に引き込まれるものばかり。鮮烈なセンスを持った作家だと思います。

 SFで言えば、小松左京は外せません。『果しなき流れの果に』に代表されるように、時間と空間を越えた壮大なストーリーは小説ならではの面白さがあると言えます。

 実は彼とは、大学時代から縁があるんです。私は全共闘世代なのですが、大学封鎖の最中、教育学部助教授で社会学者の加藤秀俊先生が緊急避難的に研究室として借りていたマンションに出入りしていました。そこに小松左京もよく来ていたのです。余談ですが、加藤先生の部屋の真下に大原麗子が住んでいて、小松さんが「ロープを伝って降りていこう」なんてわけの分からないことを言っていましたね(笑)。

 興味深いのは、一つの事件や時代を扱っても、作家によって視点が異なることです。

 例えば、司馬遼太郎の影響もあり、世間では乃木希典は司令官として無能だという評価も広がっています。しかし、古川薫の『斜陽に立つ―乃木希典と児玉源太郎』は、『坂の上の雲』に真っ向から反論し、乃木は有徳な人柄で軍事的才能にも秀でていたと書きます。併せて読むとその描き方の差が面白い。何事も一方的に見て判断してはいけないのです。

■幅広い読書体験が“生きる糧”に

 読書というのは本当に贅沢な時間です。だから人にも本を薦めたくなる。私は営業商品第二課長時代、課の広報誌に小さなコラムを持っていたのですが、そこで毎月のようにお薦めの一冊を紹介していたんです。それこそ、村上春樹の『ノルウェイの森』から小松左京のSF小説まで、幅広い作品を取り上げていました。

 最近では、湊かなえもよく読んでいます。『贖罪』や『告白』に代表されるように、どの作品も女性の心理を巧みに描いている。それでいて、圧倒的な迫力があります。次回作が楽しみな作家の一人です。

 知り合いに薦められて、面白いと思ったのが、あさのあつこの『バッテリー』ですね。女性作家ならではの目線で、少年の心を見事に描いているなと思いました。普段本を読まない私の孫も熱心に読んでいましたね。

 ここのところ、若い人を中心に読書離れが進んでいるようで、寂しい限りです。もちろん、読書はすぐに何かの役に立つわけではありません。まして小説ならなおさらでしょう。

 しかし、登場人物の生き方に共鳴したり、俺とは違うなと感じたりするうちに、視野が広がってくる。何冊も読んだ本が積み重なり、いつしか生きる糧となっていく。それは、ビジネスの現場でも必ずや大きな力となるのです。

出典:文藝春秋2014年7月号
木瀬照雄(TOTO相談役)

(木瀬 照雄)

関連記事(外部サイト)