池上彰×元国連WFPの凄腕リーダー対談#2「修羅場で最強のチームを作る秘訣とは?」

池上彰×元国連WFPの凄腕リーダー対談#2「修羅場で最強のチームを作る秘訣とは?」

©杉山秀樹/文藝春秋

#1より続く

 国連WFPで 治安や情勢に危険のある地域に食糧支援を続けた忍足謙朗さんと、ジャーナリストの池上彰さん。前回の対談では、近くて遠い国「北朝鮮」に、実際に支援に入った忍足さんの体験をもとに交渉のカギとは何かを考察した。後編は巨大組織で働いた経験のあるお2人が、真のリーダーとは何かに迫った。

◆◆◆

■リーダーシップをとるとは、どういうことか

池上 前回は北朝鮮の話でしたが、いよいよ「修羅場のリーダーシップ」という本題に入ります。忍足さんが2006年から2009年まで指揮をとられたスーダンでは、77国籍、3000人を超えるスタッフたちを動かしていたそうですね。

忍足 南スーダンが独立する前のスーダン共和国は日本の約7倍の国土をもつ巨大な国だったんです。内戦で有名になったダルフール地方だけでもフランス本土とほぼ同じ広さがあります。その広大な国にWFPは32の支援拠点を置いていたので、その全部のスタッフを合わせると約3000人でした。そのうちインターナショナルスタッフは約300人、他は現地で雇用したローカルスタッフです。

池上 忍足さんが行かれたのは、南スーダンが独立する前、南北の和平合意が結ばれたタイミングですね。そして独立後、日本の自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に参加し、南スーダンに駐留した。

忍足 PKOというのは文字通り平和を維持するための活動です。日本から運んだブルドーザーで現地の道路を直したり、ジュバの住民にはとても喜ばれたと思いますが、効率とコストの面では多少疑問も残ります。そして、やはり本来のPKOの任務とは少し違うような気がします。

池上 軍事力を行使するわけにはいかないので、施設部隊が道路を作ることで国際貢献をしたという実績をアピールしたいわけですよね。

忍足 国際協力の一端を担っているとも、もちろん言えますが、僕が現場にいていつも疑問に思っていたのは、日本が国際貢献をするときにどんな方針や基準でやっているのか、よくわからないことです。日本はこうした支援をしたいから、国連のこの組織にこれだけの寄付をするんだという方針が見えない。シビアに成果を評価して寄付先を選んでいる国もありますからね。

池上 たしかにそうですね。明確な方針をもち、だからこの機関にどれだけお金を出しているということをアピールしてもいいと思います。ヨルダンのシリア難民キャンプに行ったとき、韓国の国旗がものすごく目立つところに置いてあった。韓国はたいして人も出していないのに、しっかりアピールはしているわけです。日本はいっぱい人を派遣しているのに、JICAのマークと日の丸がちょこっとあるだけで、とても歯がゆいんですよ。日本の支援はきめ細やかだし、決して上から目線でも、見返りを期待するわけでもないので、現地の人たちには感謝されているんですけれどね。

忍足 わかります、わかります。

■自分のチームに入れたい人材リストとは

池上 いけない、ついリーダー論から話がそれてしまいました。忍足さんはWFPで主に緊急支援や人道支援を担当していらしたんですよね。国連では開発支援も大きな仕事ですが。

忍足 キャリアの最初の頃はアフリカで開発支援に携わっていたのですが、デスクワークが多くなかなか現場に出る機会がなかったので、志願して、1992年にボスニア紛争の最中に飛び込んだのです。

池上 銃弾の飛び交う紛争地で食糧支援をされたわけだ。けっこう型破りな方法も辞せずというリーダーでいらしたようですね。

忍足 WFPという組織は、困っている人たちに食糧を届けなければ話にならないわけで、飛行機やヘリ、船やトラックを使って支援物資を運ぶロジスティックスも担当しています。「トラック野郎」というか、ちょっと荒っぽい連中も必要な組織なんですよね。個性的な人が多いんです。

池上 国連の中ではマッスル系なんだな。

忍足 そうですね。紛争地だったり、自然災害に襲われた地域で朝から晩まで一緒に過ごすわけですから、一種のファミリーのような連帯感も生まれやすい。常に緊急事態に対処しなければならないので、ボスとしては、ばんばん決断していくことも必要です。

池上 決断の根拠となるのは何ですか?

忍足 まあ、経験からの勘と、とにかく自分の目で現場を見ることですかね。現場を知るスタッフの意見もよく聞きます。

池上 ロールモデルとなるような上司もいらっしゃいましたか?

忍足 数少ないけれど、いましたね。国連でも上ばっかり見ている上司って多いんですよ。そんな中で、本当に現場を大切にして、われわれのために事務局長と戦ってくれるジャン=ジャックというボスがいて、彼のことは尊敬していました。また、コソボ紛争の時に知り合ったミックという男はイギリスの特殊部隊の出身で、僕は彼から「何が何でも仲間を助ける」という軍隊的な信念を教わりましたね。

池上 多国籍の現場で、ボスがそういう信念をもっているかどうかは大事でしょうね。そんな上司でないと、下はついてこないですよ。上ばっかり見ていてはダメ。私が働いていたNHKでも、現場にいた若い頃は優秀だったけれどもボスになったら全然ダメな人と、現場ではさほどでもなかったのに、上に立ったらすごくいいという人物がいましたね。

忍足 同僚や部下を大事にして、上には反発したりするので、嫌われることもありますけれどね。でも、下がついてきているから、上の人間が怖がるところもある。

池上 上から見れば「どっち見て仕事しているんだ。俺のほうを見ろ」ということでしょうね。でも、現場が明るく楽しく仕事できればいいんですよ。楽しければ、結果的にいい仕事ができるし。

忍足 そう、そのとおりなんです。そうでなければ、スーダンみたいなところでやっていられないですよ。 赴任してスーダン全土にあるローカルオフィスを全て回ったのですが、僕の仕事はとにかくスタッフを励ますこと。そこのリーダーに「あなたの一番大事な仕事は、ハッピーなチームを作ることだからね」と必ず言っていました。 なぜかというと、ハッピーなチームであれば、想定外の緊急事態が起きたときも何とか対処できるけれど、ハッピーでないチームは毎日のルーティンワークさえ、うまくいかないことが多い。 

池上 私は「週刊こどもニュース」の現場が一番、楽しかったですね。「池上さんは若いディレクターに甘い」と言われたこともあるけれど、やりたいことがある人には、どうしたら、それがうまくいくか、できるだけ助けたい。それぞれの思いを実現させてあげたいという気持ちがあったんです。

忍足 僕は自分がそれほどアイデアの豊富な人間じゃないと自覚しているので、チームのメンバーに入れたいのは、ちょっと突拍子もないことを考えるようなタイプなんです。

池上 本の中で「自分のチームに入れたいと思う人材」のリストを挙げていらっしゃいましたね。 「当たり前じゃない(突拍子もない)アイデアを出せる人」とあります。「仲間や部下に対して思いやりを見せられる人」「その人がいるとチームが明るくなる人」。そう、大事ですよねぇ。その人がいるとチームが暗くなるというのは、時々あるから(笑)。

忍足 他にも何項目かあるんですが、これがそのまま僕のリーダーシップ論ってことになりますね。スタッフを採用するインタビューのときも、履歴書や最終学歴より、こうした視点で見ていることが多い。

池上 組織の面接試験でも、最終的には「こいつと一緒に働きたいか」で選びますよね。いくら能力があって優秀でも、一緒に働きたくない奴は選ばない。

■イライラしてもまかせることで、上司として開眼

忍足 池上さんが自分の上司としてのスタイルを意識されたのは、いつ頃ですか?

池上 私はNHKに就職したとき、管理職にはなるまいと心に誓っていたんですよ。生涯、一記者を貫こうと。でも、社会部で文部省記者クラブのキャップになった30代半ば、初めて部下を持った。そのときですね。本当は自分で全部やったほうが早いのだけれど、「こいつをどう育てなきゃいけないか」と考えたわけです。そういえば、少し上の先輩が地方局のデスクになったとき、上司に言われた言葉を今でも覚えています。 「おまえの一番の仕事は自分でやらないことだ。イライラしても部下にまかせろ」

忍足 僕は人にまかせるの、大好きです。自分でやるのは面倒くさいから(笑)。

池上 人にまかせるのがいかに大変か、首都圏ニュースのデスクになったときに思い知りましたね。まったくの新人が配属されて、テレビ画面に出すタイトルやテロップの作り方も知らないわけです。「ああやれ、こうやれ」と全部指示していたら、ミスが続出するんですよ。それであるとき、ふと気づいた。すべて指示するから、主体性がなくミスが起きるのだと。ぐっと我慢して「おまえ、タイトル、自分で考えてみろ」と、考えさせて直すやり方にしたとたん、ぐっとミスが減った。

忍足 うーん、なるほど。

池上 8時45分に始まるニュースで、8時半になってもまだテロップができていなくて、もう最後の最後で「えーい、こうだ」とやってしまったことはあります。でも、基本、イライラしながら待たないと人は育たない。

忍足 僕が鍛えられたのは、若い頃、自分よりずっと年上のローカルスタッフたちに指示を出さなければならなかったときかな。こっちのほうが新米なのに、一応、国連のインターナショナルスタッフだから、上司ということになるんです。

池上 それはツラいですよね。 あと、部下を叱るときも、仕事の仕方を批判するのはいいけれど、人間性を批判してはいけない。「おまえは能力がないから、仕事ができないんだ」というようなことを言ってはいけない。

忍足 そして、絶対、人前で注意しない。

池上 そうそう、それは大原則ですね。褒めるのは皆の前で、注意するのは1対1で。しかも、「それはダメだ」じゃなくて、「こういうほうがいいよ」とポジティブに言わないと。

忍足 そういう日本的な、他人をリスペクトするところはいいですよね。人にもよるけれど、外国人相手だと、率直に言わないと通じないこともある。

池上 そう、「忖度」って言葉は英語に訳せないそうですからね。外国人記者クラブで森友学園の理事長が会見を開いたときも、「sontaku」とそのまま使ったらしいです。

■国連の伝説的リーダーより若い人たちへ

池上 ちょっと照れくさいんですが、忍足さんが今、高校生時代の自分に言ってやりたい言葉があるとすれば、何ですか?

忍足 「大丈夫だよ。どうにかなるよ」ですかね。けっこう行き当たりばったりに、これまでやってきたもので。決して確固たるプランがあったわけじゃない。

池上 沖縄で言う「なんくるないさー」ですね。今の若者たちは、あまりに「何とかなりそうもない」と思っているから、そう言ってあげたほうがいいのかもしれない。就活で失敗したら、もう人生おしまい、みたいに思っている人が多いらしいし。

忍足 僕は結果的にそう学んだということですね。いろいろヤバい現場で仕事をしてきて、それでも何とかなるものだよと。

池上 「身を立て、名をあげ、やよ励めよ」という時代じゃないですからね。

忍足 でも、どこかでポンっと花咲くときがあるんですよ。突然、いろいろ回り出すというような。それは計画していても、どうにもならないことですが。

池上 私もNHKに入ったときの「将来計画」はあったんですよ。社会部の記者として何か専門を極め、解説委員になり、定年退職したら女子大の教授になるという。東工大の教授になったら、それを知っていた人に「女子大に行くはずが、男子大学に行きましたね」って(笑)。 NHKにいたとき、人事考課で毎年「将来は解説委員になりたい」って書いていたら、廊下でばったり解説委員長に出会い、「おまえ、解説委員にはなれないからな」と言われたんです。「おまえに専門性はないだろ。専門性がないと解説委員になれない」と。

忍足 そんなことがあったんですね。

池上 「週刊朝日」に「池上彰がNHKを辞めた理由」って書かれたけど、解説委員になれないならNHKにいてもしょうがないと思ったんですよ。俺はたしかに専門性がないけど、「週刊こどもニュース」で培った「いろんなことをわかりやすく説明する」という専門性はあるんじゃないか、今後はそっちで生きていこうと決意したわけです。

忍足 最後に一つだけ聞きたいのは、池上さんは本当に例外的な方で、世界で起きていることをわかりやすく話されるじゃないですか。でも全体として見れば、日本では本当に国際的なニュースがほとんど報道されていないのではないですか?

池上 そのとおりです。

忍足 メディアの人は「日本の人たちに、そういう話をしてもあまり興味ないし」と言うけれど、僕は「あなたたちが伝えないから興味をもたないんでしょ」と言いたい。興味をもってもらうには、池上さんのクローンをたくさん作るしかないんですかね。

池上 要するに、わかりやすく説明すれば、みんな観てくれるんですよ。私が民放で仕事ができているきっかけは、もう打ち切りが決まっていた「学べる!! ニュースショー!」というテレビ朝日系の番組で「イランの大統領選挙」をわかりやすく解説して、すごく高い視聴率を取ったからなんです。その後、パレスチナ問題や沖縄の普天間基地の問題を取り上げ、基地問題では視聴率が14パーセントを超えた。ゴールデンタイムで国際情勢をわかりやすく解説するというのが、新鮮だったんでしょう。それまでは「ニュースショー」といってもペットなどをテーマとするバラエティだったのが、私がニュースを解説する番組に差し替わったんです。ゴールデンウィークの2時間の特番で1番高視聴率だったときの解説は何だったと思います? 「原爆にはウラン型とプルトニウム型があります」というテーマですよ。2時間の平均視聴率が23パーセントでした。

忍足 国際支援という問題を、池上さん流にわかりやすく解説すると、どうなりますか?

池上 何年か前、毎日小学生新聞の連載コーナーで、読者の小学生から「日本はお金がないのに、なんで外国に援助をするんですか?」という質問が来たんです。そのとき、こう答えました。 「きみたちのお父さんやお母さん、さらに上のおじいちゃんやおばあちゃんの世代のとき、日本は貧しくて食糧がなかった。そんな時代にユニセフなどいろいろな海外からの援助があり、学校給食に脱脂粉乳が付いたりして、栄養を摂ることで生き延びることができたんだよ。その人たちが生き延びたから子供が生まれ、さらにその子供が生まれて、きみたちが存在するんだ。国際支援によって、きみたちは今、この世に生を受けているんだから、その恩返しをすることは必要なんじゃないかな」

忍足 なるほど。

池上 アセアン諸国が経済的に潤ってきたから、日本に大勢の観光客が来るわけでしょう。それは戦後、日本が東南アジアにいろんな支援をしてインフラ作りを手伝った。そうした国の人たちが今、日本に来て、お金を落としてくれている。まさに「情けは人のためならず」なんですよ。

忍足 それは説得力がありますね。   

―――

おしだり・けんろう

1956年、東京都生まれ。国連世界食糧計画(国連WFP)元アジア地域局長。School for International Training(アメリカ・バーモント州)で国際行政学を学び、修士号取得。30年以上にわたり国連に勤務し、人道支援、開発支援の現場で活躍。WFPでは、ボスニア紛争、コソボ紛争などの紛争地、カンボジア、スーダンでも大規模な緊急支援の指揮をとる。北朝鮮の食糧支援にも関わり、何度も視察に入った。2015年に帰国し、国際協力に興味をもつ若い世代の育成に貢献している。TBS「情熱大陸」やNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し話題となった。

?

いけがみ・あきら

1950年生まれ。長野県出身。73年にNHK入局、2005年よりフリーに。名城大学教授、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授。「文春オンライン」の「聞いてみた!」シリーズも好評公開中。

(「文春オンライン」編集部)

関連記事(外部サイト)