人生100年時代でも、“サラリーマンおじさん”が起業もベンチャー就職もしてはいけない3つの理由

人生100年時代でも、“サラリーマンおじさん”が起業もベンチャー就職もしてはいけない3つの理由

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 人生80年時代、いや100年時代とも言われ始めた。老後は2000万円の貯蓄がないと生きていけないなどとも叫ばれだした。安定した年金の支給に危機感をいだいた国は、その責任を企業に押し付け、定年を65歳から70歳に引き上げることを義務付けようとしている。

 企業側もたまったものではない。定年の延長は人件費負担の増加に直結する。国はシニア人材の活用を、と綺麗ごとを並べるが、社会人になりたての頃からずっと雇い続けてきた企業からみれば、一部の優秀な社員を除いた大半はすでに「用済み」というのが実態だ。

 出世競争には負け、会社に対するロイヤルティーも失われ、しがみついているだけの社員をさらにあと5年も10年も養わなければならないなんて勘弁してもらいたいというのが本音だろう。

■「今に見てろよ」と起業に走る“おじさん”たち

 おじさんだってプライドがある。いやいや雇ってもらい、部屋の片隅に机だけ用意され、元部下が上司になっていろいろ命令されるなんていう毎日が楽しいはずがない。忠誠を尽くしてきたはずの会社に対しても不平不満が溜まり、早く家に帰ると女房や子供にも邪険にされる。そこで彼らは「よおーし、今に見てろよ。俺だって」と考え始める。

 そしてやる気満々のおじさんの一部は起業に走る。「俺は会社でもアイデアマンとして有名だった。会社で俺のアイデアが取り上げられることは少なかったが、こうなったら自分でやってやる」と、鼻息あらく、会社を早期退職して起業というパターンだ。でもその心の片隅には早期退職すれば割増退職金が出る、これを元手とすれば……という計算が働いているのも実態だ。

 起業する勇気までは持てないおじさんは仲間を頼る。学校時代の友達でベンチャーなどを経営する社長に取り入るのだ。「おれは大きな会社にいたから人脈も知恵もある。おまえのために協力してやるぜ」と、その会社に就職するパターンだ。

■そして「人生オワタ」にまっしぐら……

 だが、おじさんの一念発起のほとんどはうまくいっていないのが現状だ。まずおじさんの起業の大半が失敗する。ちょっぴり割増でもらえた退職金なんてあっというまに消え失せる。素晴らしいと思っていた自分のアイデアも妄想にすぎなかったと気づくのに、そんなに時間はかからない。

 頼みの人脈も、ほとんどは自分に価値があったからではなく、所詮会社のブランドがあったから付き合えていたにすぎないとすぐに露見する。現実は冷酷だ。そして金繰りに詰まる。無謀な借金を重ねようものなら「人生オワタ」にまっしぐらである。 

■“サラリーマンおじさん”にはわからない3つのこと

 一方、友達の経営するベンチャーに行ったら安泰か。はじめは友達として迎えてくれた社長も、仕事と友情は別である。些細な事でのすれ違いからいざこざが始まる。でも会社の中で偉いのは社長だ――。その末路は推して知るべしだろう。

 では、どうしておじさんたちは第2、第3の人生で成功することができないのだろうか。できない理由は3つある。そしてその理由のひとつひとつは会社の中で長年にわたって飼いならされてきたおじさんたちにとっては、頭でわかっていても決して「本当にはわかっていない」ものなのだ。

■その1「給料はもらうもの」

 会社に勤めるということの本質は、「かごの中の鳥」でいられることにある。鳥たちはかごの中を自由に飛び回る。大企業であればあるほどこの“かご”は大きく、あるいはガラス張りで、その中を飛び回る社員たちは自分たちがあたかも自由に大空を飛び回っているかのような錯覚に陥る。俺は大きな仕事をしている――。彼らの自尊心はこうして養われるのだが、所詮は鳥かごの中という「限定」された世界なのだ。

 そして鳥たちは毎月25日になると餌箱に降り立ち、「給料」という名の餌をついばむことが保証されている。どんなに稼ぎのない月だって会社という鳥かごが用意されている限り、餌にありつけるのがサラリーマンだ。

 サラリーマンが起業するということはこうした鳥かごから出ることを意味している。かごを出た鳥が最初に感じるのが、空は大きく、青く、そしてどこまでも広がっているということだ。ここで自由に飛び回るんだ。もう誰にも邪魔なんかされない……。

 だが、そんな自由を満喫する余裕はあっというまになくなる。青かった空は一転、にわかに掻き曇り嵐がやってくる。そして空からは鷲や鷹が遠慮容赦なく襲い掛かってくる。鳥かごから大事に持ち出してきた退職金という餌もあっという間に底が尽きる。餌箱の餌は当たり前の話だが、誰かが入れてくれるものではなく、自分で用意するものなのだ。

 こうした当たり前のことを、起業する“おじさんサラリーマン”の多くがわかっていない。やたらに立派なオフィスを構える、高額な社長デスクや椅子を買い求める。起業での失敗は、まずはおじさんのこうした勘違いから始まる。

■その2「仕事は自分で学ぶもの」

 ベンチャー企業に活路を見出したおじさんを待っているのが、「役に立たない」という厳然たる事実だ。おじさんが勤めてきた会社は、組織も整い、仕事もある程度定型化されている。ところが意気揚々と就職したベンチャー会社の扉を開けると、おそらくあっけにとられるほど「いい加減」な会社に見えるはずだ。

 ベンチャー企業は走りながら経営方針を固めていく。意思決定における圧倒的なスピード、ころころ変わる戦略、思い付きのようにしか見えない投資、コンプライアンスもハラスメントも語られることのない職場……。それを見ておじさんは「さあ自分の出番だ」と考える。だが、ここに落とし穴がある。

 おじさんは自分の会社を引き合いに出して、まず社員たちに説教を始めてしまう。「会社っていうのはな」「俺の勤めていた会社ではな」。もちろん良かれと思ってする発言なのだが、社員たちは動かない。というか、そんなおじさんの小言にかまっている余裕はないのだ。

■「わからないなら自分で勉強しろよ」

 そのうちにおじさんはこう思う。「いや、俺はお前たちの仕事についてよく知らないんだ。だから教えろよ。なんで教えてくれないんだ」。これは最悪である。それを聞く社員たちの気持ちは「わからないなら自分で勉強しろよ」「なんであんたに教えなきゃならないんだよ」である。

 当たり前の話だが、ベンチャーの社員は社長の方にしか顔を向けていない。突然やってきて業務内容も何も知らずに「態度だけでかい」おじさんの存在など迷惑以外の何物でもない。ましてやおじさんに教えるなんてまっぴらごめんなのだ。

 社員にそっぽを向かれたおじさんが行きつくところは、友達である社長だ。「お前のやりかたでは会社はうまくいかなくなるぜ」「なんだ。あの社員たちは。大丈夫なのか」と友達言葉で語り出す。こうした状態になると社長の胸の内では「しまった。こんなやつ採るんじゃなかった。友情を仕事に持ち込んだのは失敗だった」となる。

 そして、言うことを聞いてもらえないおじさんはそのうち社内で経営批判をするようになる。おじさんは会社評論だけは得意だ。サラリーマン時代から居酒屋で特訓されてきたからだ。ただ、ベンチャーが違うのは、あっというまに降格、へたをするとクビになることだ。社長との友情も壊れ、会社を追い出されるのがおじさんの末路である。

■その3「会社は自然と存在するもの」

 サラリーマンで部長あたりを経験してきたおじさんは一番始末に悪い。部長とはその名の通り、部門の長にすぎない役職である。実は部長職にあるおじさんたちの大半が会社という組織をよく理解できていない。

 会社には株主がいる。取締役もいて、その代表が代表取締役。そしてその多くが業務執行も兼ねる執行役社長である。この単純な構造をわかってるつもりになっているだけで、実は何にもわかっちゃいないのである。

■会社法を勉強せずにいると痛い目にあう

 実は、起業して失敗するおじさんの多くが会社法をよく勉強していない。おじさんたちの多くは起業の際に複数の仲間たちと一緒になることが多い。はじめのうちは仲良く走り出すのが常だが、そのうち経営方針ややり方をめぐって意見対立が起こるのも起業の常だ。そのとき、会社という器をよく勉強しておかないと痛い目にあう。

 会社は最終的には株主に決定権がある。最初は代表者であっても株式を押さえられると自由に行動できなくなるのだ。ベンチャー企業で取締役に就任しても、大株主の御意向には逆らえない。

 サラリーマンだけやってきたおじさんの多くが会社という器を何も勉強せず、自分の想いだけで起業したり、ベンチャー企業に入って一儲けできると妄想する。だが会社という生き物は冷徹だ。友情もへったくれもない。生きるか死ぬかの大勝負だ。会社という鳥かごの中だけでぬくぬくと餌をついばんできたおじさんには、実は起業もベンチャーもあまりにハードルが高いのだ。

 悪いことは言わない。多少のプライドは捨てて今いる会社にしがみつくか、2000万円の貯蓄はなくとも会社という器だけの人生から距離をおいて自らの新しい価値観、生きる糧を見出すほうが、まだまだ長い人生を豊かに生きる賢い方策なのではないだろうか。

(牧野 知弘)

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