生き残る「地方豪族企業」――東三河「サンヨネ」、函館「ラッキーピエロ」……驚きの経営哲学

生き残る「地方豪族企業」――東三河「サンヨネ」、函館「ラッキーピエロ」……驚きの経営哲学

©大宮冬洋

「人口減の日本にいても未来はない」「成長か、死か」と“意識の高い”経営者は叫ぶ。だが、本当にこうしたグローバル企業が人々を幸せにするのだろうか。地方に移住したライターたちが地元に根を張る「豪族企業」を訪ねると、そこには驚きの経営哲学があった。

文・写真:大宮冬洋/出典:週刊文春2017年7月27日号

◆ ◆ ◆

 妻の職場と実家が愛知県にある。僕は次男で自由業でバツイチ。5年前に再婚したとき、東京に住み続ける選択肢はなかった。

 愛知と言っても名古屋ではない。僕が住んでいるのは豊橋を中心とする東三河地方にある蒲郡市。駅前の商店街が衰退した地方都市で、夜は真っ暗になる。

 住み始めて半年間ほどは閉塞感が募った。用事を作ってはにぎやかな東京に「帰る」ことが嬉しかった。

 ある日、妻の両親からサンヨネ蒲郡店を教えてもらった。自宅から徒歩15分ほどの食品スーパーだ。

 看板には、3人家族が食卓を囲む影絵の上に「おいしさ100%」と書かれてある。オシャレさはない。

 ただし、肝心の商品には圧倒された。特に海産物がすごい。鰹節だけで何十種もあり、多様な魚の鮮度は抜群。そして安い。

 店内が混雑していても客の表情は穏やかで、のんびりと買い物を楽しんでいる。大手スーパーにありがちな殺伐とした様子とは正反対の光景がそこにあった。

 僕は新卒でユニクロに入り、1年間だけ社員をしていた経験がある。ユニクロでは、スタッフの頭数と勤務時間を掛けた「人時(にんじ)」という考え方が徹底されていた。すべての店舗作業を「何人時で終えるべきか」とあらかじめ設定し、それによってアルバイトの出勤数などを決める。割り当てられた作業を各自が時間内に必死で終わらせなければならない。とても効率的だけど、人間的な接客などはしにくい仕組みだ。

 対照的にダサ可愛くて、あったかいサンヨネ。僕はすっかりファンになり、蒲郡に遊びに来た友人を案内するようになった。

 僕にとってサンヨネは単なるスーパーではない。誇らしい観光名所なのだ。

「大宮くんはサンヨネの話をよくしているね。サンヨネみたいなローカルチェーンは全国にあると思う。他の地域の人は知らなくても、地元では絶大な人気があったりする。取材したら面白いと思う」

 声をかけてくれたのは、先輩ライターの北尾トロさん。彼も家族とともに東京を出て、長野県松本市に住んでいる。移住組の僕たちだからこそ、やたらに元気な「地方豪族」が頼もしく映るのかもしれない。

 北尾さんと話し合って決めた「地方豪族企業」の条件は3つ。

●東京進出などはせず、地域密着型である
●5店舗以上を展開し、点ではなく面で商売している
●30年以上の歴史があり、世代を超えて愛されている

 戦国時代に例えるなら、天下統一を目指す織田信長ではない。先祖代々の土地を守り、民からも慕われている小領主だ。彼らは何を大事にして、どのようにして生き抜いてきたのか。

 まずは僕が毎週通っているサンヨネから。本拠地は蒲郡ではなく、本店を含めて3店舗を展開する豊橋市。その他、豊川市に1店舗、我が蒲郡市に1店舗。計5つの店舗を経営している。いずれも東三河地方だ。

 僕は車の運転が苦手なので、豊橋駅から市電に乗り替えてサンヨネの本部へと向かった。大きなビルはない。豊橋市内にある「東店」の2階が本部を兼ねている。事務所の広さは小学校の教室2つ分ぐらい。そこに経営陣と事務員たちが机を並べている。

 明治25年に海産物問屋として創業したサンヨネ。サンヨネの名前の由来である創業者の三浦米三郎以来、経営者は代々三浦家で、現在のトップは代表取締役であり営業本部長の三浦和雄さん(61)だ。

 12年前、蒲郡店開店と同時期に創られた社是がある。「ステキな会社をつくりましょう」。三浦さんによれば壮大な志が込められている。

「社員や消費者だけでなく、生産者や物流会社、店舗の清掃をやってくれる方に至るまで、サンヨネに関わるすべての人が幸せになる仕組みをこの21世紀に作り上げたいのです」

 やや早口で情熱的に語る三浦さん。「宗教団体なのか?」と怪しんでしまうような理想論である。

■粗利益の半分は人件費に

 だが、サンヨネはあくまで企業だ。言葉ではなく商品で理想を体現しなければならない。三浦さんは、生鮮と加工を問わずすべての部門で商品開発の中心人物だ。個人経営の農家を含め、三浦さんが選んだ生産者は400社近くに達する。

 例えば、我が家でも愛飲している「ミルクはやっぱり香り牛乳」。サンヨネのプライベートブランドだ。三浦さんは生産地の長野県野辺山地方まで出向き、牧場ごとの牛乳を試飲。特に優秀と判断した4軒の酪農家と信頼関係を築き、サンヨネ専用の牛乳を安定供給してもらうことに成功した。

「生産者と加工者を厳選しています。中途半端ではなく、徹底的にやる必要があるのです」

 作り手にもメリットがある。サンヨネは直接仕入れを理由とする値下げ要請をしないのだ。

 ある農家が年間出荷高で3000万円分のイチゴを生産したとする。農協などが仲介すると3割以上は流通コストとして引かれるため、農家に残るのは2000万円程度になる。ビニールハウスの補修費用などを引くと、農家は低所得になりがちだ。

 サンヨネはそのまま3000万円で購入する。良い農家が経済的にも潤い、次の世代が夢を持って継いでいけるようにするためだ。

 それでも僕たち消費者の手元には買いやすい価格で商品が届く。コストを削減しているからだ。例えば、新聞の折り込み広告などを出さないため、宣伝広告費はゼロに等しい。ポイントカードもない。

 一方で、給料は驚くほど手厚い。サンヨネは「粗利益の半分を人件費に充てる」と公言しており、売り上げを伸ばして無駄なコストを削るほど社員の懐も温かくなる仕組みになっている。各店長の年収は1000万円を超える。鮮魚などの各部門を統括するリーダーたちは400万から1200万円、その下の主任は400万から900万円と幅があるが、いずれにしても地方で家族を養うのに十分な収入である。

 なお、閉店時間は夜7時。社員の家庭生活を配慮してのことだ。

 製造業が発達した愛知県では小売や外食の店舗で人手が常に足りていない。我が家近くの「元町珈琲」は客ではなく人手不足が原因で閉店したと噂されている。

 三浦さんの「すべての人を幸せにしたい」という理想が虚言とは思わない。しかし、生産者も社員も異常なほど大事にする施策には、人口が減少する地方において優秀な人材を確保し続ける狙いもあるはずだ。彼は「善意の塊」ではなく「商売の鬼」なのかもしれない。

 名古屋や東京に進出する野心はないのか。

「ありません。人と店をこれ以上多くすると、今と同じサービスはできないからです。私の経営力ではうまくいかないでしょう。正社員とパートアルバイトをあわせて約600人。ちょうどいいサイズだと思っています。会社も私個人も豊かなので、何の不満もありません」

■社長の趣味の世界が広がる函館名物ハンバーガーチェーン

 北海道函館市にもサンヨネと同じぐらい地元で愛されている外食チェーンがあると聞いた。ハンバーガーを主力とするラッキーピエロだ。以下、地元の人に倣い愛称の「ラッピ」で呼ぶ。

 中部国際空港から函館空港までは1日2便しかない。王一郎社長へのインタビューの前日に函館に入り、ラッピの食べ歩きをした。

 最初に入ったのは「函館駅前店」。サンヨネと同じく、店の外装や内装は正直言ってダサい。オールドアメリカンを現代風にアレンジしているのではなく、そのままオールドアメリカンなのだ。「時流は無視する」という強固な意思すら感じる店づくりだ。

 しかし、店内には若い客が多い。平日にも関わらずほぼ満席だ。女子高生らしき2人組もいた。

 人気商品の「チャイニーズチキンバーガー」には衝撃を受けた。チキンがやたらに大きく、バンズなしでも満腹になってしまうほどなのだ。これで350円は安すぎる。

 満たされた腹を五稜郭見物ですかせ、五稜郭公園前店と本町店でも試食。翌朝は十字街銀座店で食べた。どの店の料理も手作り感があり、ボリューム満点で、やたらに安い。

 創業社長の王一郎さん(75)によれば、店舗は自分が好きなテーマで作っているそうだ。プレスリー、クリムト、サンタクロース、バードウォッチング……。

 完全に王さんの趣味の世界だ。若い人たちが共感するとは思えないが、王さんは店舗も客にアピールしていると信じている。

■“効率のオバケ”とは競争しない

「自分の好きなものだとモノマネにならず、奥深い店を作れるでしょう。うちは料理もすべて手作り。ファストフードではありません。ナショナルチェーンは効率のオバケ。そこと効率で競争しても勝てないのです」

 大手のチェーンは店舗の開発も運営もマニュアルに沿って画一化する。コストカットが最大の目的である。王さんはその考え方を「効率のオバケ」と称し、ラッピは対極を目指すと強調する。

 王さんと会った最新店舗のマリーナ末広店もどことなく昭和感が漂う。しかし、大繁盛。国内外からの観光客や中高生も多い函館ベイエリアで観光名所化しているようだ。インタビュー中にも拘わらず、王さんに話しかけてくる客もいて、僕は記念撮影のカメラマンにさせられてしまった。

 ラッピに近接するセンス抜群のスターバックスの店舗は閑散としていた。露骨なほどの人気差だ。王さん、この勢いでせめて札幌に進出しないのか。

「東京や横浜にも出店をしないかという引き合いは数えきれません。アラブの富豪から世界チェーンにしようと誘われたこともあります。すべてNOですよ。私たちは地域貢献を中心に考えています。地域のみなさんが豊かになり、結果として私どもも豊かにしてもらうことが大事なのです」

 華僑で神戸出身の王さんが函館にやってきたのは48年前。以来、ラッピは函館を中心とする道南地方だけに出店してきた。現在、全17店舗に年間220万人もの客が訪れる。同地域のハンバーガーチェーンとして「ダントツ1位」のシェアだ。ナショナルチェーンが入る余地はない。王さんによれば、安易に札幌や東京に進出していたらこの地位は築けなかった。

「富士山は誰でも知っているけれど、2番目に高い山を知っている人はほとんどいません。地域でダントツ1位になることがブランド構築の最短距離なのです」

 店舗網を地理的に広げ過ぎないことには鮮度管理上の利点もあるそうだ。ラッピの各店舗は函館市内のセントラルキッチンから車で片道2時間以内。食材を冷凍ではなく冷蔵で届けられる距離だ。そして、経営者の目も隅々まで届きやすい。

「トップは私と娘の2人だけ。360人の従業員はほぼフラットな組織です。中間管理のコストが少ないので、大きくて、素材にこだわった料理を安い値段で提供できています」

 子育てが終わった母親たちを積極的に雇用。バンズの小麦も含めた食材の85%を北海道内から調達し、土産品グッズの包装には夜景などの函館観光案内を載せる。地元の客からは「あの店のスタッフはがんばっているから時給を上げてあげて」といった“注文”が毎日のように届く。

 ラッピ成功の理由を、ビジネス理論を駆使して滔々と語る王さん。でも、王さんは若い頃「地域でダントツ1位になることがブランド構築の最短距離」「小さな本部でフラット経営」などとは考えていなかったはずだ。自分流にがむしゃらに経営してきたらラッピが函館名物になり、気がつけば最新のビジネス理論にあてはまったのではないか。

■常連で賑わう“特色のない”茨城の和食店

 茨城県筑西市を中心に和食店「ごほう」など10店舗を展開する小野瀬フーズを知っている人は少ない。非常に地味な地方豪族である。

 僕が訪れたのは水戸駅の駅ビルに入っている店舗。隣接する「とんかつ和幸」と「すし三崎丸」と比べて、特色のあるメニューはない。和食全般を扱っているからだ。刺身、天ぷら、茶碗蒸しなどのランチセットで1490円。ちゃんと手作りをしているのはわかるが、特筆するほどの味ではなく、特別安くもない。

 しかし、店内は常連らしきシニア層の客でにぎわっていた。客同士で声をかけ合い、店員とも親しげだ。

 小野瀬フーズの社員によれば、下館本店などではより濃密な関係が形成されている。「ごほうさん」と敬称で呼んでもらっているらしい。毎日、欠かさずに来店する100歳の常連客もいる。

「うちの強みは社員とパートさんです。お客さんに対して家族っぽいというんですかね。みんな優しくて真面目。ズルする子は1人もいません。えっ? 人柄採用? そうじゃなくて、なぜかそういう子ばっかり集まって来るんですよね。アハハハ。人をかき分けてでも前に出る人がいないのは物足りないけれど……」

 筑西市の本社で話すのは、2代目社長の小野瀬あや子さん(65)。スーツ姿はキリッとしているが、話し方は開けっぴろげというか田舎のおばちゃんそのもの。自分や会社をよく見せようという気持ちはなさそうだ。

 競争心がないのは社員だけではない。この本社の目前に同じく和食チェーンの「ばんどう太郎」が店舗を構えている。やや挑戦的だと僕は思うが、小野瀬さんは平然としている。

■「死んじゃいたい」と公言

「ばんどう太郎さんは素晴らしい会社ですよ。えっ? 競合はしています。同じ和食店ですし、価格帯も同じような感じ。たぶん、接客レベルも同じじゃないかと思います。でも、うちは小さな会社ですから、足元にも及びません」

 競合チェーンとの差別化はできていない、と言わんばかりのコメントである。

 はがゆいほどのんびりした社風の小野瀬フーズ。創業社長は2004年に早世した憲一さんだ。小野瀬さんの亡夫である。憲一さんは拡大志向の経営者で、愛知県で回転ずしの店を3つも出した。しかし、憲一さんががんとの闘病の末に亡くなった直後、パートナー企業から契約を解除された。

「女社長では相手にできない、と断られたんです」

 現在、小野瀬フーズの店舗は国道50号線沿いに集中している。西端は栃木県小山市。東端は僕が訪れた茨城県水戸市だ。本社と本店がある筑西市は中間地点に位置する。前述のラッピと同じく、車での行き来を前提とした店舗展開である。

 ただし、2002年開店の回転ずし店「すし勢我孫子店」だけは千葉県に飛び地のように存在する。拡大志向だった先代社長の遺産であり、現在も営業中だ。

 高校時代からの恋人でもあった夫を亡くした後、小野瀬さんは自暴自棄になったと明かす。社長は継いだもののやる気はまったくなく、「死んじゃいたい」と公言していた。無茶苦茶な経営者である。

「主人がいないのに生きている必要はありませんから。今では『墓石を蹴ったろか』ぐらいの気持ちですけどね。アハハハ。あの頃の私は頭がおかしかった。2年ぐらいは何も手につきませんでしたね。当時70人ほどいた従業員のうち、幹部クラスの20人が辞めました。会社がよく潰れなかったな〜と今でも不思議です」

 残ってくれたのは、高卒で入社したばかりの若者たちだった。「社長、やってくれよ。俺たち、支えるから」と励まされた。悲しみでおかしくなったお母さんを助けるような気持ちだったのだろう。小野瀬さんはようやく目が覚めた。その若者たちが今では30代半ばの幹部社員となっている。

「各店の店長などをやってくれています。私の子ども同然だと思っているので、泣きながらケンカすることもありますよ」

 社員がごまかしをしたときは「目が飛び出るほど怒る」という小野瀬さん。逆に手放しで誉めるのは、人に優しくしたときだ。歩行困難な客の手を取り、車まで送り迎えをしてあげる社員もいる。

「効率は落ちてもいい。うちみたいな会社でも生き残っていけるのは地域の人が使ってくれるからです」

 だが、本当に「きれいごと」で地方豪族企業は、人口減の日本を生き抜いていけるのか。

( 後編 に続く)

おおみやとうよう/蒲郡市在住。1976年埼玉県生まれ。著書に『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)など。読者との交流飲み会「スナック大宮」を東京・愛知・大阪のいずれかで毎月開催中。

きたおとろ/長野県松本市在住。1958年福岡県生まれ。町中華探検隊隊長。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』、近著に『猟師になりたい!』『欠歯生活』など。FMまつもと「北尾トロのヨムラジ」パーソナリティ。

(大宮 冬洋)

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