なぜビームスは全国160店舗すべて違うのか?――ビームス流“飽きられない”店づくり

なぜビームスは全国160店舗すべて違うのか?――ビームス流“飽きられない”店づくり

ビームス創造研究所クリエイティブディレクター・南雲浩二郎氏

発売とともに、業界内外を騒がしている異色の コラボ増刊「ビームス×週刊文春」 。そのなかから、ビームスの店舗作りを長年手がけてきた、ビームス創造研究所クリエイティブディレクター・南雲浩二郎さんのインタビューをご紹介します。

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 全国展開するビームスは、そこに並んでいるファッションのみならず、それぞれの店舗の空間全体が個性を放っている。

 店舗空間のデザイン・ディレクションを長年手がけ、テイストは違えど、全ての店から感じられる「ビームスらしさ」を築き上げてきたのが、ビームス創造研究所クリエイティブディレクターの南雲浩二郎さんだ。

 南雲さんとビームスのつながりは、10代の頃にまで遡る。1976(昭和51)年原宿にできたビームス1号店を、1人の客として訪れていた。 

南雲 高校生の頃、学校帰りに渋谷や原宿へ遊びに出かけたとき、よく立ち寄る店でした。ときは1980年代前半、界隈に個人経営のインポート・ショップがポツポツと出始めていて、ビームスもそのうちの1つという感じでしたね。

 店内は濃い木目の色が印象的で、とにかくコンパクト。そこに所狭しと服が畳まれ置いてありました。

 当時は、インポートものがみんなの憧れ。行くたびに違う服があって、ライブ感がありました。

 ただしビームスは、どこよりも新しいものを扱うというより、「本物に出合える場所」といった趣でしたね。

 高校卒業後前職を経て、原宿で夜間のファッションの専門学校に通うこととなり、ならば日中はビームスでアルバイトをしようと思い立った。1985年のことである。

 原宿店の2階に1981年にオープンした、インターナショナルギャラリー ビームスの店頭に、南雲さんは立つことになった。

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■ファッションがピリピリしている時代

南雲 そこは学生風情が足を踏み入れたら、ちょっと腰が引けてしまうような雰囲気の店でした。高級でスノッブなものが集まっていて、いかにも「オレこそオシャレだ」といった人が集まって来ました。

 まだファッションがピリピリしている時代でしたね。少なくとも、誰もが興味を持つジャンルというわけではなかった。ファッション好きというだけで、もうすでに「特別な人」とみなされてしまうような雰囲気が残っていました。

 だから売る側も、なかなか尖っていたものですよ。「ここはお客様との真剣勝負の場だ」という気持ちで、毎日店頭に立っていました。

■本木雅弘、加藤和彦、高倉健、坂本龍一……

南雲 いま思い起こすとその心構えは、カウンター席に座った客と向き合う料理人に似ている気がします。

 世界各地からいい服=素材が集まってくるので、そのネタでどうコーディネートの提案=料理をしていけるか、相手と全力でぶつかり合う。セレクトショップの面白さはそんなところにあると思い、日々実践していました。

 店には舌の、いえ目の肥えたお客様も多かったから、いつだって気が抜けませんでした。

 本木雅弘、加藤和彦、高倉健、坂本龍一……。ファッションにうるさい著名人も、よく訪れていた。彼らが来店するたび、南雲さんは勝負を繰り返した。

南雲 とはいえ、まさか喧嘩腰というわけではなく、いつも楽しく接客させていただきました。プロフェッショナルな仕事をしている方々は、こちらの意見もプロのものとして信頼してくださる。腕のふるい甲斐がありました。

 アルバイトで店に入ったものの、すぐ「社員になれ」と熱心に誘われ、86年、専門学校を卒業してビームスに入社した。

 インターナショナルギャラリー ビームスで経験を積みながら、91年には同店店長となり、結局11年をそこで過ごした。

南雲 80年代から90年代は会社がどんどん大きくなる時期でしたし、日本でファッションが一部の愛好家のためのものから一般の人々にまで広く浸透していった時代でもあって、日々変化を感じられる面白い時代でした。

 当時は、セレクトショップという形態がまだ日本では珍しかったものです。売っているものを時期や店舗によってガラリと変えていくわけですが、店頭の品揃えによって「ビームスは今の時代を、こんなふうに捉えていますよ」との思いまで表現できるよう心がけて、店づくりをしていました。

 自社製造の商品を並べるのではなく、文字通り世界中からセレクトしてきた服で、店内を埋める業態ゆえ、「らしさ」や「統一感」をどう出していくかは、いつもビームスの大きな課題だった。

 店に並ぶ商品のセレクトそのもので醸し出すのが基本だが、加えて内装や店の雰囲気によって、ビームスらしさと統一感を演出することも重要な要素だ。

南雲 内装を外部のデザイナーに頼むと、もちろんカッコいいものに仕上げてくれるのですが、そこに「ビームスっぽさ」を盛り込むのは難しい。

 そこはやはり内部の者が、しっかりビジョンを持ってディレクションをしなければならなくなる。そこで、売場の経験も長くてファッションの事情をよく知っている私が、そのあたりを担うことになっていきました。

 はっきりとした辞令がくだったというわけでもなかったのですけれど。必要に駆られて、みずから手を挙げた感じです。

■「半歩先を行く」ために「3歩先を見る」

 店舗空間で「らしさ」「統一感」を出すための方針は、どのようなものだったのか。

南雲 時代の移り変わりとともに、価値観もまた変化していくのは、いつの時代、どんな地域でも共通ですよね。時代によって当然ビームスも変化するけれど、気づけばいつも「その時代ごとにいいポジション、いいスタンスで存在しているね」と言われていたいんです。

 そのためにうちの代表・設楽洋が挙げているキーワードは、「半歩先を行く」。

 店を訪れていただくと、現実の半歩先の世界を体験できる、そういう空間を生み出せたらと思っています。

 でも、「半歩先」を具体的な形にして世の中へ提示するには、常に「3歩先が見えている」必要があります。結構先まで読んでおかないといけないんですよ。

 店舗内装でいえば、グローバルなインテリアのトレンドや、次代のスタンダードを見据えておく必要があります。

 今すでに出回っている情報を集めてストックするのでは遅いし、足りない。じゃあどうするか。日頃ふと感じる「小さな始まり」に敏感でいる感性を持つのが大切です。

 後に大きなムーブメントになる物事を、世の中で流行る前に見つけ関わりを持ち、体験して好きになる。そうして一緒に成熟していけると、時代の先を行けると思っています。

■90年代初めには北欧デザインにハマっていた

 たとえば、店の空間づくりを手がけ始めた1990年代には、「ミッドセンチュリーモダン」や「北欧テイスト」をいち早く取り入れた。この頃かかわった代表的な店として渋谷のビームス タイム(現在はピルグリム サーフ+サプライとビームス ウィメン)などがある。

南雲 20世紀半ばのプロダクトをお手本とする「ミッドセンチュリーモダン」の家具やデザイン、建築は、私自身が深く傾倒したものです。

 好きで買い集めた家具と同様のデザインや写真集からのイメージなどを、店舗デザインの一部として用いたりもよくしました。

 中でも北欧デザインは今や大流行を経て、すっかりスタンダードとして定着しましたね。90年代初頭にはまだそんな状況はなかったんですが、私は北欧のものづくりとライフスタイルのセンスにその頃からハマって、頻繁に渡欧していました。

 北欧への情熱と知見が見込まれ、ビームスが94年、初めて家具を扱う「ビームス モダンリビング」を出店した際には、中心となって店づくりに携わり、95年にはMDとしても関わることとなった。

「半歩先を行く」には、ファッションだけを見ていてはいけない、隣接するカルチャーへの目配りが欠かせないとも南雲さんは語る。

■最近のキーワードは「食」

南雲 世の中で流行する事柄というのは、他分野を巻き込んで大きくなるものです。

 これまでファッションは、音楽やアート、文学などと結びつきながらムーブメントを起こしてきました。カルチャー全体に興味を抱くことは大事ですね。

 最近なら、食がキーワードだと感じています。皆の関心が集中しているように思えるのです。

 たとえば、ビオとか自然派と呼ばれるワインが、このところ一部で人気になっていますね。その人気は、「ナチュラルであること」や「持続可能であること」がどんな分野でも求められるようになっていることの、1つの象徴のように見えます。

 私自身もう10年以上、ビオや自然派ワインを飲み続けていて、自宅での食事や外食でも、ほとんどそういうワインを選びます。

 時代の価値観は、さまざまなことに由来して動くものです。それらをできるだけ敏感にキャッチして、その感覚と知識を店舗の内装に活かして、なんとか半歩先を行くビームスらしさを表現してきたつもりです。

 店舗自体は、毎回売り切ってしまう商品とは違い、長い時間、残っていくものですから、確固としたビジョンやオピニオンが必要です。そのときどきの私的な情熱だけでつくるわけにはいかないんですよね。

 2000年代に入ると、店の内装について直接指揮をとるようになっていった。最初の大仕事は2004年、創業の地にある原宿店の全面改装だった。

南雲 1976年から続いている店であり、セレクトショップというジャンルでは他が追従できない歴史を持っている場所。そこは大事にしながら改装したいと考えました。

 そこで、道路に面した側は全面ガラス張りでありながら、以前の「館」のような雰囲気も受け継ぐ外観・内観としました。

 創業当時はたった6.5坪だった小さい店が、その頃に抱いていた理想の店舗のかたちを、今ここに実現しました……。そんなストーリーが描けたらいいと思いました。

 その後は、全国に新規展開する店舗や既存店の改装などを、続々と手がけていくこととなる。

■ルミネの新店にかつての「渋谷レイ ビームス」を雰囲気を

南雲 1店舗ずつ、コンセプトから考えていきます。その際に重視するのは、場所のアイデンティティですね。なぜこの地にビームスを存在させたいのか、どんな方々に来ていただきたいのか、徹底的に考え抜きます。

 たとえば、商業施設の「ルミネ」に初めて出店するときには、かつて渋谷の女性向け店「レイ ビームス」によく足を運んでくださっていた30代女性を、お客様として想定しながら店舗コンセプトを決めていきました。

 高校生あたりの頃にレイビームスに来ていただいていたのだとしたら、久しぶりに駅ビルでビームスを見かけて、少々の懐かしさを感じていただけたらと思いました。

 ですから、かつての渋谷レイ ビームスの雰囲気を、ルミネの新店にも匂わせるようにしてみました。

 その場所で求められるビームスのあり方は、どういうものか? いつも自問するようにしています。

■広島に1店舗しかないビームスをどう改装するか

全国展開するビームスゆえ、地域の特性に着目することも重要だ。

南雲 2016年に改装した広島店は店舗面積がすごく広いんですが、それはたいへん都合がよかった。

 東京のように何店舗もあれば、品揃えを店ごとに分けていってもいいのですが、広島とその近県にはビームスがここ1軒のみ。であれば、ビームスブランドのほとんどを1ヶ所で見られる大型店であることは、大きな意味を持ちます。

 広いスペースを活かしてカジュアルからスーツまで幅広い種類の商品を置き、あらゆる世代、さまざまな好みの方に来ていただける地元に根付いた店を目指しました。

 色々なテイストの売場が混在するとなると、「らしさ」や「統一感」を出すのは、大変になるのですけれどね。

 各売場でインテリアの共通項をつくって、心理的な距離を縮めてみたり、逆にセクションの間にレジカウンターを挟むなどして区画を分けてみたり。

 あれこれとテクニカルな手法を用いながら、なんとかビームスらしさを体感していただけたらと考えながら、空間をつくっていきました。

 その街の人たちと、ともに育っていきたい。それが、どこでどんな店を出すときにも、共通して思うことでしょうか。

 店舗づくりを通して、街のスタイリングをしているような心でいるのだという。

南雲 店頭に立って、お客様とともにスタイリングを考えていくことと、店舗をつくっていくことは、私の中ではほとんど同じ感覚です。どちらも、相手とともにスタイルを築き上げていく仕事ですからね。

 そもそもセレクトショップというのは、スタイルを売っているようなものです。

 私たちは自社で商品をイチから作るわけではありません。色々なところで「いいもの」を見つけてきて、場所の雰囲気を考えながらそれらを集めて、見せ方をあれこれ工夫しながら、皆様に「こういう素敵な世界、どうですか?」と提案をしていく。

 自分たちで素材を編集することによって生み出した、スタイルを売っているわけです。

 スタイルを伝えるためには、どんな商品をどう置くかということが、まずはもちろん大切。同時に、どのような空間にお客様を招き、どんな気分で商品を見ていただけるかというのも、同じくらい重要になります。すべての店舗で、コンセプトもデザインも変化させていくのは、スタイルを売る私たちセレクトショップとしては、当然の営みと考えています。

 そうした思いをたっぷりのせて、ビームスのあらゆる店舗はできています。ご来店いただいた際には、商品との出合いとともに、空間そのものも楽しんでいただけたら嬉しいですね。

なぐもこうじろう 1964年生まれ。1986年ビームス入社。「インターナショナルギャラリー ビームス」販売スタッフ、同店店長、全店のVMD(Visual Merchandising)統括などを経て、2010年よりビームス創造研究所クリエイティブディレクター。内外の店舗やオフィス内装のデザインディレクションを手掛けている。

(山内 宏泰/文春ムック 週刊文春が迫る、BEAMSの世界。)

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