江戸時代の算学は過酷な自然災害との格闘で発達した  『開成をつくった男、佐野鼎』を辿る旅(第21回)

(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

 関東を直撃した台風15号。その被害の大きさは日を追うごとに明らかになり、復旧は2週間が過ぎた今も思うように進んでいません。

 千葉県在住の私は、今回の台風で50時間の停電と断水を経験しました。

 台風が過ぎた後は、35度に迫る猛暑となったのですが、クーラーが効かないというのは本当に危険な状態でした。

 しかし、今考えれば50時間くらいならまだましな方で、周囲にはいまだに2週間以上もの間、「電気も水もなし」という超過酷な生活を強いられている方が大勢いらっしゃいます。

 また、南房総では強風で屋根や壁が飛ばされた家も多数あり、さらに深刻な被害が出ています。

 しかし、その後も日本列島には温帯低気圧による暴風雨や、竜巻、台風17号などが次々と襲いかかり、各地で川を氾濫させたり、洪水や土砂崩れを引き起こしたりしています。

 そんな中、損保各社は今年10月から火災保険料の大幅値上げを実施すると発表しました。風水害や地震被害等の増加によって「参考純率」が平均5.5%も引き上げられたのがその理由ですが、逆に言えば、日本人がこの先、自然災害に遭うリスクはさらに高まっているということでしょう。

幕末に高度な数学知識を有していた佐野鼎

 さて、私が「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」の人生について調べる中で、まず驚いたのは彼の学識の高さだったのですが、その謎を解く大きなヒントとなったのは、意外にも「過酷な自然災害」というキーワードでした。

 佐野鼎は16歳で江戸の「下曾根塾」に入門し、西洋砲術や蘭学、航海術などを学び、その後、日本一の大藩であった加賀藩からスカウトされ、1860年には「万延元年遣米使節」に、1861年には「文久遣欧使節」の従者として随行。幕末に、2度の世界一周を経験した数少ない日本人の一人です。

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