RE雨宮自動車の雨さんとDaiちゃんの「My ROAD東京サーキット」【Daiちゃん編】

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My Road東京サーキット、お待たせしました、RE雨宮自動車代表、雨宮勇美さん=雨さん編の次は、OPT・0代目編集長:Daiちゃん編です。雨さん編と合わせてチェックしてくださいね。

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オレたちはストリートで速くなった!

稲田大二郎(Dai)

長崎県生まれの九州男児。オートスポーツ誌編集部を経て、フリージャーナリスト。レースと走りが大好きで、チューニングカーにも目がない。クルマ以外には興味がないというか、カークレージーだ。OPT誌を中心に、自動車専門誌や一般誌で執筆中(当時)。

なにしろ、運転が上手くなりたい。皇居周辺、青山、そして湘南ルート・・・Dai

今でも運転上手くないけど、昔はもっとヘタだった。免許とってクルマを買ったら、なにしろ毎晩のように走りに行ったね。運転の練習するとこなんて、公道しかないんだ。そりゃ、日曜日にサーキットへ行けばいいけど、夜は街中を走れるんだから、十分、練習になるよ。

コースは決まっていた。皇居周辺の内堀通りがいいコーナーがあるんだよ。竹橋とか、三宅坂の高速コーナー。そして、千鳥ヶ淵のコーナー。市ヶ谷から四谷見附に行く、本塩町のコーナーも良かったね。毎晩走って、少しずつスピードを上げていく。スピンもしたけど、対向車が来ないときだけ攻めるから、ぶつからなかった。青山も好きな場所だった。特に、墓地下が高速コーナーで、かなりシビアなんだ。

このシティサーキットでも、当時のクルマは足が弱く、スピードは高くなくても挙動が激しく、逆ハンやドリフトを覚えていった。もちろん、首都高もオレのサーキットだった。先輩の後ろについて走り、なんとか上手くなろうと必死だったよ。

都内でひと走りして、そのまま第3京浜から横浜新道を通って、湘南まで飛ばす。そして、長者ヶ崎でUターンして戻るのが日課だった。クルマは、中古のコンテッサ・クーペ、遅いからソレックスキャブ付けてた。それでも、新しいカローラの1100に負けちゃうんだ。でも、オレは遅いクルマなりに、コーナーのスピードを上げていくのが楽しくてしょうがなかったよ。サスは車高短、マフラーも抜いていたから、いつも交番のおまわりさんや白バイに止められたけど、なんとか許してももらえる時代だった。

レースに出たかった。でも、戦闘力のあるクルマが作れない。ジムカーナくらいで精一杯。ストリートで練習して、ジムカーナで腕を試す、というわけだ。もちろん、今でもいいコーナーが目の前に迫ると、攻めたくなる。コレ、本能だね。でも、最近のクルマは性能がいいから、スピードが高く怖いね。首都高や東名も路面が悪く、クルマが多い。それでも、飛ばせるチャンスがあれば飛ばすよ。人に迷惑かけないのならいいと思っているから。

走り、スピード。これだけは、どんなに歳をとっても止められない。クルマがただ移動の道具だけだったら、オレはクルマを手放すよ。

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雨さんとDaiちゃん、いまやふたりとも70歳オーバーですが、「走り屋魂」は変わっていませんね。尊敬いたします! これからもチューニング界のトップを全開で走り抜けてください。

[OPTION 1983年6月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

RE雨宮自動車の雨さんとDaiちゃんの「My ROAD東京サーキット」【Daiちゃん編】(http://clicccar.com/2017/05/15/467115/)

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