円の行方、ドルの行方 (108) マーケットセンターによって気質に変化

円の行方、ドルの行方 (108) マーケットセンターによって気質に変化

画像提供:マイナビニュース

海外各地のトレーダーには特色があり、随分授業料を払いつつ、彼らの実地のトレーディングスキルを学びました。そんな話から、得るものもあるかと思いますのでご披露致します。

○ロンドンのディーラーの特色

まずは、ロンドンです。私の海外赴任の地で、そこで一からトレードを学びました。もちろん、本を読んで学んだこともありましたが、最前線で、実弾で教わったこともあり、特に実戦編は今でもはっきりと覚えています。

ロンドンのディーラーとパブは切っても切れない関係があり、私もちょくちょく顔を出していました。そのうち、それぞれ別々の米銀行でトレーダーをしている2人のイギリス人ディーラーと仲良くなりました。気のいい連中でしたが、隙は与えられないなと思った小事件がありました。

当時私が担当していたのは、いわゆるフォワードという皆さんがスワップディールでポジションをキャリーするときに、機械が自動的にスワップ取引をするのを、もっと金額を大きくそして期間も6カ月や1年かけてやるものです。一般的にFXと呼ばれるスポット取引より、変動幅が限られる分、大口でやるのがフォワードディールです。

そして、ある日のこと、ブローカー(仲介業者)から、すまないがマーケットをサポートしてくれないかと頼まれました。フォワードのサポートとは、フォワードには期間がたくさんあり、短いものでは、オーバーナイト(一夜越)から、一般的には1年までありましたが、これらの価格をブローカーをサポートするために市場に提示することを言います。

そのとき、この各種の期間全てサポートしましたが、ものの5分も立たないうちに同方向のプライスがたたかれ、取引が成立しました。ブローカーに取引明細を聞いてみると、なんとあのパブで親しくやっていた2人でした。そしてマーケットの価格はドンドン自分に不利な方に動いてしまったことから、諦めて、ポジションのあった全ての期間を、手仕舞うことにしました。

そして、そこで、またびっくり! 相手の名前がまたすっかり同じ2人で、やっとブローカーもつるんだ一芝居だったことに気づきました。「はめられた!」と思いましたが、こうやって鍛えてもらうっていると思えばそれほどくやしさもありませんでした。

しかしそれから2〜3年後、懐の深い東京に戻ってきたとき、ひとりで一歩も引かずに彼らを押し返して損切りさせたときは、まさにざまあみろでした。

○香港・シンガポールのディーラー

話は、今度は、香港・シンガポールのディーラーに変わります。彼らは主に米銀のディーラーでしたが、皆中国人ディーラーでした。彼らのやり口はパワフルでかつ巧妙で、東京のディーラーなど戦々恐々でした。

彼らが良くやる手口は、東京のディーラーのほとんどに同時にたとえば売り込んでロングにさせ、慌てふためいているところを再びディーリングマシンで呼んで、あたかもまた売るように思わせておいて、東京が下げ目にしたプライスで思いっきり買い戻すというやり方でした。これにより、東京のディーラーは大きく損失をだし嘆いていました。

○ニューヨークのディーラー

ニューヨークは、ロンドンがたたき上げなのに対して、基本的には高学歴で、トレーディングスタイルもファンダメンタルズ重視の長期ポジションを持つことが一般的でした。

ですので、ロンドンのような細かい売り買いにはあまり興味がなく、もっと長期のポジションを取ろうとします。しかし、気質はロンドンと違い、自分以外はライバルという競争社会で、本当に米人ディーラーは、友人がいない孤独な人達でした。

このように、マーケットセンターによって気質も違います。どこがどういった気質かを知ることによっても、トレードのスタイルは変えなくてはなりませんので、ご注意ください。

※画像は本文とは関係ありません。

○執筆者プロフィール : 水上 紀行(みずかみ のりゆき)

バーニャ マーケット フォーカスト代表。1978年三和銀行(現、三菱東京UFJ銀行)入行。1983年よりロンドン、東京、ニューヨークで為替ディーラーとして活躍。 東京外国為替市場で「三和の水上」の名を轟かす。1995年より在日外銀において為替ディーラー及び外国為替部長として要職を経て、現在、外国為替ストラテジストとして広く活躍中。長年の経験と知識に基づく精度の高い相場予測には定評がある。なお、長年FXに携わって得た経験と知識をもとにした初の著書『ガッツリ稼いで図太く生き残る! FX』が2016年1月21日に発売される。詳しくはこちら。
(ストラテジスト 水上紀行)

関連記事(外部サイト)