なぜ消えた食堂車 変わったそのあり方

食堂車終了 速度や編成原因?

なぜ消えた食堂車 変わったそのあり方

なぜ消えた食堂車 変わったそのあり方

寝台特急「トワイライトエクスプレス」の食堂車。札幌行き列車では昼、夜、朝の3食を食べることができた(2014年10月、恵 知仁撮影)。

かつて新幹線や寝台特急、昼行特急など多くの列車に連結されていた食堂車。しかし現在は、全く異なる状況になってしまいました。その背景には、どんな理由があるのでしょうか。

明治時代に登場した食堂車

 かつて東海道・山陽新幹線や寝台特急、昼行特急などに連結されていた食堂車。列車移動のついでに予約なしで利用でき、そこでは和食から洋食まで、厨房で調理されたできたての温かい料理が提供されていました。

 日本の鉄道における食堂車は1899(明治32)年、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)を走る列車に「食堂付1等車」が連結されたのが始まりとされています。その後、戦争をはさみつつ、鉄道の発展とともに食堂車を連結する列車も増えていきました。

 山陽新幹線が博多駅まで延伸した1975(昭和50)年の時刻表を見ると、新幹線「ひかり」をはじめ、東京と九州を結ぶ寝台特急「さくら」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」などのほか、西日本側では鹿児島本線の特急「有明」、日豊本線の特急「にちりん」、山陰本線の特急「まつかぜ」、紀勢本線の特急「くろしお」、北陸本線方面の特急「白鳥」「雷鳥」「北越」「しらさぎ」などに食堂車が連結されているのがわかります。

 東日本側では、上越線方面の特急「とき」「はくたか」、信越本線の特急「白山」「あさま」、東北本線や常磐線方面の寝台特急「はくつる」「ゆうづる」、特急「はつかり」「みちのく」「やまびこ」「やまばと」「ひばり」「ひたち」、北海道内を走る特急「おおぞら」「おおとり」「北斗」「オホーツク」などで食堂車が連結されていました。

 昭和から平成になるころには、東海道・山陽新幹線の2階建て車両を使った食堂車や(100系)、寝台特急「北斗星」の豪華志向な食堂車「グランシャリオ」なども登場。しかし一方で営業を休止したり、車両の連結自体がなくなる列車も相次ぎ、食堂車はしだいに珍しいものになっていきます。

食堂車が消えた理由は? 変わったそのあり方

 新幹線から食堂車の営業が終了したのは2000(平成12)年3月。100系「グランドひかり」の食堂車が最後です。

「グランドひかり」を運行していたJR西日本は、新幹線の食堂車を廃止した主な要因として、列車が高速化し、それにあわせるように食堂車の利用客が減っていったことを挙げます。

 また、JR東海の初代代表取締役社長を務めた須田 寛さんも著書『東海道新幹線II』(JTBパブリッシング)のなかで、「新幹線のような長編成の場合最前後部の車両から出向くには往復300〜400m揺れる車内を歩かねばならず、混雑時は移動そのものも容易ではなく時間もかかったので、列車がスピードアップされて旅行時間が減る中ではこのようなサービスは乗客のニーズに合わなくなってきた」と述べています。

 近年において「食堂車」は一般的な列車のものではなく、JR九州の「ななつ星in九州」といった豪華クルーズトレインや、西武鉄道の「西武 旅するレストラン 52席の至福」など観光列車のものになってきました。

 とはいえ「食堂車」、あり方は変わったとはいえ、車窓を眺めながら温かい料理を楽めるという魅力は、これからも不変でしょう。

【写真】新幹線の2階建て食堂車

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