ミグとスホーイ合併へ 旧ソ連機の代名詞と現ロシア主力機メーカー ブランドは存続か

ミグとスホーイ合併へ 旧ソ連機の代名詞と現ロシア主力機メーカー ブランドは存続か

手前がミグ MiG-29、奥がスホーイSu-27。どちらも同じ中央設計局の一部署としての時代に開発されたため、大きさがひと回り違う以外はそっくりである(関 賢太郎撮影)。

旧ソ連機の代名詞ともいえるミグ社と、同社のライバルで現行主力機メーカーであるスホーイ社の2019年内合併が発表されました。両社はこれまで、どのような歴史を歩んできたのでしょうか。

ロシア戦闘機メーカーを代表する2社が合併へ

 2017年6月20日(火)、ロシアの各航空機メーカーを傘下に有する国策企業「ユナイテッドエアクラフトコーポレーション(UAC)」のユーリ・スリウザー社長は、同国の戦闘機メーカーを代表する「ミグ(MiG)」と「スホーイ(Sukhoi)」の両社をUACの下で2019年内に合併・統合することを発表しました。

 ミグ、スホーイ両社ともに創設は1930年代であり、ソ連時代は航空工業省における航空機開発部門、中央設計局の一部署「ミグ(ミコヤン・グレビッチ)試作設計局」「スホーイ試作設計局」として戦闘機の開発を主に担当しました。そしてソ連崩壊後は会社化し現在に至ります。

 かつてソ連には戦闘機を開発する設計局が数多くありました。第二次世界大戦時はラボーチキン設計局やヤコブレフ設計局の戦闘機が主力として活躍しましたが、戦争終結後のジェット化においていち早く頭角を現し始めたのがミグ設計局です。

冷戦期のソ連機の代名詞ミグ社、栄華の日々

 ミグとは創設者であるミコヤンとグレビッチの頭文字をとった「MiG(M&Gの意)」に由来し、1946(昭和21)年には他設計局のライバル機に先んじてソ連初となるジェット戦闘機MiG-9の量産化に成功します。またミコヤンの実兄が共産党幹部であることもミグ設計局の躍進を助けました。

 MiG-9は機関砲を撃つとエンジンが止まる大変な欠陥機でしたが、その後継となるMiG-15が大成功をおさめて以降、発展型のMiG-17、ソ連初の超音速戦闘機MiG-19、1万機以上生産された唯一の超音速機MiG-21、可変後退翼多用途戦闘機MiG-23/27、人類最速の実用戦闘機MiG-25など、ソ連製戦闘機の代名詞として冷戦を通じ「ミグ」の名が用いられるほど、多数の傑作機を生み続けました。

 一方のスホーイ設計局は悲惨でした。創設者のスホーイが独裁者スターリンに疎まれたとも言われ、一時期は設計局の長であるスホーイ自身がツポレフ設計局に左遷されてしまうなど、不遇の日々を送らざるをえませんでした。しかしながらスターリン死後あらためてスホーイは自身の設計局を再建、最初に実用化したSu-7やその可変後退翼型Su-17は東側諸国の主力戦闘爆撃機となり、スホーイはミグに次ぐ存在に成長します。

合併後もブランド名は存続か

 両社のパワーバランスが変化したのは1980年代に登場した現主力機である軽量戦闘機MiG-29、大型戦闘機Su-27の登場からでした。どちらも異なる性格の戦闘機として大成功をおさめますが、ソ連崩壊後ロシア空軍の主力を占めるに至ったのはSu-27でした。現在もロシアでは老朽化したMiG-29やSu-27を、性能向上型であるMiG-35、Su-35など派生型に置き換えるため、新規生産が続いています。

 ただスホーイはすでに次世代ステルス戦闘機T-50 PAK-FAを開発中であり、またリージョナルジェット(小型旅客機)「スーパージェット100」の量産が進んでいるのに対し、ミグはステルス戦闘機においてスホーイに敗れ、次世代練習機もヤコブレフYak-130に敗れるなど、やや厳しい状況に追い込まれつつありました。

 両社合併後はUACにおける戦闘機のブランド名としてミグ、スホーイの名は残り続ける見込みであり、おそらくT-50 PAK-FAもスホーイ製であることを表す「Su-xx」の名称が与えられるのではないかと思われます。ミグブランドもまだまだMiG-35の受注が期待できることや、実用化されるかどうかは不明ですがロシア空軍の長距離大型迎撃戦闘機MiG-31の後継機開発に意欲を示しているので、当面存続し続けることでしょう。

【写真】ソ連初のジェット戦闘機、MiG-9

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