東京モノレール、なぜ浜松町発着? 北への延伸は「幻」に終わるか

東京モノレール、なぜ浜松町発着? 北への延伸は「幻」に終わるか

開業から半世紀以上が経過した東京モノレール(2014年1月、草町義和撮影)。

羽田空港アクセス路線として知られる東京モノレールは、東京都心側のターミナルである浜松町駅の改良を進めてきました。しかし、乗り入れている路線が多い新橋駅や品川駅にターミナルを設置しておけば、もっと便利だったはず。なぜ浜松町にターミナルを設けたのでしょうか?

乗り換えは便利になったけど…

 東京モノレールといえば、羽田空港のアクセス路線として昔から有名です。東京都心側のターミナルは、JRの山手線と京浜東北線が乗り入れている浜松町駅(東京都港区)。東京モノレールとJR東日本は、この駅での乗り換えを便利にするための改良を進めてきました。

 2002(平成14)年7月、それまで通過していた京浜東北線の快速電車が停車するように。翌2003(平成15)年7月には、JR線とモノレールのコンコースをつなぐ連絡通路も整備されました。この通路はJR線からモノレールへの一方通行でしたが、2018年3月17日(土)からはモノレールからJR線への乗り換えもできるようになり、さらに便利になりました。

 ただ、浜松町駅には東海道線や宇都宮線、高崎線、常磐線(上野東京ライン経由)の列車が停車せず、これらの路線からモノレールに乗り換えるのは手間がかかります。そもそも、浜松町駅の周辺には、古くからの繁華街で東海道線の列車も停車する新橋駅や、東海道線と山手線が分岐する品川駅などがあります。東京モノレールはなぜ、浜松町より乗り入れ路線が多くて便利な新橋などにターミナルを建設しなかったのでしょうか。

 東京モノレールの計画が浮上したのは、いまから約60年前の1959(昭和34)年です。この年の5月、オリンピックを東京で開催(1964年)することが決まり、東京の開発を促進しようとの機運が高まっていました。まず8月、モノレール運営会社の大和観光が発足。同社は新橋〜羽田空港間を結ぶモノレールの計画を立てて、10月に国に申請しました。最初の計画では新橋に乗り入れるはずだったのです。

 翌1960(昭和35)年には大和観光の経営陣が入れ替わり、社名も日本高架電鉄に変更されました。日本高架電鉄は1961(昭和36)年1月、大和観光が申請していた計画を取り下げて新しい計画を国に申請しましたが、新橋と羽田空港を結ぶ計画自体に大きな変化はありませんでした。

駅前が駅の予定地だった

 このときの計画図によると、モノレールの新橋駅は現在のJR新橋駅の南東側になる新橋駅前ビル2号館のあたりに設置。ここから1号館のある場所を通って北上し、現在は汐留シオサイトとして再開発された汐留貨物駅を回り込むようにして南下することになっていました。その先も旧芝離宮恩賜庭園の東側や芝浦運河を通る計画で、いまとは異なるルートになるはずでした。

 ところが、計画ルート上にある芝浦運河では、付近の住民がモノレールの建設に反対し、建設が難しい状況になったといいます。こうしたなか、浜松町駅の西側にあった都営バスの車庫跡地を確保できる見通しになったことから、ターミナルの位置を新橋から浜松町に変更。浜松町から芝浦運河を通らずに空港を目指すルートに変わったのです。

 ターミナルの位置やルートを変更した日本高架電鉄は、急ピッチで工事を進めました。オリンピック開催年の1964(昭和39)年には、社名を東京モノレールに変更。同年9月17日、浜松町駅と羽田駅(羽田空港が拡張される前の旧駅)を結ぶ区間が開業しました。その後、羽田空港の拡張に伴うルートの変更や延伸を経て、いまに至っています。

 新橋への乗り入れは1966(昭和41)年1月に中止されましたが、その後も北に延伸して新橋駅や東京駅に乗り入れる構想が、ときどき浮上しています。JR線の上にモノレールの高架桁を建設し、浜松町駅から新橋駅や東京駅まで伸ばすことが考えられているようです。

 ただ、最近はJRの貨物線を活用して羽田空港に乗り入れる「羽田空港アクセス線」の構想が浮上しました。国やJR東日本も羽田空港アクセス線の整備を推進していく姿勢を示しており、東京モノレールの新橋乗り入れは再び幻に終わりそうです。

【地図】全体のルートもいまとは違う

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