YS-11のたどった航跡といま 戦後初の国産旅客機、残る自衛隊機も退役すすむ

YS-11のたどった航跡といま 戦後初の国産旅客機、残る自衛隊機も退役すすむ

あいち航空ミュージアムに展示されている航空自衛隊のYS-11P(石津祐介撮影)。

「戦後初の国産旅客機」という肩書が広く知られるYS-11ですが、そもそもどのような飛行機なのでしょうか。商用運航からすべて引退したいまも、自衛隊機はまだ運用が続いているのはなぜでしょうか。2018年5月の現状を交え解説します。

戦後初の国産旅客機が描いた航跡

 2018年5月11日(金)、エアロラボインターナショナル社(大阪府八尾市)が保有するYS-11が、高松空港から飛び立ち、能登空港へと飛行しました。高松空港にて飛行可能な状態で保存されていたものです。

 戦後初の国産旅客機で、民間から公官庁まで様々な用途で利用されてきたYS-11は、国内の民間ではすでにすべての機が引退しています。財団法人日本航空協会によりますと、日本国内では自衛隊以外で飛行可能なYS-11はエアロラボ社の機体のみで、航空遺産として羽田空港に保存されている量産初号機は保存のためにメインテナンスは続けているものの、飛行する予定はないとのことです。

 海外では2000年代前半頃まで、フィリピンやインドネシアなどで使われていたようですが、現在ではその多くは動態保存、もしくはスクラップにされたようです。

 上述のエアロラボ社の機体は、もともと国土交通省の航空局が保有していたもので、退役後同社が購入し動態保存していたものです。海上自衛隊や海上保安庁など、官公庁の保有機体も退役が進み、2018年5月現在、いわゆる現役のYS-11は、航空自衛隊で使用されている機のみとなりました。しかし、それらの機体も後継機が決まっており、あと数年で現役を終えると見られます。

 長年、日本の空で活躍したYS-11とは、どのような航空機だったのでしょうか。

YS-11の誕生から生産終了まで

 1945(昭和20)年、太平洋戦争の敗戦によって連合国に占領された日本は、占領軍により航空機の研究、開発や運用が禁止されていました。1952(昭和27)年に締結されたサンフランシスコ講和条約により再び独立し、航空機の開発、運用がようやく解除となります。

 占領政策により停滞した日本の航空産業でしたが、1956(昭和31)年に国産旅客機の開発計画が立ち上がり、1957(昭和32)年には輸送機設計研究協会が設立され、零戦を設計した堀越二郎をはじめ戦前の航空機産業を支えた技術者たちが集まり開発がスタートします。ちなみにYSの名は輸送機設計研究協の「輸送機のY」と、「設計のS」から、11は最初の1がエンジン候補の番号、次の1が機体の採用案の番号となっています。

 1959(昭和34)年には研究会は解散し、官民共同の特殊法人である日本航空機製造株式会社が設立され開発を引き継ぐことになりました。そして1962(昭和37)年には、名古屋空港で試作第1号機が初飛行に成功します。しかし、機体の安定性などに問題があり、そのため改修を余儀なくされ、民間での運用は初飛行から3年後の1965(昭和40)年となりました。

 航空自衛隊への導入は1965(昭和40)から始まり、人員輸送型のYS-11P、貨物輸送型のYS-11C、飛行点検型のYS-11FCなどが導入されました。ほかに海上自衛隊、海上保安庁や航空局などの公官庁でも採用されました。

 海外へも積極的にセールスを行い、アジアやアメリカ、南米でも導入され好調なセールスを記録しますが、海外デベロッパーとの取引トラブルや部品供給の遅れなど様々な問題が生じます。そして市場でのシェア拡大を優先したため、原価割れでの販売を続けてしまい、結果的に経営赤字に陥ります。やがてこのままでは黒字転換は無理と判断され、1971(昭和46)年4月には生産中止が決まります。そして1983(昭和58)年に日本航空機製造は解散。YS-11は合計で182機が製造されました。

商用運航は終了するも

 YS-11には様々なバリエーションが製造されましたが、民間では基本的には初期型のYS-11と改良型のYS-11Aのふたつのタイプが存在しました。

 機体のサイズは、全長は26.3m、全高8.98m、全幅は32.0m。乗員は2名で、定員が56名から64名、巡航速度は470km/hから480km/h、航続距離は貨物や人員の満載時で1090km、最大で2200km。エンジンはロールスロイス・ダートが使われていました。

 低速での安定性に優れ、燃費もよく、1200mの滑走路があれば離着陸できるため、おもに地方路線で活躍していましたが、機体の老朽化や衝突防止装置の装備が義務付けられたため、路線からの引退が進み2006(平成)年9月のラストフライトで日本における商用運航が終了します。

 YS-11の開発には軍用機の技術者が中心になって進められたこともあり、極めて丈夫な機体でしたが、振動や騒音はかなり強く、旅客機としての評価は決して高いものではありませんでした。

 民間の商用運航からはすでに引退していますが、一方でその丈夫さゆえに航空自衛隊ではいまだ現役です。自衛隊では、民間機のように衝突防止装置の装備が義務付けられておらず、また民間に比べて機体の飛行時間も短いため、長年にわたって使われ続けています。すでに引退したYS-11Pや現役のYS-11FCはオリジナルのダートエンジンが使われていましたが、電子戦訓練機のYS-11EAと電子情報収集機のEBには退役した海上自衛隊の対潜哨戒機P-2JのエンジンT64を換装した「スーパーYS」へと改造されています。

引退後の余生は…?

 名古屋空港で最終組み立てし、初飛行が行われたYS-11。そのゆかりの地とも言える同空港に隣接する「あいち航空ミュージアム」には、航空自衛隊のYS-11Pが展示されています。この152号機は人員輸送機として1965(昭和40)年に航空自衛隊へ納入された機体で、VIPの輸送任務にも使われ、昭和天皇も搭乗されたことのある貴重な機体でした。長年にわたり活躍した同機は、2017(平成29)年5月29日に引退し、所属先の美保基地から小牧基地へラストフライトを行いました。

 この機体がミュージアムへ展示されることとなった背景には、愛知県の航空産業の歴史において重要な存在であり、現在、開発と製造が進んでいるMRJにつながるものがあったからといいます。ミュージアムによりますと、機体を実際に動かす動体展示の予定はありませんが、VIP仕様である機内の一般公開は特別企画として行うとのことです。

 航空自衛隊のYS-11が展示されているのは、先述のあいち航空ミュージアムだけですが、民間のYS-11は各地に展示されており、戦後の日本航空産業の象徴ともいえる同機の余生を見ることができます。

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