高速バス「大都市間路線」が「ドル箱」になるまで 東京〜大阪・名古屋・仙台 遅れた開拓

高速バス「大都市間路線」が「ドル箱」になるまで 東京〜大阪・名古屋・仙台 遅れた開拓

JRバス各社は東名・名神の路線に2階建てバスを多く投入した。写真はジェイアール東海バスの車両(2016年12月、恵 知仁撮影)。

首都圏〜京阪神間、あるいは首都圏〜仙台間といった高速バスの「大都市間路線」では多数の業者が競合し、サービスや価格の面でしのぎを削っています。しかし、その市場は近年になって開発が進んだものでした。

歴史は古いが… 苦戦した東名、東北区間

 高速バスどうしの競争が最も激しいのが、首都圏と京阪神、名古屋、仙台を結ぶ区間、つまり「大都市間路線」です。そう聞くと、「日本を代表する“大動脈”だから当然」と思うかもしれません。しかし、実際はその逆です。「地方から都市への足」として成長してきた高速バス業界のなかで、長い間、大都市間路線は市場開拓が遅れていました。近年、ウェブマーケティングの登場で急成長し、それがちょうど規制緩和と重なったことで、多数の新規参入事業者が競い合う特別な市場を作り上げたのです。

 もっとも、これらの路線が長い歴史を持つことは間違いありません。東名高速が全通した1969(昭和44)年、東京駅〜名古屋駅間と東京駅〜大阪駅間で、国鉄バス(現・JRバス各社)が運行を開始しました。また、渋谷(東京)〜名鉄バスセンター(名古屋)間では東名急行バスも同時に開業しています。同社は、沿線の乗合バス事業者(東急、小田急、富士急、静岡鉄道、遠州鉄道、名鉄ら)が共同出資し設立された、高速バス専業の事業者です。

 東京〜仙台間では高速道路の整備は遅れましたが、一般道経由で、東北急行バスが1963(昭和38)年から運行していました。同社も、東名急行バスと同様の形態で沿線の乗合バス事業者により設立された会社です。運輸省(当時)は、民間バス事業者が都市間路線に参入するに際し、そのような形をとるよう指導していたのです。

 しかし東名では、“お役所意識”の強い国鉄バスも、複数社による平等な出資で経営責任が明確でない東名急行バスも集客に苦戦し、東名急行バスはわずか6年で会社解散となります。仙台線を運行した東北急行バスも、1982(昭和57)年に東北新幹線が開通するとシェアを落とし、事実上、東武グループ入りします。2002(平成14)年には資本の面でも東武鉄道の完全子会社となりました(現在は東武グループの高速バス事業者として東北以外へも多数の路線を運行中)。

高い参入障壁、都市のバス事業者ならではの「弱み」

 1980年代半ば、起終点側のバス事業者による「共同運行」制が認められると、私鉄系事業者も大都市間路線への参入を図りましたが、越えなければならない“壁”がありました。当時は「マルチ・トラック」(同一区間で複数事業者が競合する状態)が認められず、国鉄バス(現・JRバス各社)らの先行路線と同一区間には参入できなかったのです。

 首都圏で高速バス最大手格だった京王帝都電鉄(現・京王バス東など)は、名古屋や京阪神で同じ立場にある名古屋鉄道(現・名鉄バス)や阪急バスとの共同運行が実現せず、名古屋線はいったん断念(規制緩和後の2002年に開業)し、大阪線は近畿日本鉄道(現・近鉄バス)と共同で新宿〜上本町・あべの橋間を開業します。JRバスが大阪駅(梅田)発着であったため、上本町・あべの橋発着であれば同一区間ではないとして新設を認められました。

 同様に、郊外の衛星都市や観光施設(千葉、東京ディズニーランド、大宮、立川、八王子、川崎、横浜および京都、枚方、奈良、和歌山、神戸など)を起終点として、私鉄系事業者が路線を増やす動きが活発化します。市場規模が大きい首都圏〜京阪神間ゆえに、一時は相当な路線数となりました。

 しかし、地方部の乗合バス事業者が、不動産開発や小売など幅広く生活関連産業を展開し地元で大きな販売力を持つのに比べると、大都市の事業者は、細分化された自社のエリア内では強いものの、首都圏全体、京阪神全体での販売力は限定的です。また、大手私鉄の一部門や子会社が中心で、バス事業者の存在感も大きくありません。大都市の消費者には高速バスの認知が進まず、市場開拓の余地(潜在需要)は十分に残されたままでした。

 その状況を変えるきっかけとなったのが、2002(平成14)年の道路運送法改正により容認された「高速ツアーバス」の登場です。法的には旅行業法に基づく募集型企画旅行という形態ながら、コースの中身は都市間移動だけ、というもの。中小旅行会社が中小貸切バス事業者をチャーターすれば、運行コストを低く抑えることが可能なうえ、何事にも国の許認可が必要な従来の高速バスに比べ、自由に商品を設定することもできました。ただし、当初はニッチ商品の域を出ませんでした。

「高速ツアーバス」急成長の裏に「集客のプロ」の存在

「高速ツアーバス」は、2005(平成17)年に大手旅行予約サイト(OTA:Online Travel Agency)が取り扱いを始めると、急成長を開始します。同年に年間約21万人であった「高速ツアーバス」利用者数は、2010(平成22)年には約600万人まで増加しました。

 従来の高速バス事業者もウェブ予約を開始していましたが、「予約ツール」(電話予約の代わり)という位置づけに過ぎませんでした。一方OTAらは、自ら様々なウェブ広告の手法を用いて高速バスの需要を喚起し、その対価として「高速ツアーバス」の企画実施会社(旅行会社)から「送客手数料」を受け取る「集客のプロ」でした。

 彼らは、従来の高速バスが大都市部で市場開拓に遅れていた点に着目し、大都市どうしを結ぶ路線に特化してマーケティングを展開します。その結果、たとえば首都圏〜仙台間において、高速バス(従来の高速バスと「高速ツアーバス」の合計)の年間輸送人員は、2006(平成18)年からの6年間で5倍以上に成長したのです。

 なお、従来の高速バスとほぼ同じ商品なのに法令上の取り扱いが異なる点や、「高速ツアーバス」の運行に関わる貸切バス事業者のなかに安全性に問題がある者が含まれていた点が問題となり、2013(平成25)年夏、法令上、両者は一本化されました。また、当初はOTAでの取り扱いを拒否した従来からの高速バス事業者らも、現在ではOTAを上手に活用しています。

大都市間路線「ならでは」の特徴とは?

 そのようにOTA主導で成長した近年の大都市間路線には、高速バスの主流である地方路線とは異なる特徴があります。ひとつは、市場の急成長に合わせ数多くの新規参入があり、同一区間に多数のバス事業者がひしめきあい競合している点です。

 乗客はまず、OTAなど予約サイトを訪れ、乗車日や乗車区間(例:東京都→大阪府)を指定して空席を検索します。その検索結果には、複数の事業者による多数の便が並びます。各バス事業者の立場から見ると、競合のなかでひとりでも多くの乗客に選んでもらえるよう工夫しないといけないのです。たとえば個室タイプなど豪華な座席、女性を意識した内外装やアメニティグッズ、シャワーブースが充実した待合施設などです。反対に、夜行便であっても4列シート、トイレなしで格安運賃を売りにする便もあります。

 もうひとつ、需要に合わせて運賃が細かく変動する点も、OTA主導で成長した路線の特徴です。高速バスの運賃は従来、国に届出が必要(以前は認可も必要)であったため、柔軟に変動させることができませんでした。一方で「高速ツアーバス」は、前述のとおり法的には「旅行商品」という位置づけで国への届出などは不要だったため、ホテルや航空業界で導入されている「レベニュー・マネジメント」という手法を用いて、需要予測に合わせて価格を変動させていました。

 現在では制度も改正され、従来からの高速バス事業者も季節や曜日によって運賃が異なります。なかでも、運賃をその時々で変動させる手法は、「ダイナミック・プライシング」とも呼ばれています。

「安さ」だけで選ばない市場環境をつくるには

 そして現在は、リピーターを囲い込むため、「ブランド化」の手法も採られるようになりました。たとえばウィラーは、印象的なピンクのカラーリングで車両を統一し、自社で使えるポイントサービスを充実させ「指名買い」を増やしています。「VIPライナー」を運行する平成エンタープライズは、逆に外部の共通ポイントプログラムに加入し、幅広く顧客を誘い込む戦略を選びました。

 このような新興勢力を迎え撃つ西日本ジェイアールバスも、女性アイドルを「アンバサダー」に起用し、伝統ある路線愛称「ドリーム号」を「ブランド」に昇華させる試みに取り組んでいます。

 それでも、「とにかく安い便を選ぶ」という価格志向の乗客も少なくありません。需要が落ち込む平日に運賃を下げて乗車率を確保するという手法は間違いではありませんが、過度な値下げ合戦となるようでは、「レベニュー・マネジメント」とは呼べません。各事業者が安全性を含む品質の向上に取り組むと同時に、OTAなどサイト運営会社は、その取り組みを「可視化」して、乗客が品質と価格のバランスを見極めて予約する、という市場環境を作り上げることが重要です。

 成長開始が遅かったぶん、ウェブマーケティングやレベニュー・マネジメントといった手法を取り入れやすかったのが大都市間路線です。このノウハウが今後、高速バスの主流である地方向け路線にも展開されていくことが期待されます。

【写真】国鉄の「東名高速バス」専用車第1号

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