ここまで変わるか! JR鶴見線 横浜&川崎を走る「都会のローカル線」乗って体感した

ここまで変わるか! JR鶴見線 横浜&川崎を走る「都会のローカル線」乗って体感した

JR鶴見線の本線の終点、扇町駅(2019年4月、蜂谷あす美撮影)。

横浜市と川崎市を走るJR鶴見線は、乗客の少なさや運行本数などから「都会のローカル線」とも呼ばれています。しかし平日は、時間帯によっては3両編成の電車が混雑する通勤路線に。がらりと変わる鶴見線のふたつの顔を見てきました。

土休日の大川行きは1日たった3本

 東京近郊の列車といえば「待てば来る」というイメージがありますが、そんな常識を覆すのが横浜市鶴見区と川崎市川崎区の臨海部を走るJR鶴見線です。

 鶴見線は、鶴見〜扇町間の本線7.0km、浅野〜海芝浦間の通称「海芝浦支線」1.7km、武蔵白石〜大川間の通称「大川支線」1.0kmで構成される鉄道路線です。この鶴見線、土休日ダイヤの昼間を見ると、本線の途中駅である浜川崎までは1時間あたり1〜2本の運行がありますが、終点の扇町や支線の海芝浦に行こうとすると、運行本数は1〜2時間に1本程度。さらに、大川行きに至っては1日3本のみ。また、車内も比較的空いていることから、「都会のローカル線」と紹介されることもしばしばあります。

 しかしこれが平日ともなれば、鶴見線はまったく違う表情を見せます。それを知るべくまず向かったのは、平日朝の、鶴見線の始発駅である鶴見駅です。時刻は7時半を少し過ぎたところでしょうか。首都圏ではちょうど通勤ラッシュに突入する時間帯で、鶴見線乗り場もご多分にもれず、スーツ姿の人が大勢列車を待っていました。

 鶴見線は本線とふたつの支線で成り立つ路線であるものの、ほとんどの列車は、ここ鶴見駅を発着します。このうち今回私が選んだのは大川行きです。大川支線は、平日は1日9往復と、土休日の3倍の本数が走っているものの、それらはすべて朝夕に偏っており、日中の運行はありません。つまり、この時間帯の列車を乗り逃すと、次の乗車チャンスは夕方まで巡って来ないのです。

 乗り込んだ8時01分発、3両編成の大川行きは、隣の人とギリギリ触れないくらいの混雑具合。前述のとおり、鶴見線は複数の終点に向かって走っていることから、車内では「この列車は大川行きです。お乗り間違えにご注意ください」のアナウンスが流れていました。

通勤客の向かう先は

 列車は鶴見駅を発車後、国道、鶴見小野と本線の駅に停車していきます。各駅で乗降はあるものの、乗車人数にさほど変化は見られません。一方、景色は一変。車窓からは民家が消え、辺りに工場が広がり始めます。「京浜工業地帯」といわれるエリアです。

 8時14分、終点の大川駅に到着すると、ひとつしかないホームはたちまち乗客であふれ返りました。私も人の動きに身を任せて歩きます。改札に係員はおらず、あるのは「Suica」などの交通系ICカードに対応した簡易型改札機です。皆さん、手慣れた様子でタッチし、黙々と歩みを進めていました。

 下車した人たちはどこに向かっているのか――眺めていると、大きく分けてふたつの流れがあることが分かりました。ひとつ目は、駅から数十メートル先に吸い込まれる流れ。看板を見ると「三菱化工機株式会社」とありました。さらに、もうひとつは駅の東側に続いています。人の流れに加わってみると、果たしてそこに現れたのは工業団地でした。

 薄々お気付きだと思いますが、大川支線を含めた鶴見線の平日の顔は、一帯の工業地帯で働く人たちをおもな対象とした「通勤輸送」です。ゆえに、朝夕の出退勤に合わせて列車も走り、日中、あるいは土休日は極端に本数が少なくなるのです。都心のビジネス街は、週末ともなれば途端に閑散となる所もあり、こういったエリアでは得てして飲食店や書店が「日曜定休」になりがちですが、なんとなく似たような趣があります。

 時刻は8時半。ホームからあふれるほどの人たちは、あっという間に出勤を終え、辺りは閑散としていました。どこかの工場の始業時刻なのでしょう、ラジオ体操のメロディがぼんやりと聞こえてきました。

 さて、そろそろ大川駅を出発する時刻です。8時49分発の鶴見行きに乗車しました。これを逃すと次の列車は17時15分。朝の仕事を終えた折り返しの列車はあからさまに空いていて、乗客は10人もいません。彼らと一緒に一区間だけ移動し、本線との乗換駅である安善駅で下車しました。

始業時刻を過ぎると、鶴見線は極端に変化

 ここで簡単に鶴見線のプロフィールを紹介します。鶴見線は、京浜工業地帯の礎を築いた浅野総一郎を中心に沿線各社が出資した「鶴見臨港鉄道」が前身。1926(大正15)年に貨物営業を開始し、工業地帯の工場や倉庫、埠頭のあいだで物資輸送などを行います。その後1930(昭和5)年からは、工場地帯で働く従業員の輸送を目的とした旅客営業も開始しました。つまり鶴見線というのは、戦前から現在に至るまで、通勤輸送の役割を変わらず担っているのです。一方で貨物輸送はというと、これも現役。下車した安善駅には広大な貨物ヤードが広がっており、石油タンク車が並んでいました。

 さてここからは、本線の終点である扇町駅を目指します。朝7〜8時台の鶴見駅では、扇町行の列車にも大勢の人が乗り込んでいました。しかし、安善9時04分発の扇町行は、全員着席してもおつりがくるほどのゆとりがあります。始業時刻を過ぎるとここまで極端に変化するとは驚きです。

 この日は天気も良く旅日和といったところ。駅間距離が短いせいか、列車の速度もあまり出ません。なんとなく地方私鉄に乗っているような、そんなまったりした心持ちになってくるのですが、車窓が映し出すのは、文明の権化のような京浜工業地帯。この車内と車窓の不思議な取り合わせが、鶴見線の魅力のひとつなのでしょう。

 終点の扇町駅で降りたのは4人でした。皆さん近隣の会社に用事があるらしく、足早に去っていきます。扇町駅も大川駅同様に、無人駅かつ簡易Suica改札機です。なお、鶴見線は鶴見駅以外すべて無人駅です。

扇町駅にいた大勢の、人ではない利用者

「扇町」、ちょっと変わった名前ですが、これは先ほど登場した浅野総一郎の浅野家の家紋が扇だったことに由来するもの。家紋があるならば、人名そのままの浅野駅も鶴見線にもちろん存在します。また、先ほど乗り換えた安善駅は安田財閥の祖である安田善次郎、武蔵白石駅は日本鋼管の初代社長である白石元治郎の名に由来しています。彼らもまた、鶴見臨港鉄道の設立に尽力しました。最初に訪れた大川駅も、数々の製紙会社を経営し、鶴見臨港鉄道の設立にも携わった大川平三郎に由来しています。

 扇町駅は小さな無人駅ですが、人以外の者が大勢います。猫です。話の本筋からそれますが、やたら野良猫が多いのも鶴見線の特徴で、それに呼応するように各駅には「猫に餌をやらないで」の張り紙が何枚も掲出されています。

 ここ扇町駅は、本線上の終点にあたるものの、線路はその先にも延びており、ちょうど貨物列車が走っていくのが見えました。ぶらぶらたどってみようと思います。……などと、ローカル線街歩きのような様相を醸し出していますが、ここは工業地帯。散歩向きの地域ではありません。道路は、トラックをはじめとした大型車がひっきりなしに通り過ぎていきます。

 地図を頼りに線路の延びるほうへ向かったところ、たどり着いたのは三井埠頭株式会社でした。一般の人は中に立ち入ることができないので、探索はここで終了。なお、この三井埠頭では輸入石炭を扱っており、先ほどの貨物列車はこの石炭輸送を担っています。

「元号駅」の昭和駅、なぜ昭和?

 いったん扇町駅に戻ったものの、次の列車まで時間があったので、線路沿いの道を徒歩で移動してみることにしました。工場マニアではないものの、運河の向こうに見える独特の景色に引き込まれ、ついつい写真を撮ってしまいます。こうして周囲に気を取られながら600mほど歩くと、いまをときめく“元号駅”のひとつ「昭和」駅に到着。「昭和時代に開業したから昭和駅?」……答えは現地に行けば分かります。昭和駅とほぼ隣接するようにそびえているのは「昭和電工」の広大な工場です。この昭和電工、前身を「昭和肥料」といい、駅名はここから来ています。

 さらにひと駅戻り、浜川崎駅へ。この駅は、JR南武線の浜川崎支線との乗換駅にあたりますが駅舎が分かれており、乗り換えには一度改札を出て道路を渡る必要があります。これは、鶴見線、南武線がかつて異なる会社線だったことによるものです。また、鶴見線側には、出口がふたつあるものの、片方はそのままJFEスチールの敷地に続いているため、一般の人は利用できません。

 浜川崎駅のような会社専用改札の最たる例は、海芝浦支線の海芝浦駅です。なんとここは駅舎自体が東芝エネルギーシステムズの敷地内にあるため、関係者以外は駅に隣接する海芝公園にのみ訪問できます。海に面した公園からの景観は抜群で、休日はちょっとしたデートスポットの様相を呈しており、ひとりで行くと少し切なくなります。

 最後に訪問したのは国道駅です。国道駅は国道15号(開業当初は国道1号)と交わる場所に位置しており、ゆえにこのネーミングという実に明快な一方で、開業当初からたたずむ駅舎は、時代を煮詰めたような、複雑な色合いを出しています。ホームから階段を下り改札を抜けると、そこは鶴見線の高架下。ひんやりとした空気が漂っています。さらに、駅壁面には戦争時の機銃掃射痕がいまもそのまま残っており、これまで見てきた工業地帯の駅とは、また違った趣があります。余談ですが、国道駅の辺りは海鮮問屋街なので、おいしい鮮魚をいただけておすすめですよ。

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