逆風吹く「駅弁」守れるのか 進む事業者の淘汰と助け合い、危機から復活のケースも

逆風吹く「駅弁」守れるのか 進む事業者の淘汰と助け合い、危機から復活のケースも

松山駅の駅弁「醤油めし」。事業者の廃業で一時販売が終了したが、別の事業者が復活させた(宮武和多哉撮影)。

長い歴史を持つ駅弁業界だけあって、その事業者は地域でも有数の企業になっていることもあれば、近年は後継者不足などで廃業するケースも増えています。業界全体に逆風が吹くなか、事業者どうしの助け合いや救済も進んでいます。

経営の多角化が「岐路」になったケースも

 2019年現在、コンビニ弁当の発達などにより、地域の駅弁が苦戦しています。2月から3月にかけて、JRの多くの特急や新幹線で車内販売が大幅に縮小され、駅弁を入手する機会が減少したほか、追い打ちをかけるように駅弁業界でも経営者の高齢化、後継者不足などが重なり、廃業も相次いでいる状態です。製造業者は、どのようにして生き残りを図っているのでしょうか

 駅弁の製造業者は、その駅の開設当時から1世紀近く営業しているケースも多く、古くから大量の弁当を作ってきたノウハウを生かし、地域最大手の仕出し弁当業者となっている場合もあります。1994(平成6)年に開催された国際的なスポーツイベント「アジア競技大会」期間中に、1日あたり4万8000食を供給した、広島駅の販売業者であるひろしま駅弁や、首都圏3工場から1日最大6万3000食を製造できる横浜駅の崎陽軒などが、その代表例でしょう。また浜松駅で営業する自笑亭のように、副業でフレッシュネスバーガーなどのフランチャイズ経営を行い、駅弁の販売を継続しつつ、事業の多角化に乗り出すケースもあります。

 一方、品川駅で営業していた常盤軒は、仕出し弁当やケータリングのノウハウを見込んだ大手の貸会議場業者に買収され、同駅での弁当販売から撤退しました(現在の品川駅では別の事業者が弁当を販売)。黒磯駅(栃木県那須塩原市)の事業者だったフタバ食品のように、駅弁のかたわらで製造していた氷菓(「サクレレモン」)がヒットしたことで、駅弁販売を休止し、そちらの製造販売に軸足を移した例も。ちなみに、フタバ食品の黒磯駅弁「九尾すし」は昭和天皇の好物として知られ、復活の要望も多いことから、現在では高速道路のSAや、宇都宮駅ビルなどで販売を再開しています。

日本最北の駅弁も復活 「助け合い」進む

 そうしたなか、地域で長年親しまれてきた駅弁を守るべく、事業者どうしの助け合いや、救済の事例も増えています。

 たとえば北海道の旭川駅で駅弁を販売する旭川駅立売商会は2004(平成16)年、同じ宗谷本線の終点である稚内駅の構内営業権を取得し、稚内駅での駅弁販売を復活させました。それまで稚内駅での販売をひとりで行っていた人が亡くなったためです。その後、2009(平成21)年には名寄駅(北海道名寄市)で営業していた角館商会が突然廃業し、宗谷本線の駅弁は旭川駅と稚内駅のみとなりました。

 愛媛県の松山駅では、2018年に廃業した鈴木弁当店の人気メニュー「醤油めし」を、岡山県の岡山駅で営業する三好野本店が再現し、松山駅での販売を復活させました。再発売にあたって三好野本店は、長年「醤油めし」を作り続けてきた鈴木弁当店の鈴木社長と念入りに試作を繰り返したといいます。

 復活した「醤油めし」はパッケージに「監修・鈴木弁当店」と記載されたことと、箸袋が「三好野本店」のものになった以外は、それ以前と変わりません。なお、三好野本店はそれ以前にも、高松駅の事業者だった高松駅弁を救済し、同駅の「アンパンマン弁当」「たこ飯」といった看板商品の販売を継続したこともあります。

 ちなみに、少し変わった方法で危機を乗り切った例も。アユの甘露煮を1尾まるまる詰めた弁当「鮎屋三代」などで知られる八代駅(熊本県八代市)の事業者「より藤」は、2000年代に設備の老朽化でまとまった資金が必要となった際、社長が当時の人気テレビ番組『クイズ・ミリオネア』に出場しました。正解を重ねて賞金額をアップさせ、必要とした250万円を獲得すると、すぐに「ドロップアウト」(それ以降の問題に挑戦せず、賞金を獲得)。その堅実さは経営にも表れているのか、その後は出張販売などで地道に業績を伸ばしています。

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