「としまえん」、豊島区じゃなく練馬区なのに、なぜ「としまえん」?

「としまえん」は豊島区ではなく練馬区 豪族・豊島氏の練馬城があったことに由来

記事まとめ

  • 遊園地「としまえん」は東京都豊島区ではなく練馬区の住宅街に立地している
  • 室町時代にこの地を支配していた豪族・豊島氏の「練馬城」があったことが由来だそう
  • 開園当時は現在のように乗り物などはなく、大きな公園だったという

「としまえん」、豊島区じゃなく練馬区なのに、なぜ「としまえん」?

「としまえん」、豊島区じゃなく練馬区なのに、なぜ「としまえん」?

としまえんの最寄り、西武線の豊島園駅。駅名看板などは現在のものと異なる(2010年7月、乗りものニュース編集部撮影)。

東京23区内の遊園地としまえん」。その名に反して、東京都豊島区ではなく練馬区の住宅街に立地しています。そもそも、かつて「練馬城」があった地に造られたものですが、なぜ「豊島」の名がついたのでしょうか。

実は人名に由来

「としまえん」は、株式会社豊島園が運営する1926(大正15)年開園の老舗遊園地です。住宅街のなかにあり、池袋から西武線、新宿から都営大江戸線で乗り換えなしに行けるというアクセスの良さもあってか、2017年度には年間およそ93万人が訪れています。

 最寄り駅は豊島園駅で、西武線のうち練馬駅から豊島園駅までの区間は路線名も豊島線といいます。ただ遊園地も駅も、所在しているのは東京都豊島区ではなく練馬区です。豊島園に、名前の由来を聞きました。

――なぜ「としまえん(豊島園)」なのでしょうか?

 もともと、室町時代にこの地を支配していた豪族である豊島氏の「練馬城」があったことに由来します。大正時代に練馬城址の土地を所有していた実業家の藤田好三郎が、東京に住む人の運動や園芸を奨励する目的で造成し、一般に開放したことが「豊島園」の始まりです。豊島氏にちなんで藤田が命名したものといわれます。

――開園当時はどのような遊園地だったのでしょうか?

 現在のように乗り物などはなく、大きな公園といった感じでしょう。開園当時の敷地は現在よりも広く、運動場やテニス場、ボート池などを備えた、まさに運動のための場所だったようです

「豊島」は豊島区だけではなかった

――現在も園内に、豊島氏や練馬城にちなむものなどはあるのでしょうか?

 園内にはありませんが、敷地の南側にあるウォータースライダー「ハイドロポリス」のあたりに練馬城があったとされ、そこからさらに南側の敷地外にある「どんぶり坂」と呼ばれる急坂は、お城の堀の跡とされています。

※ ※ ※

 豊島園は開園当時、「東京府北豊島郡上練馬村」に属していました。北豊島郡はかつて豊島氏が支配した地域の一部であり、おおむね現在の荒川区、北区、豊島区、板橋区、練馬区にあたります。「豊島」が関係する地名は、現在の豊島区に留まらない広範囲に及んでいたのです。

 1932(昭和7)年には、北豊島郡が東京市に編入され、現在の豊島区が成立(東京市豊島区)する一方、現在の板橋区と練馬区にあたる地域は板橋区(東京市板橋区)になります。戦後の1947(昭和22)年、板橋区から分離独立する形で練馬区が成立しました。

 豊島園によると、こうした過程で「所在地が『練馬区』になってしまったこともあり、『としまえん』という名称に不思議な印象を持たれるのか、よくお問い合わせいただく点です」といいます。なお、練馬区内にはほかにも、豊島園と同じく豊島氏の居城だった「石神井城」の地にある石神井公園など、豊島氏ゆかりの史跡や祭りが存在します。

 ちなみに、現在の西武豊島線は豊島園開園の翌年、1927(昭和2)年に、当時の武蔵野鉄道が豊島園へのアクセス路線として開業。武蔵野鉄道はやがて西武鉄道となり、豊島園の経営にも参画しました(豊島園は現在、西武グループの傘下)。なお都営大江戸線の豊島園駅は、1991(平成3)年に開業しています。

【写真】としまえん名物、112歳の回転木馬

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