超音速旅客機の夢は死なず 「コンコルド」退役までの一部始終と昨今の開発動向

超音速旅客機の夢は死なず 「コンコルド」退役までの一部始終と昨今の開発動向

ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に展示されている「コンコルド」(竹内 修撮影)。

「コンコルド」が世界の空から姿を消して久しく、人類はその間、ついぞ「超音速旅客機」という翼を取り戻せていませんでした。とはいえ、開発の灯はついえたわけではありません。かつての失敗は次につながり、まもなく芽吹く様子です。

「コンコルド」半世紀の光と影

 いま(2019年)から50年前の1969(昭和44)年3月2日、1機の旅客機の試作機が進空しました。その旅客機の名は「コンコルド」、2019年の現在に至るまで唯一、国際路線で運航された超音速旅客機です。

 1960年代初頭、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(当時)といった航空先進国は、超音速旅客機の研究を行なっていました。その後、超大国であるアメリカは政府主導の下、ボーイングが「ボーイング2707」、ソ連もやはり政府主導の下で、ツポレフ設計局が「Tu-144」の開発にそれぞれ着手しましたが、イギリスとフランスは、アメリカ、ソ連に匹敵する技術力は持っていたものの、超音速旅客機を開発するのに必要な資金が政府にも民間企業にも不足していました。そこでイギリス、フランスの両国は超音速旅客機の共同開発について話し合い、両国は1962(昭和37)年11月29日、共同開発協定に調印。その結果、生まれたのが「コンコルド」ということになります。

 イギリスとフランスは、1980年代にもユーロファイター「タイフーン」戦闘機の前身である、ヨーロッパ諸国が共同開発する戦闘機「ECA(European Combat Aircraft)」計画でも主導権を争い、最終的にフランスがECA計画を脱退してしまうなど、両国が関与する航空機の共同開発計画ではひと悶着起こることが多いのですが、「コンコルド」もその例外ではありませんでした。開発の主導権争いに加えて、名称を、英語表記の「Concord」にするか、フランス語表記の「Concorde」にするかも、両国の対立の火種になります。「コンコルド」は英語でもフランス語でも、「協調」や「調和」を意味しますが、名称は最終的にイギリスが協調性を発揮して、「Concorde」に落ち着きました。

 開発の主導権や名称で確執があったわりに、「コンコルド」の開発は比較的順調に進み、共同開発協定の調印からわずか5年後の1967(昭和42)年11月には、フランスのトゥールーズで原型機の公開にこぎつけています。

「コンコルド」最初の不運は「オイルショック」

 音速の2倍にあたるマッハ2.04毎時という、戦闘機の最大速度なみの速度で巡航飛行し、ロンドンとニューヨークのあいだをわずか3.5時間で飛行できる「コンコルド」は、世界の航空会社に衝撃を与えました。ブリティッシュ・エアウェイズの前身である英国海外航空と、フランスのエールフランスはもちろん、当時世界の民間航空をリードしていたパン・アメリカン航空や、オーストラリアのカンタス航空、そして日本のJAL(日本航空)などもこぞって発注します。民間航空にもついに超音速時代が到来か…との期待が膨らみました。

 1972(昭和47)年に「コンコルド」の試作機は、日本を含む世界の主要空港への運航テストを開始しましたが、その翌年の1973(昭和48)年に第四次中東戦争が勃発。これを受けてペルシャ湾岸の産油国が原油公示価格を70%値上げする、俗にいう「第1次オイルショック」が発生します。これを受け、ほとんどの航空会社は「コンコルド」を運航する余裕が無くなってしまいました。

 第1次オイルショックに加え、「コンコルド」は従来のジェット旅客機に比べて、長い滑走路が必要で騒音も大きく、さらに音速を突破する際に衝撃波(ソニックブーム)が発生することから、運航できる路線が限られていました。大西洋は無給油で横断できるものの、欧米と香港を結ぶ、当時、需要が伸びていた極東路線には使用できないことなどもあって、JALを含む航空会社は次々と発注をキャンセルしてしまいます。最終的に導入したのは英国海外航空とエールフランスの2社のみで、1976(昭和51)年には、採算ラインの250機に遠くおよばない20機(試作機含む)をもって、「コンコルド」の生産は終了を余儀なくされました。

「コンコルド」終了で世界の空から消えた超音速旅客機

 英国海外航空(ブリティッシュ・エアウェイズ)とエールフランスが導入した「コンコルド」は、ロンドンやパリとニューヨークとを結ぶ路線などに就航し、燃料費を回収するためほかの旅客機に比べて運賃が高く設定されていたにもかかわらず、人気を集めていました。

 ところが、2000(平成12)年7月にシャルル・ド・ゴール空港から離陸する際、ほかの航空機から脱落した部品により主脚のタイヤが破裂し、その破片により破損した燃料タンクから漏れた燃料に引火、そのまま炎上して墜落するという事故により、長期の運航停止になります。さらに2001(平成13)年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロにより、航空需要が急激に落ち込んだことから、ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスは「コンコルド」の商用運航の終了を決定。2003(平成15)年10月24日のブリティッシュ・エアウェイズ便をもって、「コンコルド」は27年間の歴史にピリオドを打ちました。

 冒頭で述べたボーイング2707も、騒音やソニックブームへの懸念を示す環境保護団体などの働きかけにより、アメリカ政府が資金援助を停止したことから開発がキャンセルされ、ツポレフTu-144も、国内線で短期間運用されるにとどまりました。

 ボーイングは2001年に、「コンコルド」に比べれば大人しいものの、マッハ0.95毎時という高い巡航速度を持つ旅客機「ソニッククルーザー」計画を発表しましたが、燃料費が通常の旅客機より高く、また前に述べたアメリカ同時多発テロの影響による航空需要の急激な落ち込みなどから、エアラインの支持は得られず、開発中止を余儀なくされています。

超音速旅客機の夢、再び

「ソニッククルーザー」の開発が頓挫した後も、NASA(アメリカ航空宇宙局)や欧米の主要なメーカーや大学などの研究機関は超音速旅客機の研究を続けてきましたが、その研究は必ずしも実用化を前提したものではありませんでした。しかし2010年代に入ってから、商業運航を前提とした、いくつかの企業が超音速旅客機の開発計画や構想を発表しています。

 そのひとつであるアメリカのベンチャー(スタートアップ)企業、ブーム・テクノロジー社の計画は、巡航速度マッハ2.2毎時、座席数45席から55席の小型超音速旅客機計画を、2020年代に実用化するというものです。ブーム・テクノロジーは2016年11月に超音速旅客機の技術実証機「XB-1」を発表しており、2017年にはJALが同社と資本提携を行ない、超音速旅客機20機の優先発注権を確保する方針を発表しています。

 またアメリカのネバダ州に本社を置くアエリオン社は、2023年の初飛行を目指して、時速マッハ1.4で飛行するビジネスジェット機「AS2」の開発を進めています。ボーイングは2019年2月に、アエリオンと超音速旅客機分野で業務提携を行なうと発表しており、同社はAS2に多額の投資を行なうとともに、開発にも協力して、AS2の早期市場投入を図るとしています。

 AS2に投資しているボーイングは2018年6月にアメリカの学会で、同社の旅客機「787」とほぼ同サイズの全長61m、全幅21.6mで、最大時速マッハ5.0で飛行し、ニューヨークとロンドンのあいだを2時間半程度で結ぶ、極超音速旅客機の構想も発表しています。

 これらの超音速旅客機の開発には多額の投資が必要とされ、また実用化されたとしてもユーザーが運用経費の高さなどを嫌って、セールス面での成功は覚束ないとの意見も少なからずあります。ただ、超音速旅客機には、航空旅行の姿を大きく変える力を秘めていると筆者(竹内修:軍事ジャーナリスト)は思いますし、ひとりの航空ファンとしては、その飛ぶ姿を見たい、乗ってみたいという気持ちも強く持っています。

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