「名古屋直通」目指した幻の鉄道「中津川線」 長野・飯田まで36km 昼神温泉と深い関係

「名古屋直通」目指した幻の鉄道「中津川線」 長野・飯田まで36km 昼神温泉と深い関係

幻に終わった中津川線の跡地に残る二ツ山トンネル(2007年1月、草町義和撮影)。

かつて名古屋と飯田を直結する国鉄中津川線の計画がありました。諸問題から工事が遅れて最終的に中止されましたが、その痕跡はいまも存在。「星空のきれいな温泉」としてアピールしている昼神温泉も、中津川線の工事で生み出されました。

距離は従来の鉄道ルートの半分

 長野県南部の山間部に「昼神温泉」(阿智村)という温泉地があります。長野県といっても岐阜県との県境付近。名古屋に近いため「名古屋の奥座敷」と呼ばれることもあります。

 昼神では江戸時代に温泉が湧出したとの記録がありますが、この温泉は水害で埋没。実際に温泉地として本格的に発展したのは1970年代で、そのきっかけは幻に終わった鉄道路線「中津川線」の工事でした。

 中津川線は、中央本線の中津川駅(岐阜県中津川市)と飯田線の飯田駅(長野県飯田市)を結ぶ、全長約36kmの国鉄新線。県境の木曽山脈を全長約11kmの神坂(みさか)トンネルで貫き、阿智村内には昼神駅や阿智駅が設けられる計画でした。1967(昭和42)年に工事が始まっています。

 これが完成していれば、中央本線から乗り入れて名古屋と飯田を結ぶ特急列車や急行列車が運転されていたでしょう。日本交通公社『国鉄監修 交通公社の時刻表』の1967(昭和42)年10月号によると、当時は名古屋〜飯田間を豊橋経由(202km)で結ぶ急行「伊那」が運転されていて、所要時間は4時間程度。これに対し、中央本線と中津川線を通るルートは豊橋経由の半分ほど(約116km)で、所要時間も1時間半から2時間と大幅に短くなるはずでした。

 しかし、工事は順調には進みませんでした。当初は飯田市から阿智村にかけて用地買収が難航。神坂トンネルは1972(昭和47)年から試験的な掘削工事が始まりましたが、このトンネルの飯田寄り(昼神)で水抜きボーリング工事を行っている最中、温泉が湧出します。

 中津川寄り(神坂)の工事現場でも、掘削用の機械が故障して工事が中断するなど、トラブルが続出。こうしたこともあって、中津川線に割り当てられた建設予算の一部はほかの新線に回され、完成のめどが立たなくなりました。

中止の背景に「ライバル」の登場

 しかも1975(昭和50)年、中央自動車道のうち中津川線に並行する部分(恵那山トンネル)が開通。名古屋と飯田を2時間半程度で結ぶ高速バスの運行も始まりました。「ライバル」が先に整備されたことで、中津川線の建設を求める沿線の声は小さくなったのです。

 こうしたなかで国鉄の経営が悪化。1日1km平均の利用者数(輸送密度)が4000人未満と想定される国鉄新線の工事は凍結されることになり、輸送密度が1800人と想定された中津川線も1980年度で凍結されました。

 中津川線の工事の痕跡は、いまもわずかに残っています。伊那中村〜伊那山本間は全長約1.5kmの二ツ山トンネルを含む工事がほぼ完成。このうち二ツ山トンネルとその前後の路盤は工事が凍結されたころの姿を残しています。しかし、伊那山本寄りの路盤は国道153・256号のバイパスルートとして再整備され、鉄道の路盤の面影はなくなりました。

 一方、温泉が湧き出た昼神では観光開発の機運が高まり、1975(昭和50)年に1軒の旅館がオープン。いまは約20軒のホテルと旅館が営業しています。歴史の浅い温泉ですが、中央自動車道の開通でアクセスしやすくなったこともあり、観光客が増加。1977(昭和52)年の宿泊客数が5万人くらいだったのに対し、愛知万博が開催された2005(平成17)年には48万人が宿泊しました。

 その後は減少が続きましたが、環境省が「最も星の観測に適した場所」として阿智村を選定したのを機に、2011(平成23)年から「きれいな星空が見える温泉」としてアピール。これが功を奏して再び客が増えました。このほか、神坂トンネルの中津川寄りにもトンネル工事の痕跡があり、温泉施設の遊水池の先にトンネルの入口が残されています。

 ちなみに、現在工事中のリニア中央新幹線も、飯田市から中津川市に抜けるルート。そう遠くない時期、中津川線の「代替鉄道」として機能することになりそうです。

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