「鉄道の町」5選 石炭列車の拠点 車両工場 分岐駅 労働人口の25%が鉄道関係だった…

「鉄道の町」5選 石炭列車の拠点 車両工場 分岐駅 労働人口の25%が鉄道関係だった…

広々とした新津駅の構内。「SLばんえつ物語」のC57形蒸気機関車が使うターンテーブルもある(2014年9月、児山 計撮影)。

国鉄の大規模な機関庫や工場があった町は「鉄道の町」と呼ばれていました。蒸気機関車が主流だったころ、鉄道の運行には多くの人手が必要で、機関庫などの周辺に鉄道員が居住したためです。現在の「鉄道の町」5つを見てみました。

新津は労働人口の約4分の1が鉄道関係者だった

 国鉄がまだ蒸気機関車を数多く走らせていたころ、日本各地に「鉄道の町」と呼ばれる地域がありました。

「鉄道の町」には蒸気機関車の運行に携わる人々が生活し、機関庫の周囲には多くの人が居を構えていました。その規模は小さな町に匹敵するほど大きく、たとえば新津機関区を擁していた新潟県新津市(現・新潟市秋葉区)は、労働人口の約4分の1が国鉄と関わりを持つ仕事に就いていたという記録があります。

「鉄道の町」には鉄道員のための社宅をはじめ、物資部と呼ばれるスーパーマーケットもあるなど、鉄道員とその家族だけでひとつの生活圏ができるほどでした。

 国鉄は、岩見沢(北海道)、追分(北海道)、土崎(秋田県)、新津(新潟県)、大宮(埼玉県)、米原(滋賀県)、吹田(大阪府)、多度津(香川県)、米子(鳥取県)、津和野(島根県)、直方(福岡県)、鳥栖(佐賀県)の12か所を公式に「鉄道の町」としていました。

 このほかにも山北(神奈川県)や横川(群馬県)、盛岡(岩手県)など、大規模な機関庫や輸送のあい路となった場所が「鉄道の町」と呼ばれることもあります。

 これらの「鉄道の町」のうち、現在も街並みや施設からその名残を感じられる町を、筆者(児山 計:鉄道ライター)の独断で5つ選んでみました。

石炭列車の拠点「追分」、開通当初は駅がなかった「大宮」

追分(北海道安平町)

 追分には追分機関区が立地し、重量級の石炭列車が多く運行されていました。鉄道の運転拠点としての使命は2005(平成17)年に終え、現在はJR室蘭本線と石勝線の接続駅として一部の特急列車が停車するものの、利用客は1日あたり250人前後と、往年の繁栄を偲ぶよすがもありません。

 しかし、鉄道とともに歩んできた地元民の愛着は強く、駅から徒歩20分ほどの場所にある安平町鉄道資料館にはD51形蒸気機関車の320号機や、特急「おおぞら」などに使われたキハ183系ディーゼルカーが保存されているほか、各種資料も展示されています。

大宮(埼玉県さいたま市)

 大宮は東北・上信越方面へのジャンクションとして、また都心への通勤エリアとして栄えていますが、かつては大宮機関区、国鉄大宮工場を擁していました。現在も大宮駅からニューシャトルに乗車すると、眼下に大規模な工場群を見下ろすことができます。

 現在のJR東北本線と高崎線が開業した当時は大宮に駅はなく、県庁も浦和(埼玉県さいたま市)に置かれたことで、大宮は周囲の発展から取り残されそうになりました。しかし、白井助七という人物が大宮駅の設置を請願、土地の無償提供を表明したばかりでなく機関区の誘致にも尽力しました。

 大宮には現在も、大宮車両センターや鉄道博物館など鉄道に関する施設が多くあり、「鉄道の町」としての風格を漂わせています。

車両工場がある「新津」「多度津」、石炭輸送の中枢「直方」

新津(新潟県新潟市)

 JR信越本線と羽越本線、磐越西線の合流地点である新津にはかつて新津機関区があり、多くの蒸気機関車が配属されていました。現在も「SLばんえつ物語」のC57形蒸気機関車が方向転転するためのターンテーブルがあり、当時の面影を偲ぶことができます。

 また、新津には鉄道車両メーカーである総合車両製作所の新津工場があり、山手線のE235系電車をはじめとするJR東日本の車両を数多く製造。現在も鉄道に携わる人が多く居住しています。こうした「鉄道の町」の記録は、駅から徒歩20分ほどのところにある新津鉄道資料館で見られます。

多度津(香川県多度津町)

 JR土讃線と予讃線が分岐する多度津駅。ここに併設された多度津工場を擁する多度津も、鉄道とともに歩んできた町です。駅を跨ぐ歩道橋からは広々とした駅構内を眺められます。また、駅前には「構内食堂」と呼ばれる鉄道職員用の食堂もあります(一般利用も可能)。

 駅から少し歩いたところにある多度津工場は、現在もJR四国の車両を整備する工場として健在です。0系新幹線電車を模した「鉄道ホビートレイン」も多度津工場で造られました。

直方(福岡県直方市)

 かつて福岡県の北九州エリアは、日本有数の産炭地でした。直方駅は筑豊炭田から全国に石炭を輸送する中枢駅として13本の発着線を有し、直方機関区も隣接する大規模な駅でした。当然そこで働く人たちも大所帯となり、直方駅の周囲には鉄道に携わる人たちが多く居住しました。相次ぐ炭鉱の閉山でかつての隆盛は過去のものとなりましたが、今でも残る広い構内にその面影をとどめています。

 なお、鉄道博物館や新津鉄道資料館のような保存施設はありませんが、地元個人による保存活動が行われています。直方市石炭記念館やNPO法人の「汽車倶楽部」などでは、往時の貴重な資料や車両なども数多く保存され、地元小学校の社会科見学にも活用されています。

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