市場に大きなインパクトを与えたロードボンバーが選んだ次のチャレンジ

市場に大きなインパクトを与えたロードボンバーが選んだ次のチャレンジ

記事画像

いよいよ耐久ウィーク! 鈴鹿に『暑い熱い』真夏の祭典がやって来る。鈴鹿8時間耐久レースは今年で42回目の開催。第一回目は1977年開催の6時間耐久だった。モト・ライダー誌の企画で誕生した「ロードボンバー」は鈴鹿耐久レース参戦に向けて果敢にも走り出した。しかも鈴木編集長はライダー候補に「堀 ひろ子」さんの起用を提案したのである。テキスト??山田 純(YAMADA Jun) 編集??近田 茂(CHIKATA Shigeru)

山田純が、当時を振り返る。ロードボンバーで鈴鹿耐久レース・チャレンジへ。

 ロードボンバー制作初期の目的は、なんとか運輸省の車両認定を取得して、市販できないか、というものだった。それが実現できれば、雑誌の企画としてのインパクトは相当なものだった。しかし、運輸省のハードルはあまりに高く、認定なんてとても無理だということが分かった。
 
 鈴木社長兼編集長は、ロードボンバーの制作費を編集費で吸収するのは到底無理だと感じていたはずだ。しかし、筑波サーキットでは、なかなか速いということを長さんや私たちからの報告から知っていた。
 雑誌の編集費は、それを使って何ページできたかで、1ページあたりに掛かった単価として計算できる。ロードボンバーの制作に掛かった費用は、当初考えていた以上に高額だったが、それに関する記事ページが何号にもわたって多くのページに掲載できれば、ページ当たりの単価は下がっていく。
 
 そんな時、鈴木社長は1973年の石油恐慌以来中止となっていた鈴鹿サーキットの耐久レースが復活するという情報を受ける。
 いわゆる全日本ロードレースのようなスプリント形式のレースには、MFJの形式認定を受けたマシンでないと出場はできない。ところが、再開されるその耐久レースは比較的緩い参加資格とされていて、極端にいうと排気量が125cc以上ならどんなバイクでもOKだったから、ロードボンバーを走らせることができる。ライダーも、国内競技ライセンスを持っていればいい。
 
 シンプルに短時間で速さを競うスプリントのロードレースでは、デュアルパーパス用に開発されたXT500の非力なエンジンを、ベースもないオリジナル・フレームに搭載したロードボンバーが走れるレースなどないが、その耐久レース(6時間)なら上位は無理でもそこそこ走れるのではないだろうか、と考えられた。
 
 モト・ライダー誌という新しいバイク雑誌の創刊で、ロードボンバーという画期的でいかにも魅力的なオンロードスポーツバイクを大々的にカラーグラビアで発表し、それで鈴鹿サーキットで開催される復活の耐久レースを走るとなれば、話題性はもちろん、雑誌の編集企画としても相当のインパクトがある。
 
 だが、私には一抹の不安があった。それは、ロードボンバーが筑波サーキットでそこそこのタイムで走れたとはいえ、鈴鹿サーキットは、より本格的なサーキットで高速コーナーもあるし、ストレートも長い。コンビを組むペアライダーを誰にするかも、大きな課題だ。
 
 編集部員は、レースの経験もないし取材される側ではなく、取材する立場だ。悩んでいた時、鈴木社長が「純、堀 ひろ子がいいんじゃない。誌面的にも明るくなるし」と提案してきた。
 確かにひろ子は他誌でもバイクに乗っているし、モデルにしてもいいぐらい(っていうかモデルもしていたんじゃなかったかな)美人だから、いいかも。
 
 ところが、その案をロードボンバーの設計、制作をした長さん(島 英彦)に相談したところ、「純ちゃん、耐久はね、レース中どこで転倒したり停まっちゃうか分かんないんだ、そんな時に押し掛けでエンジン掛けられなくちゃダメだ。女の子にできるのかね?」
 
 確かに、XT500の4スト単気筒500ccエンジンを搭載したロードボンバーは、慣れている男の私でも、マルチ・エンジンのバイクの1.5〜2倍ぐらい押していって飛び乗って、なんとか掛けられる難しさがあった。それを、スリムで華奢なひろ子ができるのか、は大問題だった。でも、ひろ子を走らせたい!

《次回(最終回)へ続く!》

??続編、開発ストーリー。当時の記事から抜粋(1977年8月号)

??走れ!ロード・ボンバー 筑波/谷田部テストラン

前回のテストで筑波は13秒台にはいれるか? としたが、わずかな日数でボンバーは12秒台をマークした。そのあとはいよいよ初の耐久レース挑戦である。ここでも初期の目的を達したわれわれは、さらに望みがふくらむばかり。本当に本気になってしまいそうだ。文:島 英彦

??筑波/谷田部テストラン やった! ツクバ12秒8

 予定の対策をすませたロード・ボンバーは、5月25日の午後、ドライの筑波サーキットを走り始めた。
 1分13秒台突入も可能(!?)とは7月号で記したとおりだが、いくつかの対策は正解だったようで、山田純は最終コーナーをドリフト状態で立ち上がるほどの余裕を見せている。
 即2周めからラップ・タイムの計測にはいる。と見る間に3周めには1分13秒8をマークし、8周めにはなんと12秒8をたたき出した。予定より2秒も余分な向上をしてしまったのだ。
 10ラップでピットインした山田純は「コーナーはTZより早い感じですよ」と印象を述べた。「フロント・ブレーキもバッチリです。ただし、ダンロップ先の左でリヤが落ち着かず、ロデオ並みですよ」と言う。「でも12秒8が出ているよ」と伝えると、彼は、もともと大きな目をギョロリとむいた。
 もはやロード・ボンバーは、750最速のカワサキZ750と対等のラップ・タイムをたたき出すまでに成長したのだ。テストのたびの改良は、すべからく好影響を生み出している。またもや小生のほほはゆるんだ。
 つづいて、このロード・ボンバーで6月5日のスズカ6時間耐久レースを目指す堀ひろ子が走行を開始する。しょっぱな1分19秒4を出したボンバーは、2周めには18秒6であり、このタイムをコンスタントに出せることが確認できた。
 山田純/堀ひろ子ともに、4月15日のテストに比較して、約2秒の向上をしたわけである。これは、とりもなおさずマシンの性能向上であって、ライダーの向上ではない。エンジンにいっさい手を加えていないロード・ボンバーは、車体まわりだけのセットアップで、処女走行以来、4秒4もタイムをつめてしまったことになる。

??雨中、谷田部で177.6km/h!

 明けて5月26日、谷田部はまたもや雨。どうしてモト・ライダーのテストは、こうも雨にぶつかるのだろう。だれかの心がけが悪いのだ。
 ボンバーは、雨とはいえ、前夜ビールを飲み飲み、エンジン調整(タペットと電気位置)、チェーン調整と給油、そして空気圧と、すべてをチェックしてあるから元気一杯である。カッターをかけて修正したバルブシートは、以後ゆがみが出てないようで、コンプレッションも十分。一応、タイヤの空気圧だけチェックしてテストにはいる。
 0〜400m加速は、
   50m 100m 200m 400m
1回目:3.96 5.64 9.16 14.45
2回目:3.97 5.94 9.11 14.39
を記録した。これは前回より0.1秒遅いが、とるに足らない問題であろう。
 最高速度は、400mラップで177.6km/h、2回めには176.4km/hに達した。雨中でこのデータであるから、無風で路面が乾燥していれば、180km/hの大台に乗ることは確実である。
 じつをいえば2次減速比の変化による車速線図(エンジン回転数/速度)の裏面にはロード・ボンバーの最終目標
■0〜400m 13秒台
■最高速度 180km/h
■ツクバ 1分13秒台
をひそかに書き込んでいたのだが、0〜400mの13秒台を除いて早ばやと確保できたわけだ。ゼロヨンの13秒台突入はいささか無理かと思われるが、ダンロップ先左のリヤのロデオ風あばれを対策できれば、いよいよ、筑波は1分11秒台に突入することになるだろう。
 ところが、このロデオ風あばれの原因が、山田純の説明ではいっこうに理解できない。おまけに小生も、今回に限ってライディングの装具をいっさい持参していなかったので、乗ることもままならないハメになってしまった。しばし困惑せずにはいられなかった。

??そのためになにをやったか

 以上、1分12秒8と177.6km/hを得るために、4月15日のテスト以来なにをやったかというと、フロント・ブレーキと、リヤ・タイヤ、ドライブ・スプロケットの3点である。
 フロント・ブレーキは、本当は、効かないというより、十分効かせるには大きな握力が必要ということである。過大な握力は、操舵感覚をにぶらせてしまう。
 そこで最初は、CJ250/360T用のキャリパーを、ディスクローター1個のまま2個装備することを考えてみたが、外観こそダブル・キャリパーでユニークになるものの、部品点数がふえてデメリットも大きくなることから、キャリパー・シリンダー/ピストンのサイズアップを考えてみた。CJ250/360Tのばあい、マスターシリンダーは14φであり、キャリパーは38φであるから、面積レシオは、7.37(382/142)となる。
 これをCB750なみの42φキャリパーにすれば、面積レシオは9(422/142)と大きくすることができる。この結果、コーナーの飛び込みは信じられないほど楽になっている。
 リヤ・タイヤはヨコハマ350-18(Y987)をBS350-18(CB400用)に置きかえた。これはダンロップ先左と最終コーナーのよれ対策である。ところが、このタイヤが原因して、ダンロップ先左のロデオ現象となってしまったのである。反面、最終コーナーはドリフト走行ができるほどに安定した。
 2次減速比のほうは、3月末に谷田部のウエット路面で最高速度をチェックした際、174.8km/hで、エンジンが6900rpmにも達しており、いささかオーバレブ気味と判断したためだ。最大出力30ps/5800rpmにしては、少し回りすぎではないかということである。
 そこでドライブ・スプロケット18丁に変更してみた。この18丁なら、ドリブンが40丁だから、2.222というレシオになり、175km/hの時、ちょうど6500rpmと低くおさえられるのである。
そのかわり、筑波サーキットのバックストレッチでは、4速でレッドゾーンの6500rpmをややオーバーするていどで5速は使用する必要がなくなり、しかも0〜400m加速で400m地点を4速のまま通過してしまうはずである。
 本来、わたしは山田純に6500rpmのレッドゾーン厳守を指示して、テストを重ねてきたのだが、筑波のバックストレッチで4速のみのわずかなオーバーは認めることにした。6500rpmを厳守するあまり、わずかな距離のための5速へのシフトアップは、ラップタイムを低下させてしまうからである。基本的にはXTのエンジンは、回しすぎないほうが早く走れる性格なのだ。
 このレシオの結果、最高速度は伸びたが、60km/h以上でないとトップギヤはスムーズさに欠けるきらいがでてきた。なんと60km/h時のトップ・ギヤのエンジン回転数は、たった2200rpmにすぎないわけ。100km/hでも3700rpmと、国産ナナハンとは比較にならないほどのハイレシオとなった。
 それゆえ、180km/hという信ずべき推定最高速度は、谷田部のようなコースでないと発揮できないことになるだろう。必然的にライダーの腕しだいでもそのデータは大きく変わってくるはず。まあ、マニア好みのレシオとなってしまったわけだ。

??鈴鹿耐久6時間レース出場 鈴鹿スポーツ走行で 

 5月25〜26日のテストが終わったところで、山田純から「6月5日の鈴鹿6時間耐久レースに備えて、28〜29の雨日、鈴鹿を走ってみたいから、行きませんか」と提案があった。
 もちろん断わる理由はない。ロード・ボンバーにはまだ取扱い説明書(??)が出来上がっていないので、ユーザーがまちがった取扱いをすることも考えられるから、同行しないわけにはゆかないのだ。
 28日の朝4時に東京を発って鈴鹿へ向かった。時間がなかったので、いっさいの手入れはやっていない。途中、鈴鹿で何秒出せるかが話題となった。おそらく、2分50秒前後は出せるだろうという意見に落ち着く。聞くところによれば、CB750をフル装備(保安装備つき、サスペンション・セッティングなし)で50秒近辺というから、ロード・ボンバーの最高速度からすればかなりのラップ・タイムなのである。
 鈴鹿に着いたボンバーは、チェーンが摩耗していること以外は特別な支障がないので、タイヤ空気圧をフロント2.0kg、リヤ1.8kgにして走り出した。
 じつは、筑波ではリヤのあばれ対策として、2.0kg/1.6kgという変則的な設定で走ったのだが、鈴鹿は、高速持続時間が長いのでリヤを0.2だけ高めたのである。
 数周してピットインしてきた山田純は、「エンジン・ブレーキとパワーオフの時、リヤがものすごくあばれる。反面、パワーオンなら安定している」と報告した。要は、筑波のダンロップ先左でのロデオ風あばれは、こういう現象だったわけである。筑波以来、わたしの目の前に立ち込めていた霧は、晴れ始めた。それなら手だてはあるはずだ。そして、山田純は「減速時にアクセルをあけたままブレーキングすれば、なんとか走れます」と言う。
 ともかく周回を重ねるうちに、2分50秒ならコンスタントに走れることも確認できた。この時、練習に来ていたプロダクションレース仕様の、スズカ・レーシングチームのCB750が2分47秒ていどだったので、かなりの自信がついた。あとは、リヤ・サスをなんとかすればよいと……。その夜、山田純とわたしは、鈴鹿でも十分走れることを喜びふたりだけで祝杯を上げた。
 明けて29日、目覚しなしに午前5時に起床したわたしは、よりよいタイムを求めて、タペット、電気位置、空気圧、チェーンとじっくりと時間をかけて、完全整備にとりかかった。メインジェットは、340番では濃すぎるようなので、310番としておく。だが、8時からの1時間走行で2分50秒を切ることはできなかった。
 東京へ帰ってさっそくリヤを対策しなければ、と翌30日は朝から作業にとりかかった。場所は、シゲノ・モータースの片すみならぬ、ど真中を借りる。
 せめてリヤ・スプリングの30kgもあるセット荷重をほとんど0kgにしてみようと考えていると、シゲノ親分が来たので、「これはスプリングの堅すぎかねェ」と聞くと、「これじゃ堅すぎだよ」と明快な答えであった。このひとことで、セット荷重を下げるなどという、生半可な対策はする気にならなくなっていた。
 あちこちに飛びまわって、CJのスプリングに比較して、線径が7mmのところを6.5mm、ピッチ同等、巻き径+3mmのものをさがし出す。
 全長をつめて、セット荷重をごく小さくするつもりで、自由長に対してセット時5mm減寸というものを作ってみた。ダンパーもなるべく効きの悪いものに換えた。こんなことなら、どうにもダンピング不足と思われた最初セットしていたダンパーを捨てなければ、などと思ってみたがあとの祭りである。
 セットしてまたがってみると、ダンパーはのび切った状態から30mmほど沈んでいる。これでよしよしとは思ったものの、線径6.2mmのさらに柔らかいのも1セット作って、セッティング・パーツとして用意しておく。
 あとはゼッケン取りつけ、ブレーキのオーバーホール、ブリーザーホースからのガソリン噴き出し対策、etcとまたたく間に3日間が過ぎ去った。
 レースをやるのだからカウリングを取りつけたほうがよいという意見もあったが、レース直前になってテスト実績のないものを取りつけるのは危険なので取り止め。逆に、振動の保安装備への影響をチェックする目的で、ウインカーなど保安装備は、ヘッドライト・レンズを取り除いただけで、すべてを残しておいた。
 なんとも妙ちくりんな、プロダクション・プロト(こんなクラスはないが)のマシンが出来上がったわけである。

??TZ350とせり合える!?

 6月2日、山田純、堀ひろ子、わたしの3名は、ロード・ボンバーとスペアパーツ用のXT500新車、連絡用のGT80の3台をホーミーに積んで鈴鹿へ向かった。まずは3日のフリー走行で、対策なったリヤ・サスをチェックするためである。タイヤは前後ともCB400用の新品にしてある。
 純は走り出した。減速時のあばれはまったくなくなったようである。そのかわりハーフスロットルの時、フロントがほんのわずかだがふらつく傾向があるという。これはわたしも付近を走行して確認できたが、セットアップ用の6.2φスプリングではもっとこの傾向がひどくなるはずなので、5段階調節のリヤスプリング・セット荷重を3段めから一番強い位置にした。
 もうひと息、小細工をしたかったが、堀ひろ子がロード・ボンバーに慣れる時間も必要であり、このまま走ることにする。山田純は12周めに2分50秒を切って49秒0、ひろ子は11周めにはなんと55秒2をたたき出してしまった。
 タイムはよしとしても、ストレートはえらくおそい感じである。エンジン回転数から判断して160〜165km/hしか出ていないのである。
 反面、第1コーナーからスプーンまでの裏は、かなりの速さであるというが、いつピットインしてくるかも知れず、持参のGT80でその走りを見に行くことはできなかった。とくにヘアピンからスプーンにかけては、TZ350と走ってもヘアピンの立ち上がりで離されるものの、スプーンの入口までに抜くことさえあると言うのだ。
 燃費は、メインジェットを交換したり、計量が不安定であったりして正確にはつかめなかったが、最低17km/?、最大21km/?(!!)をマークした。これなら26?タンクを作れば、6時間を1回給油で走り切ってしまう計算である。
 この様子なら、うまくすれば2分45秒がレース中に出る可能性もある。といったら、山田純は目をむいたが、これは2日後のレース中に実際にマークされてしまうのである。
 明けて4日のプラクティスでは純が2分48秒9を出し、ひろ子は57秒0を出した。マシンそのものには問題は起きていず、タイヤもフリー走行と予選を含めて41周してさほど摩耗もない。
 チェーンをダイドー提供の520レーシングの新品と交換するにとどめた。オイルはスーパーコース40で交換以来59周しているものの、そのまま使用することにした。
 大まじめでやったのは、レースデーの朝、タペットとポイントだけである。

??唯一のトラブルはステー折損

 当日の朝、本誌の近田クンがピットにあるロード・ボンバーを見てオイルプレッシャー・ゲージを使ったフレームのクラックインジケーターの目盛りがゼロになっていることを発見した。
 バルブでもおかしいのかとツバをつけてみると、わずかに湿っている。交換してエアを張ってみるがまだどこかで漏っている。なにか変だ。フレームは一応点検したが、皆目わからない。前日の走行では操安そのものに支障はなかったのだから、もうフレームが折れることはあるまいと判断し、ためらいもなくスタートさせた。
 純がライダー交代の制限2時間一杯ではいってきた。シートを外し、オイル量をチェックしてみると、オイルの減量は5mmほど。これならオイル補給なしに6時間走り切れる、と判断しシートの止め金具であるズース・ファスナーをかけようとすると、なんとかからないではないか。なんのことはない、シートストッパー下のU時型メンバーがリヤショック・アッパーマウント直後の溶接二番から折れていたのだ。
 走行に支障はないので、シートをガムテープで固定し、純に代わってひろ子が走り出す。エンジン音も快調である。いずれにせよロード・ボンバーは、6時間をシートストッパー・ステーの破断というトラブルだけで完走した。ラップ数122周、約730km、この間、純は2分45秒台を出し、ひろ子は51秒とすばらしいタイムも記録した。
 ロード・ボンバーの誕生以来、総走行距離は2300km強、いまや最終目標へ一歩一歩近づいている。
 もうこうなったらノーマル・タイヤ、ノーマル・エンジンのままサスセッティングをばっちり決め、筑波は1分10秒台、鈴鹿は2分40秒近くまで開発してしまおうか、という気も起きていた。
 保安装備つきオンロード仕様のモトがたった30psで鈴鹿を2分45秒で走れるとしたら、こんな楽しいことはない。それも、ビッグ・シングル独特の排気音をとどろかせながら……。
 最後に6時間耐久による部品などの消耗を記しておこう。
@ ドライブ・チェーンは、ピットインのたびにDID提供のチェーンオイルをスプレーしたものの、無調整。あと6時間くらいは軽く行けそうだ。
A オイル消費は0.4〜0.5?でやや多し。
B 燃料はリッター当り20〜21km/?で、好燃費。
C タイヤはサイドがかなり減ったものの、まだレースはつづけられた。8時間耐久でも十分無交換で走行可能。
D ディスクブレーキ・パッド(CB750用)は1.5mmていど摩耗。これなら24時間レースでも十分耐えられそうだ。
E 保安装備の球ぎれなし。
こんなところである。詳細は次回のメンテナンスの折、チェックしたい。

★次回はいよいよ最終回! 鈴鹿6時間耐久レース、インサイドレポートをお届けします。
お楽しみに!!

??著者プロフィール

 アメリカから帰国後、少しかじったレースは止めて普通の仕事をしようとしていたところにやって来たのが、ビッグバイク誌で一緒に仕事をしていた小野里 眞くんだった。「これから僕のいる会社でバイク雑誌を作るんで、一緒にやらない?どうせ暇してんだろうから」と連れて行かれたのが、三栄書房だった。編集長は、鈴木脩巳社長が兼任していた。
 それがモト・ライダー誌と関わるキッカケになった。

山田 純(ヤマダ ジュン)
東京都在住
1950年1月生まれ 69歳
20歳の時単身渡米 AMAロードレースに参戦。
帰国後MCFAJジュニア350チャンピオン獲得。
その後バイク雑誌の編集、編集長歴任後、フリーランスへ。
現在BMW Japan公認ライダートレーニング・インストラクター 兼ツーリングライダー。

続きを読む記事テキスト

関連記事(外部サイト)