差別を許してはいけない、たった一つの確かな理由

差別を許してはいけない、たった一つの確かな理由

EPA=時事

◆「いまの世の中っぽさ」を象徴するNZの事件

 ニュージーランド南島のクライストチャーチで起こったモスク銃撃事件から1週間がたった。

 この事件が世界から注目を集めたのは、50人超という犠牲者の多さだけではあるまい。犯行の様子をネット中継していたことや、犯人の身勝手かつあまりにも典型的で幼稚でいかにも頭の悪いレイシストらしい主張内容などなど、事件のすべてが「いまの世の中っぽさ」を漂わせている。

◆注目すべき、アーダーン首相とNZ政府の対応

 しかしなによりも注目されるべきは、ジャシンダ・アーダーン首相をはじめとする、NZ政府が事件後に見せた対応だろう。事件直後、NZ政府は、事件の犠牲者の葬儀費や治療費のみならず、遺族の生活費など、さまざまな手当を、犠牲者の市民権の有無を問わず支給すると発表した。そればかりではない。アーダーン首相は事件後からずっとヒジャブをかぶり続け、弔問の場などムスリムと出会うたび、ハグをし頭を下げ弔意と同情を示し続けている。

 首相は国会でこうも発言している。

「テロ攻撃で犯人はさまざまなものを手にしようとした。その中の一つが『悪名』だ。だからこそ、私は、あの犯人の名前を、決して口にしない」と。

 なぜここまで踏み込むのか――。

 首相以下NZ政府の高官が事件後繰り返し口にする「ニュージーランドは一つだ」というスローガンがその答えだろう。NZ政府はこの事件によって、社会が分断されることを防ごうとし、否応なく生まれてしまった社会の亀裂を修復しようとしているのだ。

◆差別は社会を分断し、いずれ滅ぼす

「差別を許してはならない」「レイシストには寸毫(すんごう)たりとも自由をあたえてはいけない」。こうした認識が必要である理由はまさにここにある。「差別の被害者がかわいそうだから」「人が傷つくから」ではないのだ。差別を放置すれば、社会は分断される。そして分断された社会は、弱く脆くなり、いずれは社会としての機能を果たさなくなる。前世紀の冒頭に吹き荒れた全体主義と戦争の長く不幸な歴史から西側先進国が学んだ教訓とはまさにこの点に尽きる。

◆「対岸の火事」では済まされない

 先日、品川の入管では、体調不良を訴えるクルド人収容者を救護するために駆けつけた救急隊を、入管職員が追い返すという事件が発生している。迫害と差別の続くトルコから日本に逃れてきた果てに待ち受けていたのは、我が国法務省のこの冷酷な仕打ちだった。

 韓国の金浦空港では酒に酔った厚労省の現役課長が「I hate Korea」と叫び暴れるという事件が発生した。キャリア官僚のこのあからさまな差別発言に、厚労省が厳罰をもって処したという話は聞こえてこない。

 ニュージーランドの事件は決して対岸の火事ではない。我々の足元にも、差別による社会の分断は、着実に進行し、もうそろそろ取り返しのつかないところまで、発展しつつあるのだ。

<取材・文/菅野完>

すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。現在、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中。また、メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている

関連記事(外部サイト)