元東電技術者、蓮池氏が「逃げられるわけない」と絶句した、伊方発電所の問題だらけの「避難路」

元東電技術者、蓮池氏が「逃げられるわけない」と絶句した、伊方発電所の問題だらけの「避難路」

九町越から瀬戸町までの県道255号線 2016/09/11牧田撮影 道路状態はたいへんに悪く、再稼働直後の撮影時(2016/09)には3ヶ月前の豪雨のためにあちこちで路肩が崩れていた。路肩崩壊によりガードレールが浮いている

◆「へこみデミオ」西へ

 さて、伊方発電所の楽しい外からの観察を終えましたが、ここでいつもの亀ヶ池温泉に行かずに佐田岬半島を三崎港へ向かいました。

 伊方発電所から離れると即座に写真のような道になります。私の「デミオ」が四年間で「へこみデミオ」にトランスフォームした要因である県道255号線の真の姿です。小型車でも離合不能で、路肩はどこかがいつも壊れています。勿論、ガードレールなんて、怖いところに限ってありません。

 勿論、愛媛県は少しずつ改良していますが、きわめて遅々としています。

 一方で、国道197号線から亀浦、柿が谷、伊方発電所間は、福島核災害後、伊方発電所の動線確保のためにたいへんに立派な道路へと一挙に改良されました。亀浦トンネルだけで22億円かけています*。

<*参照:一般県道鳥井喜木津線 亀浦バイパスの 開通について>

 この道路の格差はすさまじいのですが、実は三崎に近づくにつれて道は更に狭くなり、私のデミオは道路からはみ出して擦りながら走る羽目になります。勿論、お年寄りの軽トラが前からやってきて、泣きながらバックしたことは数限りないです。

 路肩があちこちで崩れているガードレールなしの狭い道を「へこみデミオ」で走るので、皆さんとても心配そうです。いえいえ大丈夫です。クロネコトラックだって「前からやってきます」から。しかし日没まで時間があまりありませんので、大成(おおなる)集落から国道197号線(山頂道路)に移りました。大成集落は標高10m前後ですが、国道197号線は平石峠の標高155mまで登らねばなりません。

 道路が比較的ましな九町越・二見間を走ったあとの蓮池さんの感想は、「これ、逃げられるわけ無いですよ」でした。

 私の「デミオ」が四年間で「へこみデミオ」にトランスフォームした理由も分かってもらえたと思います・・・・・・・・たぶん。

◆「何かあったら崩れますよ」と蓮池さんは言った

 なお、時間が前後しますが、伊方発電所に行く途中、亀浦の伊方発電所動線確保のための道路改良工事最終工区を見た際に蓮池さんはこういいました。

「H鋼を海側に打ち込んで石を落として道をつくっていますね。これ、何かあったら崩れますよ」

 はい、そうです。これは以前連れてきた、実はご実家の家業の関係で土木にとても詳しい横川圭希さんも全く同じ指摘をしていました。この道路、伊方発電所裏の柿が谷の前まで一部を除いて全く同じ工法で拡幅していますので、原子炉が壊れるほどの大地震や、大水害が来たときに拡幅側である海側に崩壊しないとは言いがたいです。実際、県道255号線も伊方町道も海側から大きく崩落した事例をこの四年間だけでも多数記録しています。

 この区間は、2015年12月7日に八幡浜住民投票に際して横川圭希さんと同区間を取材し、その動画を公開しています。本連載と合わせてご覧ください。<ライブ 伊方原発 - EngawaGGcas #222339445 2015/12/07>

◆名取トンネルに立ち寄る

 さて、ここでどうしても行って欲しいと同行者からリクエストのある名取トンネルへ向かいました。廃道マニアなら必ず知っている国道197号線名取トンネルです。

 名取トンネルは、1978年に開通した国道197号線のトンネルですが、2003年頃から地滑りによる地形の変化が見られ、2005年には近い将来にトンネルの崩壊が予想された*ために封鎖の上で付け替えがはじめられました。実は平成に入ってから地下水による地形の変位がみられ、大規模な対策が数回にわたりなされていたのですが、2005年にはもはや補修による維持不能となったものです。

<*参照:"国道 197 号名取トンネルの地すべり災害速報 " 土木研究所>

 佐田岬半島は、土地の風化や変位が激しく、197号線(山頂道路)では頻繁にトンネルや橋梁の補修工事のための交通規制が行われています。

 ここで、広場でなく廃橋梁となった名取橋梁をあるいて廃トンネルに向かいますが、おやおや、女性二人は欄干キワキワをあるきますが、男二人は真ん中をあるいています。いえ、私は足が震えるので結構です。

 情けないことに男は二人とも高所恐怖症なのです。仕事では原子炉のキャットウォークをあるいたり、片や崩壊した崖から撮影したりしますが、高いところは勘弁してください。

 さて、名取橋梁の上から名取集落が見えます。この名取集落、数年前に私は「へこみかけデミオ」で名取港まで降りようとしたのですが、余りの怖さに途中で断念し、バックで逃げ帰った暗い記憶があります。後日Google Street Viewで確認して、逃げ帰って良かったと安堵しました。

◆「逃げられるわけがない」と絶句

 名取集落は、標高150m±50mにありますので、漁港に降りるには100m以上の標高差となります。勿論、道路が壊れていなくてもきわめて狭隘です。また国道197号線に通じる道は旧197号線一本ですし、これもそれほど広くありません。三崎に向かう道は他に非常に細い農作業用の道路がありますが、緊急避難経路としては使えないでしょう。

 伊方町にはこのような集落が五十五集落ある とされており、結果として核災害時には「屋内待機」という計画もあります。福島核災害の経験では、そのような集落は、条件が悪い場合、二週間前後情報と救援から遮断され、濃厚な放射能雲の中で住民は事実を知らずに自給自足で避難生活を送り、その脇で文科省の職員がフル装備で線量計測をして何も言わずに去って行くというきわめて非人道的な事が多数箇所で生じていたことが知られています*。

<*参照:"NHKオンデマンド | ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図 〜福島原発事故から2か月〜" ほか>

 佐田岬半島は、福島県浜通りよりも遙かに条件が悪く、福島核災害においても危惧されていた「屋内待機」=「餓死・病死」が現実となりかねません。

 この名取集落よりも条件の悪い集落は数多くあり、現在愛媛県と伊方町がもつ避難計画*は実効性がなく無意味と言って良いです。

<*参照:伊方町地域防災計画(原子力災害対策編) 伊方町避難行動計画 平成29年1月 伊方町>

 蓮池さんのご自宅のある刈羽村もヨウ素剤配布から避難計画、訓練に至るまで問題山積で、やはりフランスと比較すると程度の低さが際立ちます。ただ、標高差100mを超える崖をお年寄りが登るような無茶が要求される可能性のある伊方よりはまだましとのことでした。

 蓮池さんは、「これは酷すぎますね、逃げられるわけ無いでしょう」と開いた口が塞がらない様子。

 はい、私は車と徒歩で調べ回りましたが、とんでもない崖のうえにある家に細い歩道しかない小集落などが多数あり、東西を結ぶ道路も海岸道路はとても細く、山頂道路(国道197号線)までの標高差は100~200mはザラです。逆に名取のように断崖の上にある集落も多数あります。実効性のある避難計画策定はきわめて困難ですし、ものすごいお金がかかります。

 佐田岬半島には、標高10m前後に集落がある場合や、名取のように標高100m以上に集落がある場合に分かれており、それぞれに条件が異なりますが、陸路を三崎港に向かう場合は国道197号線まで細い取り付け道路を150mほど登ったり、集落から197号線までの道路が崩れやすかったりとそれぞれ固有の悪条件があります。現時点では、それが未解決の集落が殆どと言うほかありません。

 さて一行は、夕闇迫る中、コンクリートで封鎖された旧名取トンネルから引き返し、「へこみデミオ」で三崎港へと急ぎました。

◆海路避難の場合の集合場所、三崎港

 三崎港は、伊方町の避難計画では伊方発電所以西の住民が海路で避難する場合の集合場所です。この港には伊方町観光交流拠点施設 「佐田岬はなはな」が隣接しており、新鮮な魚介類が格安で購入できるのですが、あいにくすでに閉館していました。ここからはきれいな海が見えるのですが、何やら様子が違います。

 なんと、防潮堤がかさ上げされており、海が見えません。三崎港は、防潮堤の外側になっており、三崎港の集落全体が防潮堤の内側になるように工事が進められています。

 一同、港町が海から隔離されつつある状況に絶句です。

「佐田岬はなはな」は、海を見ながら芝生の広場でのんびりするのが売りだったはずですが、今では壁を見ながらと言うことになり興ざめです。「佐田岬はなはな」を防潮堤の外にするなど手はなかったのでしょうか。かなり残念ですが、一方で防災を考えると「佐田岬はなはな」は防災拠点になり得ますので仕方のない事だったのでしょう。

 防潮堤は、3m以上にかさ上げされており、三崎港とは防水扉で仕切られています。

 2016年の避難訓練では、海自艦艇も動員した大規模なものでしたが、海自艦艇にこどもたちを乗せたところで台風による波浪のために出港できず、洋上輸送は中止となっています*。

<*参照:"伊方原発:避難訓練 乗船訓練中止に 参加は対象の1割弱 /愛媛 - 毎日新聞" 2016/09/05>

 仮に三崎港へ住民が集まることができても津波や高波で船が出せなくなることは十分にあり得ます。何しろ原子炉が勝手に壊れることは滅多にありませんが、台風や津波、大雨、地震で原子炉が壊れることはあり得ることで、そういったときに港が機能しない可能性があるのです。

 また三崎港集落自体が津波災害危険地域で、三崎高校などの避難所は山の上にあります。そういったこととの整合性が避難計画には欠けています。

 伊方町は、職員に大型自動車免許を取得させるなど、避難時のバスの運行を確保する努力していますが、根本的なところで計画に欠陥があります。

◆多重防護原則を無視した世耕経産相発言

 国と原子力事業者、自治体には、「原子力・核災害は起こる」という大前提から多重防護の第五層を整備する責任がありますが、6月19日の経済産業委員会では世耕弘成経産大臣が「再稼働するしないの話と、避難計画は関係ないと考えている」と答弁しています*。

<*参照:世耕大臣「再稼働するしないの話と、避難計画は関係ないと考えている」 2019/06/19衆院・経済産業委員会24分以降>

 合衆国では、ちょうど30年昔の1989年に、避難計画を策定できなかったショーラム原子力発電所が完成しながら操業開始できず廃炉となったように、世界では多重防護の第五層に当たる実効性のある避難計画の策定と全関係者参加避難訓練の実施は商用原子炉認可の必須条件という趨勢です。世耕氏が答弁したような日本政府と自民・公明両党の考えは、日本の原子力規制が世界でもまれに見る笊であることの原因となっています。

 所轄大臣がこのようなふざけたことを答弁するようでは、核災害が発生したとき、福島核災害の地獄が再現することは間違いないでしょう。実際、伊方町と愛媛県の原子力防災計画は、ガラクタと言うほかありません。

 さて佐田岬半島は、まだまだ西に続いています。そして集落はたくさんあり、住民は名取よりももっと凄いところにたくさん住んでいます。そして、国道197号線はここで終わりで、この先は町道と農道になり、大幅に規格が悪くなります。

 本来は、この先も見なければなりませんが、もう夕暮れです。私は魚料理の美味しい民宿 (亀ガ池温泉のレストランもここが経営)を知っており、家族で泊まったこともあるのですが、蓮池さん、同行者二人ともすでに八幡浜の宿にチェックイン済です。

 この民宿の先代など、地元有志が佐多岬灯台周辺の観光化事業を計画し、伊方町とともに進めるなど、過疎化と必死に闘っている様なども紹介したいのですが、今回は涙をのんで三崎港から引き返しました。

◆「へこみデミオ」東へ

 さて、後ろ髪引かれながら三崎港をあとにしましたが、私も昼食抜きなのでおなかペコペコです。ところが、佐田岬半島には砂浜があるのかとか、昔小学生の時に八幡浜からの海水浴遠足は船だったなど皆さん賑やかに話しています。蓮池さんもお会いしたときと打って変わってチョーノリノリです。

 実は、佐田岬半島には東西を結ぶ道がかつては存在せず、船による集落間の移動がなされていました。湊浦から三崎までの道路が整備されたのは1958年のことで、国道197号線(旧道)の全通は、更に後となっています。当時は余りの酷い道路のために国道197号線は、「行くな酷道」といわれ、車などがポロポロ転落していたそうです。ですから、50代以降の方は船で遠足していたことは十分あり得ます。伊方発電所は、そういった開発が著しく遅れていた場所に立地しており、地元の経済効果への期待はたいへんに大きなものでしたし、実際に道路・港湾などのインフラ整備に大きく寄与したことは否定できません。伊方から三崎港までの避難道路が2.5本(太平洋岸は大久(おおく)で途切れている)しかない理由には、そのような経緯があるのです*。

 それから50年近い月日がたち、当時と社会・経済情勢ほかが激変しているのが伊方町と伊方発電所の置かれた環境です。

 おなかが減って、目が回りそうですが、そのことはおくびにも出さずに佐田岬半島太平洋岸の町道と、なかなか笑える風景を蓮池さんにお見せせねばなりません。

 もう日没まで時間がありませんので、車を東に進めました。国道197号線には妖気漂う怪しい改造車(覆パト)がウヨウヨしていますので、捕まらない程度に急ぎます。と言うことで次回に続きます。

*重要な訂正)

 前掲した動画の中での私の発言に誤りがあります。

「四電は、高圧送電線の交差部を解消した」これは誤りです。実際には、交差していても問題ないという報告書を出してNRAもそれを認めました。

 勿論、高圧送電線の交差は、多重性、冗長性を大きく損ないます。そもそも送電線が二重化していても隣接しているだけで冗長性は損なわれます。

『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』番外編:蓮池透氏四国リレー講演会3

<取材・文・撮影/牧田寛 Twitter ID:@BB45_Colorado >

まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中

【牧田寛】

Twitter ID:@BB45_Colorado

まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中

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