2度の豪雨でたやすく崩落した伊方発電所周辺集落の避難路。蓮池氏とへこみデミオ号で回ってみた

2度の豪雨でたやすく崩落した伊方発電所周辺集落の避難路。蓮池氏とへこみデミオ号で回ってみた

旧国道197号線(伊方町道)二見・塩成間道路崩壊地点2016/8/13牧田撮影 海側に半分以上崩れている。標高は60m前後あり、かなり怖い

 れいわ新選組から参院選立候補が決まった蓮池透氏の四国リレー講演会に同行する機会を得まして、その模様をリポートしています。前回まで(過去の回は1,2,3を参照)は、四国・伊方発電所周辺の立地について、筆者の愛車「へこみデミオ」号と徒歩でその驚愕の模様をお伝えしました。今回はさらに伊方発電所の原子力防災について、蓮池さんと一緒に見ていきましょう。なお、写真など配信先によってはこちらの意図通り見られない場合もございますので、その場合は本体サイトよりご覧ください。

◆三崎から旧197号線入り口へ

 夕闇迫る中、蓮池さん一行を乗せた「へこみデミオ」は、佐田岬半島を東へと国道197号線を疾走します。この197号線(山頂道路)は、三崎から湊浦まで信号機がひとつも無い線形のたいへんに良い道路です。一方で、全線50km/h規制のため、覆面パトカーにとっての絶好の狩り場です。県外ナンバーの自家用車はカモにされます。しかし、標高150~200m超という山頂付近に敷設されているため、集落との接続に難があります。また、数多くのトンネルと橋梁があるために大災害時に不通ないし車線規制となる可能性があります。

 従って、五十五存在する集落から197号線への接続経路の確保と197号線が切れた場合の予備経路の確保は、原子力防災にとって必須条件といえます。

 三崎地区の出口にある信号機を通過すると山に隠れていますが三崎高校があります。この高校は、山火事や津波などの災害時におけるオールマイティな指定緊急避難場所となっています*が、核災害時に197号線が閉塞している場合は、ふもとの三崎港から脱出することになっています。

<*伊方町の避難所について 伊方町>

 ウィンズケイル核災害やチェルノブイル核災害といった、原子炉が単独で崩壊する核災害も歴史上複数ありますが、商用大型原子炉による核災害では、福島核災害を見れば分かるように、原子炉が勝手に壊れるのではなく、地震、津波、竜巻、台風、豪雨、航空機突入、テロール、サボタージュ、戦争などとの複合災害としても起こり得ます。

 前回ご紹介しました、伊方発電所に関わる避難計画と、伊方町の災害時の指定緊急避難場所には不整合があると考えるほかありません。

 要は、想定がたいへんに甘いのです。

◆2016年豪雨であちこち崩壊だらけだった佐田岬半島

 国道197号線は、1970年代設計・施工の国道です。その後も改修が続けられていますが佐田岬半島は、地形の変位が活発で、さらに地層の風化も激しいです。そのため、前回ご紹介した名取トンネルだけでなく至る所で大小の防災工事が行われています。

 このことは、「行くな酷道」と言われていた旧道時代にはすでに分かっていたことで、現在伊方町道となっている旧国道197号線は、常にどこかが壊れていると言っても過言ではありません。

 とくに2016年8月の伊方発電所再稼働の時点では、同年6月19〜21日の豪雨によって瀬戸内側の県道255号線はあちこちで路肩崩壊による車線規制があり、宇和海側の旧197号線(伊方町道)も、二カ所が大規模道路崩壊によって翌年まで全面通行止めとなり、交通規制区間も多数ありました。ほかにも複数の集落に孤立の可能性がありました。(参照:大雨警報による被害状況等について(第9報) 28.6.23愛媛県災害警戒本部)

 愛媛県も伊方町も避難計画は大丈夫であると市民に説明していますが、私は、想定が余りにも甘すぎると考えています。

◆行くな酷道をゆく「へこみデミオ」

 神崎口バス停付近にある旧197号線伊方町道に入り、大久(おおく)地区まで旧道を通ることにしました。ここは、2016年6月の梅雨前線停滞による豪雨で道路崩壊が起こり、伊方3号炉再稼働時には全面通行止めで復旧時期未定でした。

 この伊方町道は「行くな(197)酷道」と呼ばれていた旧国道197号線ですが、道路規格は昭和30年代の国道にしてもかなり低いものの、北岸の県道255号線未改修区間に比べるとかなりましといえます。そのため隣接する集落間の移動経路としてはよく使われており、伊方町役場のある湊浦から大久までの間の生活道路と言えます。そのためこの道路が壊れると、隣接する集落間の移動がわざわざ山頂道路を迂回することになるため、長期の閉塞はたいへんに困ります。

 この旧道に入ると、右側に宇和海の絶景が広がります。宇和海は太平洋の景色となり、発電所側の瀬戸内海の風景と大きく変わります。佐田岬半島は、太平洋の景色と瀬戸内海の景色が両方とも楽しめ、魚も両方のものがとれます。

 観光資源としてはかなりの潜在力があり、八幡浜・大洲道路*が全通すれば、佐田岬半島にもかなり来やすくなりますので、早期の完成が望まれます。

<*国道197号 「大洲・八幡浜自動車道」全線の早期完成を目指す - 八幡浜市

 この景色の差には蓮池さんも大喜びで、また宇和海側には砂浜があることに気がつかれました。佐田岬半島は、宇和海側には砂浜が広がっており、昔から海水浴場があちこちにあります。八幡浜の住人は、昔は連絡船で海水浴に来ていました。

 この旧道で標高差110mを下ると大久集落に入ります。この集落は比較的大きく、小中学校の統廃合が進む中、小学校が無事に残っています。しかし、さすがは「行くな酷道」だけあって、道路は狭隘で、離合はできません。

 過去のドライブレコーダ映像を何本も点検しましたが、この旧国道は、北岸の県道よりはよく整備されているとは言え、集落内は軒先をかすめるように通行し、離合ができず、集落外では恐ろしい道がのこるなど、例えば夜間に何かがあれば数十メートル下に転落と言うことも起こりえます。地元民が「行くな(197)酷道」と恐れただけのことはあります。それだけに山頂道路が全通した後も、1985年に航路廃止されるまで民間の八幡浜・三崎間連絡船が半島南岸の主要な集落を結んでいたのです*。各集落の港湾施設がずいぶん立派であることの背景と言えるでしょう。

<*宇和海と生活文化(平成4年度)愛媛県生涯学習センター>

◆「車が使えない場合」に登る急峻な坂

 本当は、この旧国道(伊方町道)を湊浦まで戻りたいのですが、もう暗くなりますので、この大久地区から山頂道路に戻ることしました。

 写真のように大久集落からは、大久農道によって山頂道路に行くことができます。大久地区の標高は約10mで山頂道路の標高は215mです。宇和海側の集落と山頂道路を結ぶ道は、瀬戸内側の集落のそれより格段に良いのですが、災害時に使えるのかは分かりません。

 蓮池さん含め皆さん、「もし車が通れなくなったらこんな坂を登るの!?」と絶句です。原子炉が壊れるような災害時に、このような険しい道路や、無理をして敷設した道路が健在である保証はありません。

 予備経路がない場合、道路が壊れたときに妥当なのは海路からの脱出でしょう。この場合、津波を想定せねばなりません。

◆チョー絶景の堀切大橋へ(災害時は壊れる想定)

 大久から合流した山頂道路は、八幡浜側に向けて標高230m程度まで登ると、あとは湊浦にむけて高度を少しずつ下げて行きます。この区間は、アクセルを踏まなくてもぐんぐん加速して行きます。トンネルと橋梁がたいへんに多い区間で、しかも昭和50年代の標準的な工法ですので結構壊れやすそうです。実際、トンネルは頻繁に点検と修繕が行われており、修繕跡が目立ちます。

 8分ほどで、難工事区間だった堀切峠をまたぐ堀切大橋を渡ります。堀切峠では中央山脈が途切れており、むかしから佐田岬半島の南北、宇和海側と瀬戸内側を結ぶ重要な場所なのですが、山頂道路建設では難所となりました。かつては宇和島藩がここに半島を横切る運河を建設しようとして断念し、その遺構が残っているそうです*。

<*堀切大橋 いよ観ネット>

 この堀切大橋が国道197号線の弱点であることは行政も意識しているようで、2016年の原子力防災訓練では、この堀切大橋が通行不能になったという想定で行われています。 (参照:伊方町佐田岬半島部の住民避難個別訓練概要|愛媛県)

 ここでよく思い出しましょう。大災害が起きたとき、高速道路、鉄道、橋梁、トンネルは、いったん閉鎖した上で安全点検を行い、安全が確認された上で閉鎖解除となります。それには半日から数ヶ月かかります。そして多くの場合、特に橋梁が損傷によって長期封鎖されます。福島核災害の場合は、原子炉が大破するまでに約1日の余裕がありましたが、これは原子炉スクラム(非常停止)後、1時間冷却する間があったためで、たいへんに条件が良かったのです。原子炉緊急停止と同時に冷却を失った場合、TMI-2(スリーマイル島原子力発電所二号炉炉心溶融事故)が実例ですが、わずか数時間で原子炉は炉心溶融後、破壊されます。核災害時には、橋梁などの点検をする余裕時間は殆どないのです。

 堀切大橋を渡った直後、道路には佐田岬メロディーラインと名付けられた仕掛けがあり、タイヤと道路の摩擦で音楽が鳴ります。同行する女性は、「これ四電がお金出してあちこちに作っているのよ、いやねぇ。うるさい。」といいます。私は、結構好きなので、そこまで嫌わんでもエエがなと思いますが、確かに風力発電機より遙かにうるさいです。維持費がかかりますし、夜間深夜にフェリーを利用する大型トラックが走行しますので、最近増やした一部の集落近くにあるものは剥がすべきでしょう。

◆伊方発電所再稼働時における災害の記録

 ここで伊方発電所再稼働の2016/8/12時点での佐田岬半島における大きな道路損傷をほんの一部だけ写真でご紹介します。大久の旧国道崩壊箇所は怖くて引き返したために写真がありません。

 山頂道路(国道197号線)が壊れるほどの災害が起きた場合、伊方発電所に不幸にして過酷事故が発生したとして、その場合、伊方町55集落の住民が避難できるかと言えば、それは第二動線である県道255号線(瀬戸内側)と、旧197号線伊方町道(宇和海側)が使えるかにかかっています。

 さて、伊方発電所裏で蓮池さんをご案内しているとき、目の前に露岩がありました。蓮池さんは、露岩に近づくと、いきなり片手で岩をむしり取り、素手で岩を握りつぶして砕きました。Oh! まるでケンシロウです!「蓮池の拳」か!?怒らせたら骨を砕かれそうです。

「これ、とても脆いんですよ、手で崩せます、ほら」

「あら、こんなの私にも砕けるわよ」

 皆さん、露岩から次々に岩をむしり取って砕いてゆきます。どれどれ、私のような弱っちい細腕でも岩を砕くことができます。

 佐田岬半島は緑色片岩で有名で、伊方発電所も見事で美しい緑色片岩を原子炉の基礎岩盤としています。ところが、この岩石は地表付近で風化するときわめて脆く崩壊しやすい性質を持っています。そのため佐田岬半島は、全域で大規模な地滑りが起こりやすく、宇和島藩もそのためにたいへんな苦労をしていたことが知られています。今日でも至る所で道路が壊れる原因です。

 この地層のやっかいさは、原子力の現場で働く人は勿論、土木・建築の人間ならば誰でも知っていることです。実際、伊方発電所内で植生皆伐後のはげ山への護岸工事では、大雨のたびに土砂流出が見られます。四国電力が、たいへんな努力と苦労をしていることが外からもよく分かります。

 奇しくも、四国電力がたいへんな努力の上に成し遂げた2016年8月12日の伊方発電所三号炉操業再開(再稼働)のとき、佐田岬半島の道路は、同年6月の豪雨によって満身創痍でした。伊方発電所敷地内外でもあちこちで土砂災害が発生しており、県道255号線(第二動線)でも通行規制が発生しました*。

<*:伊方発電所敷地境界付近における土砂崩れの発生について 2016.7.11 原子力安全対策推進監>

 仮にこのとき、不幸にして大天災が起きて伊方発電所が第十五条通報をする事態に追い込まれれば、発電所に緊急用物資は届かず、半島内通信網と道路網は寸断され、市民は逃げようがなく右往左往すると言った事態が生じ得ました。

 せめて道路の復旧をした上で操業再開すべきであったと思います。私が、愛媛県と伊方町の避難計画がたいへんに甘い想定に基づいたガラクタで、まず役に立たないと考える原点がここにあります。

◆謎のトンネルはまだあった!

 前々回、埋められてしまったと記しました伊方発電所内の小トンネルですが、写真を点検したところ、なんと無事に存在していることが分かりました。このトンネルは、地元の方によると中は行き止まりだのことですが、2016年に一度埋められ、現在はまた現れています。観測トンネルではないかと推測していますが、謎です。

◆「へこみデミオ」きらら館へ

 さて、堀切大橋を通過し、程なくすると目的地の伊方道の駅きらら館と、四国電力ビジターズハウスが見えてきます。まさに日は沈まんとしていますが、まだ十分い明るいです。

 この連載、第一日目分は、もう一回延長して、第五回できらら館近くの面白いものをご紹介します。

『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』番外編:蓮池透氏四国リレー講演会4

<取材・文・撮影/牧田寛>

【牧田寛】

Twitter ID:@BB45_Colorado

まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中

関連記事(外部サイト)