れいわ新選組、重度障害者の女性を参院選の公認候補に。「当事者の声を国会へ」

れいわ新選組、重度障害者の女性を参院選の公認候補に。「当事者の声を国会へ」

6月28日、会見を行う山本太郎氏(左)と木村英子氏(右)

◆生産性ではなく、存在しているだけで人間は価値がある

「生産性で人間の価値が測られる。もうすでにそういう社会になっていると思います」

 山本太郎・れいわ新選組代表は6月28日、そんな言葉で記者会見を始めた。

 同団体が擁立する3人目の立候補予定者の発表。前日に続き、2日連続の会見となった。会場となった東京・四谷の事務所には開場前から報道陣が行列を作っていた。

「これによって苦しめられる。これによって命を絶ってしまう。そういう方がたくさんいると思うんです。『会社のために役に立っているのか』『国のために役に立っているのか』『誰かのために役に立っているのか』みたいな話もよく聞かれます。

 こういう空気が蔓延している世の中は地獄ですよね。この地獄をなんとか止めたい。『人間は存在するだけで価値があるものだ』という考え方に基づいて政治が行われないならば、その世は地獄であろうと。

 まさに今がその状況。生産性ではなく、いかに存在しているだけで人間は価値があるかという社会を実現するために政治はある。そういう考え方のもとに、れいわ新選組はこれからやっていきたい」(山本氏)

◆当事者抜きに、当事者のことを決めるな

 続いて山本氏は、年来の主張を繰り返した。

「当事者抜きに、当事者のことを決めるな」

 一見、当たり前のことにも思えるが、「現在の政治の中では実現できていない」と山本氏は言う。3人目の公認予定者は「その中の当事者とも言える人」だと紹介された。

 脳性麻痺で重度障害者の木村英子氏。電動車椅子に乗り、介護者とともに会見場に現れた。木村氏は「全国公的介護保障要求者組合」書記長、「全都在宅障害者の保障を考える会」代表、「自立ステーションつばさ」事務局長を務める。

「途中、声が出なくなることもあるので」と断りながら、木村氏は語り始めた。

「太郎さんとの出逢いは3年ほど前のことです。とても印象に残っているのは、『Taro’s NETWORK』(山本氏の後援会)の集会に参加したとき。太郎さんの書かれた公約の中に障害者政策がなかったので『ぜひ入れてほしい』と発言したら、『ここにいるみんなの前で、障害者政策を必ず入れていくことを約束します』と断言してくださったこと」(木村氏)

◆施設へ入ることを拒否、地域で自立生活を始める

 れいわ新選組が会見場で配布したプロフィールによると、木村氏は1965年横浜市生まれ。生後8か月のときに歩行器ごと玄関から落ち、障害を負った。そして、幼少期のほとんどを施設と養護学校で過ごしながら成長する。

「本来、私は養護学校高等部を卒業したら、施設に入れられてしまう存在でした」(木村氏)

 養護学校卒業後、家族による介護が受けられない重度障害者は、施設しか生きる場所がない。そんな状況の中、木村氏は「地域で生活がしたい」と施設への入所を拒否。国立市で自立生活を始める。19歳のときだった。

「同い年の健常者の友達ができたのは、地域に出てきてからです。『一生を施設で生かされ、死ぬまで出られない』とずっと思っていました。なのに今、こうして参院選で立候補して、記者の皆さんの前でお話をしているなんて、とても信じられません」(同)

◆障害者は施設に入りたいのではなく、そこしか行き場がない

 木村氏は重度障害者が生きにくい社会の現実と向き合い、仲間とともに障害者運動に携わるようになる。地域での自立生活歴と運動歴はともに35年を数える。「地域で生活したい」と望む障害者の自立支援に今日まで邁進してきた。

「私の仲間の障害者たちは今、みんな施設の中にいます。小さい頃からですから、施設に50年いる人もいます。私たち重度障害者は、親が(私たちの)介護ができなくなれば、施設に入れられる。一生がそこで終わってしまうのが、当たり前の道筋なのです。

 障害者は施設に入りたくて入っているわけではありません。そこしか生き場がないのです。施設で育った私は社会をまったく知らず、地域で自立生活をすることは雲の上の夢でした。

 でも、施設での生活は自由がなく、管理され、時に虐待を受ける。そんな生活に耐えられずに、すでに地域で自立して暮らしている先輩たちに助けられ、19歳で地域生活を始めました。

 そのとき、奇跡を感じました。こうしてここにいることも、私にとってはとても大きな奇跡です。その奇跡を作ってくれたのは、今ここにいる山本太郎さんです」(木村氏)

◆普通の女性として、当たり前に生きていたかっただけ

 木村氏は厚生労働省との交渉でも「かなり攻めの姿勢で、理路整然と官僚たちとやり合える人」(山本氏)だという。役所との折衝に何度も同行する中で、「有事の際には一緒にやりたい」「この人は国会に必要なんじゃないか」という気持ちが山本氏の中に芽生えていった。

「私が立候補する理由は、『障害者運動を続けていくなら、政治に参加して戦っていこう』と思ったからです。今までは障害者の仲間とともに、地域で生きるための介護保障制度について行政に運動していくことが、私の生活そのものでした。

 私は地域に出て、健常者と同じように、ただ普通の女性として当たり前に生きていきたかっただけなのに。地域に出たとたん、障害者の介護保障運動をしなければ生きていけないことを思い知りました。地域で生きていく以上、死ぬまで運動していくことが今の私の現実です」(木村氏)

◆障害福祉と介護保険の統合で、介護サービスが低下

 木村氏が現在取り組んでいる運動の状況とは、どのようなものなのだろうか。

「2003年に『措置』から『契約派遣』に変わって、ヘルパー派遣について行政は責任を放棄し、民間に投げてしまいました」(木村氏)

 少々補足が必要だろう。2003年4月、障害福祉サービスは、従前の「措置制度」から「支援費制度(利用契約化)」へと移行した。

 措置制度では、障害者があるサービスを利用する際、行政が利用決定を行っていた。サービスの対価は“行政から事業者に”給付される仕組みだ。一方、支援費制度では“行政が障害者に”支援費を給付。障害者は、事業者との契約に従ってサービスを利用することになった。

「さらに、障害福祉制度と介護保険を統合しようとする国の動きの中で、地域で暮らしている障害者の生活が壊されようとしています。

 障害者は65歳になったとたん、『高齢者』の枠に入る。今まで受けられた介護制度を減らされ、命を脅かされています。

 障害福祉で必要な介護時間を保障してもらっていた一人暮らしの障害者は、65歳になったとたんに介護保険に組み込まれ、介護時間を減らされて外出もできなくなり、お風呂にも入れなくなりました」(同)

◆障害当事者として政治に参加し、少しでも変えていきたい

 地域で暮らす障害者は「(介護保障)運動をしなければ、命すら保障されないほど深刻な状況に置かれている」と木村氏は指摘する。

「自分でベッドに移動できないので、ずっと座椅子の上で寝るしかなく、褥瘡(じょくそう=「床ずれ」のこと)ができたりする。ヘルパーは1日1回しか来ないので、食事も取れない。そんな人たちがいます。

 今、全国的に人手不足です。重労働で賃金が安い介護職の分野には、さらに人が集まらない。せっかく命がけで施設を飛び出して自立生活をしたのに、『人手がない』という理由で、お盆や暮れは介護事業所からショートステイで施設に入れられてしまう始末です。そんな厳しい現状の人がどんどん増えています」(木村氏)

 また、「障害者」と一括りにして捉えられがちだが、障害はそれぞれに違う。介護の方法も異なる。

「行政は『地域移行』を掲げていますが、障害者の生活を壊し、施設に逆戻りさせてしまう政策は明らかな人権侵害であり、あからさまな差別です。立候補させていただく理由は、障害者運動をしていく中で山本太郎さんと出会い、『障害を持った当事者の事情を直接、国会に訴えていってほしい。一緒に戦っていきましょう』と声をかけていただいたから。

 私のような重度障害者が国会に声を届けるチャンスを太郎さんからいただいて、今回、立候補させてもらうことを決意しました。厳しい状況を強いられている仲間たちの苦悩と叫びを(伝えたい)。私が障害当事者として政治に参加し、少しでも変えていくことができたらと思っています」(木村氏)

◆障害者が生きられる社会は、誰にとっても生きやすい社会

 木村氏はこれまで、「障害者が生きられる社会は、誰にとっても生きやすい社会」だと訴えてきた。

「障害者は障害を持った時点から、教育の場面、働くところ、住む場所、遊ぶ場所、どこでも分けられてしまう。そのことで街の中のバリア、人の心の中のバリアも広がっていきます。分けられれば分けられるほど、差別はひどくなっていくばかりです。

 それは私にとっても、非常に生きにくい社会です。そして、誰にとっても生きにくい社会のはずです。小さいときからともに育ち、学び、遊び、支え合って生きる社会は、差別のない誰もが生きやすい社会になると信じて、戦っていきたい」(木村氏)

 木村氏の話が終わり、会見は質疑応答に移る。山本氏が「質問はありませんか」と会場に声をかけた。数秒間、沈黙が続く。このとき、記者たちは固まっていた。

「質問が浮かびませんか?」

 そう問いかけた山本氏にしても、重度障害者と接したのは木村氏やその仲間と出会ったときが初めてだったという。「どう接していいかわからなかった。失礼だが、『腫れ物に触る』ような感じ」(山本氏)と当時を振り返っている。

 筆者は木村氏に「政治の場での活動と、これまでの活動はどう違ってくるか」を尋ねた。

「私の現状を訴えるという意味では、そんなに変わらない。ただ、場所が地方自治体の行政ではなく、国会のたくさんの議員さんの前で、私の存在と私の状況を知ってもらう。そのことで国会の中のバリアなどがなくなっていったらいいなと思います」(木村氏)

◆「バリアの中に閉じ込める施策」から、真のバリアフリーへ

 山本氏によれば、国会議事堂や議員会館の設備は「バリアフリー」にはほど遠いようだ。車椅子で議席につくことはできない。介助者の同伴も現状では無理。「多様性」や「包摂社会」について、さんざん議論してきた場でさえ、この程度のものでしかない。

「700人以上も国会議員がいながら、どうして当事者は1人も入ってないんですか、ということ。これがすべてです」(山本氏)

 山本氏はこれまで推進されてきたバリアフリー策について「まったくバリアフリーではない。『バリアの中に閉じ込める施策』だったんだと、木村さんから学んだ」という。

 国会が「どんな人にとっても敏感に反応できる場」になり、真のバリアフリー化を遂げることは可能なのか。政党要件もまだ満たしていない団体の問いかけに、既成政党はどんな答えを出すのだろうか。

<文・写真/片田直久>

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