世界に「分断」が生まれる背景とは――『分断を生むエジソン』著者の北野唯我氏に聞く

世界に「分断」が生まれる背景とは――『分断を生むエジソン』著者の北野唯我氏に聞く

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 株式会社ワンキャリアで最高戦略責任者を務めながら、新聞・ビジネス誌などで「職業人生の設計」や「組織戦略」の専門家として健筆を振るうなど、多分野にわたって活躍する北野唯我氏。

 これまでの2冊の著書『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』(2018、ダイヤモンド社)、『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』(2019、日本経済新聞出版社)は計26万部を数えるベストセラーとなり、今年11月には3冊目の著書『分断を生むエジソン』(講談社)が発売となった。

 ビジネスにおける「分断」を「影響力の地図」「分断する王」など特異なキーワードで語った本作について、同時期に出版された『OPENNESS(オープネス) 職場の「空気」が結果を決める』(2019、ダイヤモンド社)との比較、またこれまでの人生経験なども含めてお話をうかがった。

◆世界を象徴する「分断」という言葉

――まず、『分断を生むエジソン』の着想のきっかけをお話しいただけますか。

 もともとは、「愛ある革命」というタイトルが念頭にありました。自分が経営に携わっていて感じることは、ビジネスもいきつくところ、ある種の愛情だと思うんですよ。同僚や部下に対してはもちろん、自分たちが作り上げたプロダクトやサービスに対しても「愛」はある。革命、というのは抜本的な変化のことですけど、革命にも愛があるか、ないかという違いがあって、現代に必要なのは「愛ある革命」だと思っていました。実は、ぎりぎりまでこのタイトルでいけないかと、編集者と話し合っていたんです(笑)。

 一方で、なぜ「分断」というタイトルになったかというと、今の世界を象徴する言葉だと思っていたからですね。富める者、貧しい者という経済格差の問題も大きいですけど、それのみには留まりません。トランプ政権などは特に露骨ですが、価値観やイデオロギーの違いがあったとして、お互いを認め合うんじゃなくて、シャットアウトするような形になっている。そして、「分断」は政治や経営のフィールドにおいてのみではなく、生活の実感としても生まれていて、その実態は何かということを描きたかったんです。「分断」はただ普通に描いてもわからないので、物語形式を通して描くことにしました。

 価値観の違いとは、大きくは変化を求めるか、否かということです。作中で「西の国の人」と定義している、いわゆるビジネスリーダー気質の人は変化を急ぐ傾向があります。ただ、ビジネスリーダーの述べる、極端にも思われるような提言が人を幸せにするかと問われれば、結構難しいところがある。僕も地方講演で色々なところに行きましたけど、そこで出会った少なくはない方から、変化は求めていない、変化は怖いという感覚を肌で感じました。ひとつの組織の中にもいろんな人がいて、全体的な構造としてはどのように成り立つのかを整理したかった。その時に、ひとつの組織が成り立つための4つの要素――変化や個人を重んじる「西」と歴史や組織を重んじる「東」に加え、全体を統率するバランス型の「中部」、実生活に関するものを好む多数派の「南部」という4つを定義したら、社会で生まれている「分断」を説明できると感じました。基本的には、今までの僕の経験の蓄積からこの本は生まれています。

 ちなみに、本作の「西」と「東」の概念は、あるFintech企業の対照性から思いつきました。ともにクラウド会計ソフトを運営する、ライバル同士とも呼べる企業です。A社ってまさに西のカルチャーで、オフィスカジュアルかジーンズにシャツのような軽装なんですね。一方、B社はビシッとしたスーツ姿です。

 そうした姿勢は対外的にもあまり変わらなくて、地方の税理士や公認会計士と打ち合わせをするときに、A社の方はシャツみたいな感じで行き、B社の方は暑くてもスーツで行く。その時に地方の方がどちらを信用するかというと、明らかに後者なんですね。

 スタートアップ、すなわち「西」側に身を置く人こそ、B社のような感覚は学ぶべきだと思います。うちの会社(ワンキャリア)は幸いなことに、上場企業の時価総額トップ100の会社のうち、70%がクライアントです。それゆえに、体制としては「西」に近いけれど、「東」の感覚も並行して学ぶことができる。「西」と「東」の感覚を両立させない限り、大きな仕組みを変えることはできないんです。

◆「すぐに」ではなく「長期的に」役に立つ本

――執筆の上で、意識された点を教えていただけますか。

 今のビジネス書は、短期的な効果を望める本が売れます。でも、『エジソン』は逆で、長期的に見て意義があるものを描いたつもりです。

 この本の実用性については、短期的な視点で見れば乏しいとは思います。そこまでわかりやすくもないし、明日からすぐに使えるようなものではない。でも、より長いスパンで考えると、確かに人生の一部にかかわるところがあって、読むと読まないとでは少しだけ変わってくる。そんな本を作りたかったんです。

 ただ、いきなりそういう本を出すことは難しい。ちょっといやらしい言い方になりますけど、これまで僕が執筆した本は、『エジソン』を出すための布石となっているところはあるかと思います。

 たとえば、同時期に出る『OPENNESS(オープネス)』は「すぐに役に立つ本」だという自負がありますし、さらにさかのぼれば、デビュー作の『転職の思考法』を書いた背景には、まずは自分という存在を定着させようと思った部分はあります。「転職」は多くの人にとって身近なキーワードですし、まずはベストセラーを出す必要があった。国家戦略とか、ちょっととっつきづらいテーマの本を書こうと考えた時に、出版社もあまりリスクを背負いたくありませんし、誰が書くかは重要になりますよね。同じように『エジソン』も、デビュー作だったら出版されないテーマです。1作目、2作目が売れたから、ある程度筆者の僕にも肩書が生まれて、深いテーマの本を出版することができたのだと思います。

――「影響力の地図」や「4人の病める王」など、本作には印象的なキーワードがいくつも登場します。こうした言葉の着想はどこから得ていらっしゃるのですか。

 基本的には、日常で自分が抱いている違和感からですね。

 この前、台風19号の関東への上陸がありましたけど、次の朝は運休やダイヤの乱れなどもあって、めちゃくちゃ電車が混んでいましたよね。あれって普通、ふたりで約束してたらLINEとかで連絡して、「今日会うのはやめよう」となると思うんですよ。でも、より規模が大きくなると、それが難しくなる。その原因は何か。ビジネスに最適化された結果、組織には“情”とは遠く離れた、化け物のような構造が生まれているのではないかと感じました。『エジソン』は先ほどの「分断」の仕組みに加え、ビジネスが生んだ化け物とは何なのかを探究する側面もあります。働いていて、ふと、なんでこんな人間らしくないことをしているのかとか、みんな人生で一度は思ったことがあるかと思います。そうした小さな違和感に、名前をつけることが重要だったんです。

◆経営を通して世界を見る

――北野さんは博報堂などの大手企業からベンチャーに移られました。一般には勇気のいる決断かと思いますが、なぜベンチャーに移ろうとお考えになったのですか。

 僕にはもともと、国家戦略を描きたいという思いがありました。貧しい国がどうやれば早いスピードで豊かな国になるのか、自分の手で解き明かしてみたかったんです。ただ、人間ってものすごく大きなことを理解するためには、そのためのフレームが必要になる。今飲んでいるコーヒーがおいしいというのは特に理屈とかはいらないと思うんですけど、大きなものは何かしらとっかかりがないと理解が難しいんですね。

 では、国家を捉えるときに、そのとっかかりとなり得るものは何か。僕にとってはそれが経営だったんです。20代前半で博報堂という大企業で経営企画と経理財務を経験して、その後、世界最大規模の戦略コンサルを経て、さて、あと経験していないのはスタートアップの経営だなと思いました。一通りの経営を経験して基礎体力をつけ、そのうえで、貧しい国がどうやったら早いスピードで世界の中心になれるか、実践的に探究したいと思ったんです。「貧しい国」、言いかえればこれからの可能性に満ちた国とは経営で言えばスタートアップだと思って入社しました。

 ――同時期に出される『オープネス』について、『エジソン』と絡めてお話いただけますか。

 『オープネス』は2019年の自分が、『エジソン』は32歳の自分がいちばん書きたいものでした。日本に求められているものを一言で言うならば、開放性であるという確信があったんです。トヨタがハイブリッド(HV)などさまざまな技術の特許を無償で提供したこともそうですし、#MeTooに代表されるように、さまざまな業界で女性が声を上げるようになったこともそうです。

 これまでの日本の経営は、「鎖国的」でした。大きくは情報を隠していたということですね。限られた空間だけで情報を握って、それによって優位に立つ人と、苦しい状況に立たされる人がいる。LINEグループの中でハブって、あいつには教えないというような、中学校のいじめとも重なる部分はあると思います。そうした抑圧への反動として、情報を開放させたいという欲求、また旧態依然とした体制の中で抑えられてきた、自分自身を解放させたいという欲求が強くなっている。

 今お話ししたのは経営のフィールドですけど、文化などでも同じことが言えると思います。たとえば、レディー・ガガ。彼女の曲は解放をうたったものが多い。「ありのままに」というワードが話題になった、映画『アナと雪の女王』もそうですね。文化とは大衆の声を吸いあげるものですから、みんなどこかしら解放されたいという感覚があるのではと。

 こうしたことは僕以外の人も考えてるでしょうし、そういう意味では僕じゃなくても『オープネス』は書けたでしょうけど、『エジソン』は32歳の僕だから書けたものだと思っています。

――20代の北野さんと、30代の北野さんでは何が違うと思われますか。

 20代は生意気でした。今もそうですけど(笑)。ただ、「愛情」についてより視野が開けたことは大きいと思います。『エジソン』の中に書きましたけど、誰もが根底には、他者から与えられた愛情があって、ただ、そのことに気づくタイミングが違うだけだと気づきました。

 まったく愛情を受けなければ、生きてはいけない。量の差はあるとしても、みんな愛情を受けている。そのことに、ある人は青年期に気づくし、ある人は死の直前になって気づくでしょう。20代の頃は、自分の根底に愛情が流れているということにも気づきませんでした。もちろん、単純な知識量の差もありますけど、それが一番ですね。

――それは作中にもあった、「弱さを知るリーダー」という言葉ともつながりますね。

 「弱さ」とは言いかえれば、自己完結ができないということです。すべてのものがひとりだけで完結できると、自信満々の男性はよく思う気がしますが、そうではなく、他者のつながりの中で生きていると理解することが必要なんですね。

◆釜ヶ崎で知った「自分の生き方」

――北野さんに影響を与えた方について、教えていただけますか。

 大学を卒業する少し前、22歳の時に釜ヶ崎に行って、夜回りの活動をしていたことがあります。当時の釜ヶ崎は今よりも社会的な課題が明確で、安い賃金で働く労働者の方が救急車に搭乗拒否されたり、凍死されたりもして、問題になっていました。ただ、本気でこうした問題に取り組みたいというよりは、社会勉強の一環としてくらいだったと思います。

 僕にとって重要だったのは、吉岡さんという、キリスト教協友会に所属している方との出会いでした。もともとはエンジニアとして働かれていて、釜ヶ崎の実態を聞いて会社をやめて、ご自身も日雇い労働をしながらボランティア活動を行われていました。ある時、吉岡さんを囲んだ会があって、それで、ご自身の哲学や活動について話されました。そこで、吉岡さんが語る一言一句が、むちゃくちゃ重いなと感じたんです。自分の魂を何に捧げるかを決めている人の言葉とは、こんなにも重いのかと思ったんですね。

 もちろん、吉岡さんに対する尊敬の気持ちも湧き上がってきたんですけど、自分の方向性について改めて考え直したんです。自分は絶対にこの人みたいにはなれない、自分のポジションとかを捨ててまで、世の中や社会のために生きることは絶対に無理だと感じました。

 自分は資本主義の世界で生きていく、でも、世の中にライフラインを作ってくれる人たちがいることを忘れずに、生きていこうと。その時に誓って、今も生きています。

――読者へのメッセージをお願いします。

 人生って、大変なことがたくさんあるじゃないですか。その中で自分だけに送られる言葉があったら、明日も頑張ろうと思えますよね。『エジソン』については、もちろん、読者の方のバックグラウンドは多彩だと思うんですけど、僕としては不特定多数の人というよりも、目の前の「あなた」に向けた一冊という感じなんですね。

 うれしい時とか、落ち込んでいる時とか、その時の感情によって印象も異なってくると思うので、本棚にそっと置いていただいて、何かの折に手に取ってくれれば嬉しいですね。

<取材・文/若林良>

【若林良】

1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。

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