菅首相誕生を後押しした「黒幕」。5大派閥談合と「記者クラブ」の共犯関係

菅首相誕生を後押しした「黒幕」。5大派閥談合と「記者クラブ」の共犯関係

9月2日、総裁選への出馬表明会見を行う菅氏(写真/横田一)

◆菅首相就任会見は、記者クラブ記者しか参加できなかった

 病気を理由に退陣表明(8月28日)した安倍晋三首相の後任を選ぶ自民党の総裁選挙は9月14日に投開票が行われ、菅義偉官房長官が新総裁に選出された。そして菅氏は16日、衆参両院の本会議で行われる総理大臣指名選挙を経て第99代総理大臣に就任した。

 菅氏は自民党総裁に選出された直後の14日午後6時から、東京・平河町にある自民党本部で就任会見を行った。菅氏が総裁としての初の記者会見をどういう形で開くかに注目したが、自民党本部4階にある自民党記者クラブ(平河クラブ)の記者しか参加できない官邸会見型だった。

 都内のホテルで開かれた総裁選はフリー記者も自民党報道局へ事前登録さえすれば取材できたが、総裁会見はわざわざ自民党本部に移動して行われた。

 会見の司会は谷公一衆院議員(自民党報道局長)。安倍会見と同様に、「スケジュールの都合で30分にする」と一方的に告げて始まった。そして、平河クラブの幹事社3社とクラブ加盟の新聞社2社の計5人の質問しか受け付けなかった。菅氏はモリ・カケ・サクラ問題を聞かれた時、演台に目を落としてずっと台本を読んでいた。記者との問答集が事前にできていたのだ。

◆菅政権を誕生させた5大派閥と記者クラブメディアは“共犯”

 2019年7月21日の参院選投開票日に党本部で開かれた安倍総裁の会見は、筆者も事前に申請したところ取材できた。韓国の放送局のディレクターも入った。菅氏が最初の会見を記者クラブ限定で開催したのは、新政権が記者クラブを徹底利用して、狡猾で閉鎖的な言論統制を敷くことになることを示している。

 菅氏は総裁選の討論会で首相の記者会見について、「官房長官が毎日2回会見し、政府の方針を詳しく伝えており、まったく問題はない」と現状を肯定した。一方、石破茂氏は「記者は国民の代表であり会見は重要だ。私が首相になれば、閣僚時代と同様に、会見では質問がなくなるまで答える」と断言していた。その石破氏の得票が3位になった。自民党は「報道の自由」のことは考えていないといえる。

 菅氏の圧勝は、5大派閥が総裁選告示(9月8日)の1週間前に菅氏支持を決めたからだ。記者クラブメディアは、菅氏について「雪深い秋田の農村から上京し、工場に勤めながら学費を貯めて法政大学に入った。地縁・血縁のない中で横浜市議になり、47歳で衆院議員になった」という美談を繰り返し伝えた。総裁選には公選法が適用されないから、やりたい放題の報道だった。菅政権を誕生させた5大派閥と記者クラブメディアは“共犯”だ。

◆記者クラブが縛った安倍会見と、フルオープンの菅氏出馬会見

 安倍首相の辞任表明(8月28日)から菅政権誕生までに行われた安倍、菅両氏の記者会見を振り返り、日本にしかない報道界のアパルトヘイト(人種隔離政策)である「記者クラブ問題」を考えてみよう。

 8月28日午後2時7分、NHKが「安倍晋三首相が辞任の意向固める」と速報し、同日午後5時から安倍首相は官邸で記者会見した。安倍氏の官邸での会見は、6月18日の国会閉幕時の会見以来71日ぶりだった。

 安倍氏の辞任会見の翌日、菅氏は自民党の二階俊博幹事長と会い、総裁選出馬の意向を伝えた。「首相になることはまったく考えていない」と断言してきた菅氏が、主要派閥の支持を取り付け、9月2日に東京・永田町の衆院第二議員会館の多目的室で、総裁選への出馬表明の記者会見を行った。

 筆者は改めて、首相退任を表明した安倍氏と、次期総裁に名乗りを上げた菅氏の記者会見を、ネット上の動画で見た。安倍氏の会見は官邸ウェブサイトの動画(政府インターネットTV)、菅氏の会見は『朝日新聞』のウェブサイトの中継動画だ。

 この2つの会見から「記者クラブ」問題の本質が見えてくる。安倍会見は、従来通り、内閣官房報道室と内閣記者会(正式名は永田クラブ、官邸記者クラブとも呼ばれる)の枠内で開かれた。一方、菅会見は騒々しい雰囲気はあったが、会場に入りきれないほどで、フルオープンだった。

 安倍会見は、幹事社の記者などが事前に用意された問答集に沿って終わった。一方、菅氏の会見は三密状態で開かれ、参加した一部の記者から厳しい質問や、シャウティングクエスチョンもあった。

 菅氏の出馬会見は海外では普通に行なわれる、国際標準のフルオープン記者会見だった。菅氏は、記者クラブに縛られない会見のお手本を自ら示したのだ。国内では、記者クラブを廃止した長野県庁(2001年〜)と鎌倉市役所(1996年〜)で開催されている。

 後述するようにこの会見をもって「開かれた会見」と評価するメディアもあった。だが、実際はそのようなものではなかった。

◆安倍氏の辞任表明会見は官邸と記者クラブが演出

 8月24日に首相としての連続在任記録を更新した安倍首相が28日午後5時から会見を開くことは、25日ごろから伝えられて27日に正式に決まった。会見当日の午後2時ごろ、NHKが「安倍首相が辞任の意向固める」と速報し、他局も約10分後にテロップで伝えた。

 安倍氏は会見でプロンプター(原稿映写器)を使わなかった。司会はいつものように長谷川栄一広報官(首相補佐官)だった。安倍政権は日本にしかない記者クラブ制度を徹底的に利用して、言論統制を敷いてきた。このことも政権の長期化を可能にした大きな要因だ。

 安倍氏の最後の記者会見では、長谷川広報官が内閣記者会の常任メンバー(幹事業務ができる大手企業メディア)の幹事社2社の記者2人に質問させた。その後、記者会の常任幹事社の記者たちを指名、最後に記者会以外の参加者の質問を受けつけた。

『西日本新聞』の川口記者のモリ・カケ・サクラ疑獄事件に関する質問はあったが、フリーランス記者も含めて、病気で辞める首相に忖度して厳しい質問は少なく、“花道”会見の様相となってしまった。

「ビデオニュース」の神保哲生氏が官邸による質事前の質問取りやメディア選別に関する質問をしたが、本質である記者クラブ制度の問題に踏み込まなかった。そのため、安倍氏に「会見の事前の質問を集めたり、メディアを選んだりすることは、どの政権もやってきたこと」と軽く流された。

◆総裁選告示前から「菅首相」を既成事実にした派閥談合とメディア

 菅氏が二階俊博幹事長と密かに会談し、出馬の意思を伝えたのは8月29日。二階氏は支持を約束、他の派閥の領袖も相次いで菅氏支持を表明した。すると、テレビを中心に総裁選が告示(8日)もされていない時期から、すでに「菅総理」が決定したかのような異常な報道を始めた。

 菅氏は9月2日の記者会見で、民放各局の情報番組の報道をなぞるように、自身の出自から官房長官になるまでの人生を振り返った。また、「地方を活性化したい」「縦割りの打破」を強調した。その後は、安倍政治を継承すると繰り返しただけだ。

 会見は予定の30分を上回り45分で終わった。しかし、官邸の会見に事前登録されている記者に限られ、それ以外のフリー記者は指名されなかった。

 会見の終盤に、フリー記者から「大手のメディアばっかり、顔を見て指して質問させている」「出来レースではないか」と大声で批判する声が上がり、司会の坂井氏が「出来レースではありません」と反論する一幕もあった。

 その後も、「横浜をカジノ業者に売り渡すのか」「公文書を捨てないと約束してくださいよ」などと怒号が飛んだ。

 官房長官会見で、「問題ありません」「承知していない」「答えは控える」などと木で鼻をくくったような回答を繰り返してきた菅氏は、かなり緊張していた。それでも、冷たい視線と質問者を小ばかにする回答ぶりは変わらない。

 菅氏は「当たり前のことが通らないことがある。当たり前のことを実現させるのが自分の信念だ」と述べた。モリ・カケで再調査、真相究明を進めるのは当たり前のことではないのか。

 菅氏は、安倍政権のメディア弾圧の黒子だった。安倍政権が7年8か月も続いたのは、菅氏を中心とした、公安警察官僚で固めた内閣人事局による恐怖・威嚇政治の結果ともいえる。

◆『東京新聞』は菅氏記者会見について一定の評価

 菅氏の会見を伝える9月3日の『東京新聞』は<「密」すぎる菅氏の出馬会見 参加人数制限せず質問相次ぎ延長>と題した記事(市川千晴記者)で、参加者の人数制限をせず、指名した記者数は18人だったなどと一定の評価を示した。しかし、市川記者は「記者クラブ」制度を見落としている。

 市川記者はこう書いている。

<官房長官の定例記者会見は、新型コロナウイルス感染症対策のため、参加記者を1社1人に限定している。この日の会見は、国会内の会議室で開催。参加者の人数制限はせず、用意した席は全て埋まり、立ち見も出る「密」な状況だった。開始から30分がすぎ、司会の坂井学衆院議員が残りの質問者を3人に限ったが、その後も質問を求める声が収まらず、さらに4人の質問に応じた。指名した記者数は、本紙記者2人を含む計18人だった>

 会見の司会を務めた坂井氏は当時、神奈川5区の議員で自民党副幹事長。菅新政権では、官房副長官に起用された。

 会見では、最後から2人目のところで、菅氏の “天敵”と評される『東京新聞』の望月衣塑子記者が指名され、首相会見のあり方について質した。

「今日の会見を見て、これまでと違って、いろんな記者が指されていると感じました。私が3年間出た官房長官会見では、不都合な真実に関しての追及が続くと、その記者に対する質問妨害や制限というのが長期間にわたって続きまた。総裁になった時に、各若手の番記者の厳しい質問に、今日のように応じるのでしょうか。

 安倍さんの会見では、台本通りではないか、劇団のお芝居みたいじゃないかという批判も出ていました。首相に就任した場合、官僚が作成した答弁書を読み上げるだけでなく、長官自身の言葉、生の言葉で、事前の質問取りもないものも含めて、しっかりと会見時間をとって答えていただけるのでしょうか」

 菅氏はこう答えた。

「限られた時間の中でルールに基づいて記者会見は行っています。ですから、(質問の)結論を早く言ってもらえれば、それだけ時間が多くなります」

 菅氏は、望月氏が「お芝居みたい」と言った時にニヤッと笑い、「そんなことはないでしょ」とつぶやいた。菅氏の回答は望月氏を皮肉ったつもりだろうが、非常に不誠実だ。それに対して他の記者からは抗議の声も上がらなかった。それどころか、菅氏の回答に同調するような笑いが起きたのは情けない。

 質問の途中、司会の坂井氏が「すみません。時間の関係で簡潔にお願いします」とさえぎる場面もあった。望月氏の質問は1分ちょっとで、他の質問者と比べてそう長いわけではなかった。

◆菅首相の会見は、安倍首相以上に閉鎖的になる!?

 望月記者は「AERA dot.」(9月6日)のインタビュー記事で、「菅氏の番記者からの質問では、手元の資料を見ながら答えている場面があり、事前に質問を渡していた記者がいた」と指摘している。

<私の質問の際には、横目でちらっと司会役の議員の方を見て、質問を遮るようにうながしていました。官房長官会見で、前報道室長の上村秀紀氏との間で連発していた「質問を何とかしろ」という合図です>

 上村氏の後任の報道室長は富永健嗣氏で、2019年7月に内閣府官房公文書管理課長に就任し、「桜を見る会」疑獄で野党ヒアリングに対応した。2020年1月、たった半年で交代し、官房付となった後、8月1日に報道室長に就任した。菅氏に近い上村氏は、内閣府沖縄総合事務局総務部長に栄転した。

 菅氏の出馬会見が、官邸内で開かれる官房長官の定例会見と異なる形式となるのは当然のことだ。記者クラブ制度の問題を理解していれば、市川記者のような記事にはならないだろう。

 菅氏の議員としての個人的な会見だから、官邸報道室と内閣記者会の縛りは効かない。つまり記者クラブの縛りさえなければ、外国のどこにでもあるような記者会見が簡単に実現できることを証明したのだ。

 意外なことに、望月記者も「J-CASTニュース」 (9月2日)の<東京新聞・望月記者に聞いた 菅長官「出馬会見」の評価は?>で「(この会見に限っては)割と自分自身の言葉で語っているかな、と(感じた)」などと、一定の評価をしている。

 望月記者も、菅氏の出馬会見と菅官房長官の官邸内において、ルーティンで行なう定例会見とは前提がまったく異なることを見落している。菅首相の会見は、安倍首相以上に閉鎖的になると見たほうがいいと筆者は思う。

◆記者クラブ制度は、報道界の護送船団方式・既得権益そのもの

 司会の坂井氏が会見の最初に「菅義偉衆議院議員が入場します」と紹介したように、この日の会見は、中央政府の官房長官としてではなく自民党党員(衆院議員)として菅氏が主催した個人的な会見だ。

 政治家の場合、普通は都内のホテルで開催するが、菅氏は議員会館を使った。議員会館の場合、会館のセキュリティを通過する必要があり、会見参加者をチェックできるからだろう。

 しかし、さすがに自民党記者会だけを相手の会見するのはまずい。そこで、雑誌、外国メディア、フリーランスの参加を受け入れた。

 司会者も、官邸での会見では上村氏の後任である富永報道室長が務めるが、それもできずに菅氏側近の国会議員が務めたというわけだ。

 菅氏は「規制改革」を掲げ、既得権益、前例踏襲を打破すると表明している。また、「何が当たり前か見極める」とも強調している。記者クラブ制度こそ「当たり前」ではない、報道界の護送船団方式・既得権益そのものだ。

◆言論統制を止める方法は「記者クラブ制度の廃止」以外にはない

 菅氏は2019年春、官邸会見での望月記者への質問妨害が問題になった際、「記者のみさんはメディアに就職して記者になっている。政治家は国民の選挙によって選ばれている。記者会見のあり方に問題があるなら、主催者の内閣記者会に言ってもらいたい」と開き直ったことがあった。

 菅氏の見解を受け入れることはできないが、確かに官邸会見の主催者は内閣記者会である。しかし、実際は官邸報道室がすべて仕切っている。首相会見も同様だ。

 ボールは内閣記者会、そして記者クラブを運営する日本新聞協会に投げられている。1年以内に実施される衆院選挙で、野党は「記者クラブ」解体、広報センター設置を統一した公約に掲げるべきではないだろうか。

 韓国の廬武鉉大統領は大統領選で日本の植民地統治時代の遺制として残っていた「記者団」(日本の記者クラブとほぼ同一)制度廃止を公約に掲げて当選し、2004年に全廃。青瓦台など官庁に広報センターを設置した。

 半世紀に近い記者活動と、大学でのメディア研究20年の経験を持つ筆者は、権力者が御用記者を重用し、不都合な報道機関を威嚇・排除する言論統制を止める方法は「記者クラブ制度の廃止」以外にはないと確信している。

<文・写真/浅野健一>

【浅野健一】

あさのけんいち●ジャーナリスト、元同志社大学大学院教授

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