支持率下落。菅首相に徹底的に欠如した「ある要素」<著述家・菅野完氏>

支持率下落。菅首相に徹底的に欠如した「ある要素」<著述家・菅野完氏>

時事通信社

◆世論調査が突きつける冷酷な現実

 1月9日から10日にかけて、複数の報道機関が世論調査を実施した。

 正月三ケ日がちょうど週末に当たっていたため、この世論調査が実質的に今年最初の世論調査ということになる。結果は菅政権にとって惨憺たるもの。ついに、内閣不支持率が支持率を上回ったのだ。官邸にすれば、さぞかし苦々しい「お年玉」になったに違いない。

 しかしこのタイミングで内閣支持率が不支持率に逆転されたことは不思議ではない。内閣支持率の低下傾向は、11月中頃から顕在化していた。むしろ、今回の世論調査=具体的には、NHKと共同通信とJNNがそれぞれ行った世論調査=の結果を統計的に解析すれば、内閣支持率低下傾向の下げ止まりさえ示唆している。その下げ止まりのポイントで、偶然かつ不幸にも不支持率と支持率の反転ポイントが重なった格好だ。

 むしろ注目すべきは支持率・不支持率を構成する「支持する理由」「支持しない理由」の内容だろう。

 例として、JNNが実施した世論調査をみてみよう。

 菅内閣を支持すると答えた人のうち、「支持する理由」として「特に理由はない」と答えた人の割合が41.6%で最大となっている。前月から7.7ポイントの上昇だ。ついで前月から7.6ポイント上昇した「自民党を中心とした内閣だから」と答えた人の割合が23.8%で支持理由第二位に付けている。一方で、「菅総理に期待できる」と答えた人の割合が前月から7ポイント近くも下落して16.0%、「政策に期待できる」と答えた人の割合が、同じく前月から7.9ポイント下落で12.3%となっている。それぞれの要素の前月からの増減を見てみると、「菅義偉が総理だから」「政権の掲げる政策が良いから」の要素の減少分(合計で約15ポイント)が、そっくりそのまま「特に理由はない」「自民党の政権だから」という”消極的な理由”もしくは”菅政権独自のものではない理由”(こちらも合計で約15ポイント)に吸収されていることが見て取れる。「内閣を支持する」と答えた人でも「菅義偉の内閣だから支持する」と答えた人は少数派に転じているのだ。

 この傾向は「内閣を支持しない」と答えた人の不支持理由の割合をみるとさらに明確に見て取れる。不支持の理由として最大のものは、前月より7.5ポイント増加した「政策に期待できない」の37.6%。ついで「菅総理に期待できない」が27.0%で二位につけている。つまり「支持する理由」と表裏一体で、「内閣を支持しない」と答えた人の中では「菅義偉の内閣だから支持しない」と答える人が多数を占めているわけだ。

 支持する人は菅政権とは関係のない要素で消極的に支持し、支持しない人は菅政権独自要素を理由として積極的に不支持に転じている……。これが今回の世論調査の数字が官邸と自民党に突きつける冷酷な現実だ。

 支持率と不支持率が逆転したといえどもほぼ拮抗状態にあることに着目し、あえて世論調査の結果をまとめて一つの意見のように表現すれば「内閣総理大臣本人と内閣の政策は気に食わないが、今の与党である自民党の政権だし特に理由ないけれども、とりあえず仕方なく支持しておこう」が、”マスの民意”というところだろう。言い換えれば、「菅義偉の存在さえなければ、もっと支持できるのに」と言われているようなものだ。これでは、菅義偉を総理総裁と戴いて選挙を戦うことなど到底考えられまい。

◆暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もない菅首相

 興味深いことに、この世論調査の示す"マスの民意"の姿は、政治家、官僚、評論家などなどのいわゆる"プロ筋"の見方とほぼ同じだ。

 筆者の取材に応じてくれた某省の幹部官僚は、菅政権発足直後のインタビューで「いやぁ。なんの心配もないよ。菅政権もピシャーっと支えていく。また長期政権だよ」と高笑いしながら答えていた。しかし、あれから数ヶ月経った先日、「いやぁ。どうしようもないよね。暗いんだよね。そもそも。総理本人がああだから、もうどうしようもないよね」と、打って変わって政権を見放すようなことを薄ら笑いを浮かべながら答えるようになっていた。

 同じような「菅義偉論」は、自民党の衆議院議員からも聞こえてくる。東日本某県選出の二階派の衆議院議員に「選挙になったら総理の応援演説、どうします?」と水を向けたところ、「菅総理の応援?来るに及ばずですよ。来てもらっても、人が鼻つまんで逃げるだけでしょうよ。暗いんだもの。」と事もなげに言いのけていたのが印象的だった。地元を預かる秘書ともなると、誰に水を向けても、もはや怨嗟の声と評する他ないほど「菅総理だけには選挙区入りしてもらいたくない」「パンダの価値さえない」と口を揃える始末だ。

 物書きとして何より興味深く象徴的と思うのは、「菅義偉政権について、書いてください」と依頼してくる編集者たちの依頼の仕方だ。どの編集者も、政界の動きに詳しい人であればあるほど、「まあ、実につまらない政権で、中身も何もないので、何を書くにしても雲を掴むような話になるんでしょうけどねぇ」と口を揃える。現に月刊日本誌の原稿依頼の際も、同誌編集長氏は「いやぁ。実際、菅政権、つまらないですからね」と電話口で嘆息していた。

 月刊日本とは違い、安倍政権の七年半にわたり提灯記事ばかり並べていた某月刊誌の編集者と先日酒席を共にしたが、その編集者の「菅政権論」も同じ。これまでどんな局面でも安倍政権を支え、時には無理筋としか言いようのない擁護論を展開していた雑誌の編集者が「菅さんの政権は、褒めようも貶しようもないんだよねぇ。それに何より、ご本人が暗い。本当に暗い。」と嘆息する姿には正直驚いた。彼らの雑誌としても、菅政権に関しては如何ともし難いというのが、有り体のところなのだろう。

 暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もない……。なんとも救いようのないところで、菅政権に対する”マスの民意”と”プロ筋の見方”が合致している。「見放された」と評するしかなくなるのも時間の問題だろう。

 だがこれは、決して移ろいやすい人心に責任があるわけではない。政権発足後から四ヶ月がたとうとしているものの、菅義偉総理は何もしていない。いやむしろ、「何かをなすことを避けている」と言っても過言ではないだろう。コロナ対策やそれに伴う予算審議と法改正審議が山積みなのにも関わらず、国会は開かれず、総理が公の場所には姿を見せることがない。たまに姿を見せたと思えば、記者会見やネットやテレビの番組だ。そこでも質問に答えることもないし、口を開いて何事かを発声はしているものの、その内容には意味がない。どこにいるかもわからず、何も語らず、語ったとしても何を言っているのかわからないのだから、評価せよという方が無理というものだ。”何もしない人”が、暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もないと断ぜられてしまうのは、自然の成り行きだろう。評価する側の僻目ではない。何もしない菅義偉に責任があるのだ。

◆菅首相に徹底的に欠けている「ある要素」とは?

 政権発足時の高い支持率は、菅義偉が7年半にわたる安倍政権で官房長官を務めていた実績に根ざしたものだった。あの7年半、菅義偉は鉄壁に見えた。安倍政権を幾度となく襲う困難を最前線で防御したのは彼だった。毎日開かれる官房長官記者会見では、記者から寄せられる意地の悪い質問にもそつなく答え、付け入る隙を与えなかった。国会答弁でも同じだ。安倍総理、麻生財務大臣をはじめとする当時の閣僚が、野党の質問に足元を掬われ言質を取られることは幾度となくあったものの、菅義偉官房長官がそのような醜態を晒すことは決してなかった。政権の藩屏としての能力は、歴代の官房長官と比べても突出したものだったことに間違いはない。

 が、今の菅義偉にはその面影を求めるべくもない。ただ逃げ回り、影に隠れ、いるかいないのかさえわからない。そして四ヶ月にわたる逃避行の末、周囲からは、総理としてこれ以上の屈辱はないと言っていい”暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もない”という評価を下されるに至った。

 おそらくこの変化は、職責の変化に菅義偉本人がついて行けていないからこそ起こった変化だろう。

 官房長官の職責は「内閣および政府の見解を公表すること」だ。官房長官は、語ることの主語を「内閣」や「政府」に限定し、「内閣としては」「政府としては」と語ることが求められる。菅はこの職責を果たすことはできた。だが、総理ともなればそうはいかない。どの局面でも総理は、「総理の見解」を求められる。総理の職責とは、いついかなる時も「私」を主語にし、「私の見解」を述べることなのだ。しかし菅義偉にはどうしてもそれができない。いや、そもそもその経験も能力も欠如していると表現したほうが正確だろう。

 安倍政権での官房長官経験以外、彼にはわずか11ヶ月間、総務大臣を務めた経験があるだけだ。党側の役職経験でも、三役(幹事長 総務会長 政調会長)の経験はおろか、それに準ずる幹部職を務めた経験すらない。閣僚経験・党役職経験ともに極めて浅い菅義偉のような人物が総理総裁の座に就任するのは、自民党の人材育成システムから見ても異例中の異例だ。彼が国会議員になる以前の議員秘書、市議会議員等々の経歴から見ても、この傾向は同じ。そもそも彼は「自分の意思」を「私」を主語にして「公に語る」訓練を受けていないし、その経験すらなかったのだ。訓練を受けておらず、経験もない以上、「私」を主語にし、その発言の責任を一身に負うという総理に求められる職責を果たせるはずがない。つまり、菅義偉には総理としての能力がそもそも欠如していたのだ。政府を率い、内閣の全責任を負う立場の総理大臣が「私」を主語に語ることができぬ以上、その内閣の支持率など上がるはずもない。リーダーたる総理が「私」を主語に語れぬのに、「その内閣を支持してくれ」という方が無理というものだろう。

 コロナ禍という国難に際し、日本は、およそ総理の能力のない人間を総理に頂く不運に見舞われた。菅義偉が総理総裁に就任したこと自体は、自民党の党内政局の帰結なのだろう。しかしそれは、与党たる自民党が、この国難に際し有権者に提示できる答えとして、明らかに経験が浅く総理としての能力に欠ける菅義偉しか持ち合わせていなかったということでもある。

 だとすると、組織としての自民党の責任は極めて重い。自己の組織の代表として、総理としての能力に欠ける人物しか担げぬというのならば、菅義偉だけでなく、自由民主党そのものが、”暗く、つまらなく、指導力がなく、期待する要素もない”との評価を受ける日が来るのも、時間の問題だろう。

<文/菅野完>

すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」も注目されている

<記事提供/月刊日本2020年2月号>

【月刊日本】

げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

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