社会的課題を解決する二つの“まちづくり”計画――芳井敬一(大和ハウス工業代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

 雇用が見込める物流施設や商業施設を核に、戸建て住宅、マンションと一体開発する最先端のまち「コ “Re” カラ・シティ」。半世紀前に分譲して過疎や高齢化に直面する大型住宅団地を復興させる「リブレスタウン」。大和ハウス工業は、自社の事業の組み合わせ、“まちづくり”に乗り出していた。

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佐藤 感染力の強い変異種も現れ、新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか終息しません。今年の入社式はどうされましたか。

芳井 今年は全国73の事業所を結んでオンラインで開催しました。

佐藤 昨年は中止されたと聞きました。

芳井 はい。令和2年度の新入社員は卒業式や入社式といったセレモニーがなく、非常に曖昧な状態で社員になりました。そして入社後も会社がコロナ対策で試行錯誤していましたから、彼らについて非常に心配していたんです。

佐藤 社員たる自覚を持つ入社式がなく、最初の社内教育の機会も奪われてしまったわけですからね。

芳井 ところが蓋を開けてみると、その前の令和元年入社組よりも成果を上げている社員がいるのです。どうもいろいろな工夫をしているようです。

佐藤 それは興味深いですね。

芳井 住宅の営業を例に挙げますと、これまでは住宅展示場にお客様が訪ねて来られるところから仕事が始まりました。そこにいらっしゃるのは、住宅を買う意志のある方々です。そのお客様とお話をさせていただき、商談をまとめ、仕事を進めていました。

佐藤 確かに住宅展示場に来る人は動機がはっきりしていますから、やり易いでしょうね。

芳井 でも昨年の4月には、コロナ対策で住宅展示場を閉めました。ですから、どうやって仕事を取ってくるのか、一から考えねばならなくなったんです。

佐藤 仕事の進め方がまったく変わってしまった。

芳井 やはりリモートで、となるのですが、昨年入社の社員たちは、ネットでお客様を呼び込み、いろいろ工夫しながら交流を続け、何とか住宅の成約につなげているのです。

佐藤 新入社員はまだまっさらですから、住宅展示場がないことを前提に、柔軟に対応したんですね。

芳井 そうなんです。逆にその前に入社した社員たちは、住宅展示場も開いていないのに、どうやって家を売るのか、と戸惑ってしまい、開くのを待つような人もいました。

佐藤 そこには大きな断絶がありますね。

芳井 だから令和2年入社組より、その1年前の令和元年入社組のほうが大変なのかもしれません。いま、ここをしっかり見ていかねばならないと思っています。

佐藤 リモートで、つまりはネットで家を買う人は、どのくらいいるのですか。

芳井 コロナの前からウェブで戸建住宅を販売する「Lifegenic」という商品を作ってはいましたが、当初は、月に3万回ほどのアクセスしかありませんでした。それがこの1年は6倍以上になり、月に20万アクセスになることもありました。私自身、2千万円以上する家がパソコンで売れるとは思っていませんでしたが、すでに700棟以上売れています。嬉しい誤算です。

佐藤 値段を考えると、ものすごい数ですね。

芳井 家を買うわけですから、ネットでも間取りや設備を一つ一つ決めていかなければならない。それは面倒だしややこしいなと思っていたのですが、そのサイトを見ると、よく工夫してあります。簡単な質問に答えていくと、その人に合った家が出てくる。例えば「休日のごはんは?」という質問があり、「素材を買いに行くところから楽しんで、手の込んだ一品にチャレンジ」と「行ってみたかったお店で外食」のどちらかをクリックする。するとまた「真冬の寒さ対策、選ぶとしたらどっち?」とか「友人とお茶するなら、どっちのお店?」といった質問が出てくる。それらに答えていくと、最後にその人の趣味嗜好にあった家が出てきます。

佐藤 どういう生活をしたいかを浮き彫りにしていくわけですね。

芳井 その通りです。そうやって家を買う時代になった。これからはリモートの営業にも注力していかなければならないですね。

佐藤 ただその大元には、大和ハウス工業という看板への信頼感があります。

芳井 そうです。これまで先輩が作ってきた歴史があるからこそ、買っていただける。

佐藤 昨年の新人たちはそこをきちんと理解することが必要ですね。もし23歳のフリーランサーだったら、家を作ってメルカリやヤフオクに出したとして、1年どころか3年経っても売れないでしょう。

芳井 その点、私どもには財産がある。コロナはたいへん不幸なことですが、こうして考えてみると、さまざまなことに気が付かされるいい機会を与えてもらったと思いますね。

■創業者の精神


佐藤 こうした危機には人間の本質が出るものです。私はモスクワ大使館時代に1991年8月のクーデター未遂事件や93年10月のモスクワ騒乱事件に遭遇しましたが、そこで同僚の思わぬ一面を見ました。モスクワで戦車が大砲を撃つような状況下で、普段は臆病でおとなしい大使館員がリーダーシップを発揮したり、勇ましい人が怖がって何もできなくなったりしました。

芳井 私にとっても、新入社員を含め、人物をじっくり見ることができた一年でしたね。じっくり考える人、バタバタする人、ビビる人。こうだと思っていた人が意外な言動を取ったりする。

佐藤 私の仮説では、ビビるのは、良くも悪くもセンサーシステムが発達しすぎている人です。怖いことにものすごく敏感に反応する。

芳井 実は私は、前任の大野直竹社長から「お前はビビるからちょうどいいんだ」と言われて社長になったんですよ。

佐藤 意外ですね。芳井さんは神戸製鋼のラガーマン出身の名物社長として知られています。

芳井 自分でも意外な言葉でしたが、「経営者にとって怖がることは必要だ。お前にはそれがある」と言われたのです。

佐藤 きちんと怖がることができるという意味ですね。それは危機管理につながります。我々作家の業界でも、勢いだけで書くと、後々に訴訟という形で跳ね返ってきます。

芳井 確かにビビることもあって、一昨年、中国の関連会社で200億円以上のお金がなくなったことがありました。現地の出納担当者らが不正に持ち出したのですが、これは決算に大きな影響を与える数字です。私は怖くなって、これは即日発表しなければならないと思ったんですね。

佐藤 即日では、まだ全容がはっきりしていないでしょう。

芳井 合弁会社でしたので、弊社にとって実際にどういう金額になるかは精査が必要でしたが、会社から200億円以上消えていることは明らかでしたので、その日に公表しました。私が怖かったのは、その間に株が売買されることです。発表が3日遅れれば、その3日で内実を知らない人が株を買ってしまう。

佐藤 その3日で大きく損をする人も出てくる。

芳井 そうです。創業者・石橋信夫は「スピードは最大のサービス」と言っていますが、まさにそうすべき時だったと思います。

佐藤 悪いことのあった後の決断には、その会社の特徴というか、社風が出ますね。

芳井 私どもは創業者・石橋の言葉をとても大切にしています。昭和30年(1955)の創業当初に社是が作られますが、最初の言葉は「事業を通じて人を育てること」です。二つ目は「企業の前進は先ず従業員の生活環境の確立に直結すること」、そして「商品は社会全般に貢献すること」と続きます。石橋が亡くなったあと、昨年まで会長だった樋口武男も「とにかく事業は人や」と言い続けて、いまはそれを私がつなぐ立場です。

佐藤 昨年、一昨年の新入社員の動きに注目されているところに、それを感じますね。やっぱり人間力の強い会社が生き残っていくし、伸びていくと思います。

芳井 事業についても社会貢献が基礎にあり、生きるためには何が必要かを常に考えています。例えばこのコロナ禍にあって、住宅はどういう場所になったか。住宅は帰る場所ではなく、生きていく場所に変わりました。そこで生活をし、仕事もする。ですから今回、生活空間から完全に仕切って仕事に専念できる「快適ワークプレイス」を考案したり、子供から親が仕事をしている風景が見えるセミクローズの空間として「つながりワークピット」を用意するなど、リモートワークのさまざまな提案をさせていただきました。

■事業を組み合わせる


佐藤 大和ハウス工業は戸建住宅のイメージが強いのですが、いまの3本柱は賃貸住宅、商業施設、物流施設だそうですね。

芳井 中でも大きく伸びているのが、データセンターなども含めた物流施設です。これまで物流はずっとコストカットの対象でしたが、コロナ禍でずいぶんと変わってきました。

佐藤 マスクや消毒液が手に入らなくなったり、ネットで買って配送してもらうことが多くなったりして、物流を意識する機会が増えました。

芳井 コロナ禍では、Eコマース(電子商取引)で即日配達の需要が高まりました。するといままでのように倉庫を郊外に置くのではなくて、都市部に作る必要が出てきます。コロナで土地が流動化する動きもありますから、私どもはここに新たな価値を提供できる機会があると思っています。

佐藤 ユニクロやアマゾンといった会社の物流施設も手掛けられていますね。これまでにどのくらいの物流施設を手掛けてこられたのですか。

芳井 自社開発の物件だけでも250カ所以上あります。国内には物流施設開発に携わる会社が複数ありますが、昨年、面積・棟数ともに最大となりました。

佐藤 いつ頃からこの事業が拡大していったのですか。

芳井 2000年前後です。当時は日産自動車の「日産リバイバルプラン」が発表されるなど、企業が持つ大規模な土地が売却された時期でした。私どもはリーシング(商業用不動産に借り手がつくのをサポートする)にも力を入れており、テナント企業を見つけ、同時に不動産の証券化という手法も取り入れて、日本各地で展開していきました。北海道から沖縄まで全国展開しているのは、弊社くらいだと思います。

佐藤 物流施設を拠点としたまちも考えているそうですね。

芳井 今後は物流施設にマンションや商業施設を組み合わせて一体開発していく計画もあります。いま物流施設は、工場を作るより、はるかに雇用を生み出しますから。

佐藤 なるほど、機械化が進んでいる工場よりも人手は必要ですね。

芳井 だから企業や自治体にも、物流はまちを変える機能を持っていることをお伝えしています。

佐藤 つまりはまちづくりになるのですね。

芳井 物流施設は、災害時には避難所にもなります。太陽光パネルをつけて発電・蓄電もしていますから、万が一何か起きた時には避難できるし、ここを基地にして復興のお手伝いもできます。

佐藤 複合的な機能を持った場所になる。

芳井 物流施設ではありませんが、東京の八王子市にある「高尾サクラシティ」は、約120店舗が入る商業施設を中心に83区画の戸建住宅、416戸のマンションを組み合わせたまちです。また千葉県船橋市でも商業施設を核に、戸建住宅、分譲・賃貸マンションを一体化したまちづくりを手掛けました。ここは日本で初めて再生可能エネルギーで電力を100%賄うまちにします。

佐藤 さまざまなアイデアを詰め込んでまちづくりをしているのですね。

芳井 「コ “Re” カラ・シティ・プロジェクト」と呼んでいるのですが、地球環境や気候変動などスケールの大きな社会的課題の解決に向け、新しいまちづくりに取り組んでいるところです。

佐藤 菅総理が「50年までに温室効果ガス排出量ゼロを達成する」と宣言しましたが、まさに時代を先取りした事業になりますね。

芳井 創業者の石橋は「21世紀には風と太陽と水が重要になる」という言葉を遺しました。私どもは、09年から環境エネルギー事業にも乗り出し、風力、太陽光、水力発電事業を手掛け、蓄電池の販売なども行っています。

佐藤 そうした大和ハウスグループが持つ事業を組み合わせることで、さまざまな可能性が出てきますね。


■郊外のまちを「再耕」する


芳井 もう一つ、私が力を入れているのが「リブネスタウンプロジェクト」です。3本柱に続く4本目には、やっぱり住宅を考えたい。

佐藤 住宅にもいろいろあります。

芳井 弊社では60年代からネオポリスという大型住宅団地を作ってきました。都会ではなかなか家が買えない。だから郊外の土地を造成して、少しでも安くマイホームの夢を叶えていただこうと、全国で60カ所以上作りました。

佐藤 それから半世紀あまり経っています。

芳井 はい。マイホームの夢は叶えましたが、時間が経ち、いつの間にか高齢化や過疎のまちになっている。私どもは「再耕」と言っていますが、その夢の続きをどうするか、住民と一緒に考えていきます。

佐藤 ちょうどリモートワークが普及し、必ずしも通勤しなくてもいいことがわかってきた。いま郊外は見直されています。

芳井 大きな問題は空き家ですが、私どもが作った建物は、やはり私どもが一番よく知っています。つまりどうすればもう一度輝けるかがわかる。ですから再び手を入れさせていただき、それを次世代に渡していただいてもいいですし、売っていただいてもいい。そうやっていつまでも住みつづけられる場所にしていきます。

佐藤 私は80年代にイギリスにいたのですが、アパートなどで「Fairly new(かなり新しい)」とあると、20年代の建物でした。当時は、20世紀初頭の建物はだいたい新しい部類に入っていました。

芳井 価値観なんですよね。日本は文化的にスクラップ・アンド・ビルドの傾向が強い。何度も手を入れて長く住むという、北欧のような文化が根付いてくれればいいと思います。

佐藤 具体的にはどんな場所があるのですか。

芳井 いま東西2カ所でモデルプロジェクトを始めています。一つは横浜市の「上郷(かみごう)ネオポリス」です。900戸2千人ほどの規模で、開発当時は学校が近いことが売りでしたが、少子化で学校はなくなり、商店街も相次いで閉店しました。そこへローソンさんと組んで、住民が運営するコンビニエンスストア併設のコミュニティ拠点「野七里(のしちり)テラス」を開設しました。コンビニ店員や施設運営は地域住民の方々に担っていただいています。

佐藤 何年くらいのプロジェクトなのですか。

芳井 上郷は7年やってようやくレールに乗ってきた感じですね。住民の方々とやりとりして、わかってきたことがいろいろあります。その一つは、みなさんやっぱり自分でモノを買いたいということなんですよ。

佐藤 コンビニが効果的だった。

芳井 野七里テラスのコンビニだけでなく、ローソンさんには移動販売車で地域を回ってもらっています。それが好評で、いまでは野菜まで積んで巡回しているんです。宅食業者から届く、発泡スチロールに入った食材を家で調理するのではなく、自分で選んで買って作りたいんですよ。

佐藤 まちにはだいたい何歳くらいの方が多いのですか。

芳井 60歳以上ですね。実は最初に相談させていただいた方たちの中にはもうお亡くなりになった方もいらっしゃいます。だからそんなに時間があるわけではない。

佐藤 もう1カ所はどこですか。

芳井 兵庫県三木市の「緑が丘ネオポリス」です。こちらは仕事作りからまちを再耕しています。高齢者と障害者にいかに働いてもらえるかを考え、蘭の栽培をしてもらうことにしました。「COCOLAN」という鉢植えのミニ胡蝶蘭を作ってもらっています。

佐藤 蘭は育てるのが難しいでしょう。

芳井 独自技術を用い、また近隣の大学の協力を得ながら栽培しています。蘭は弊社で全部買い取り、住宅などのオーナーさまにプレゼントしています。また去年の株主総会で並べて、ぜひお待ち帰りくださいとお伝えしたら、かなり人気がありましたね。

佐藤 それぞれの地域にそれぞれの処方箋があるのですね。

芳井 そうです。まちが抱える課題、住民の方々の気質、行政の考え方は、地域によって違います。ただ、人が循環し、コミュニティが活性化して、まちが力を取り戻せば、住み続けられるまちになります。これがどこまで事業として成立するものなのかわかりませんが、まちを作ってきた私たちがやるべきだと思いますし、これをやり続けることが、少子高齢化や過疎といった現在の社会的課題の解決に繋がると考えています。

佐藤 まさにSDGs(持続可能な開発目標)の項目にある「住み続けられるまちづくり」ですね。

芳井 この「リブネスタウン」と「コ“Re”カラ・シティ」を中心に、さまざまな社会的課題に取り組んでいきたいと考えています。

芳井敬一(よしいけいいち) 大和ハウス工業代表取締役社長
1958年大阪市生まれ。中央大学文学部卒。高校、大学とラグビーに打ち込み、卒業後も神鋼海運に入社して神戸製鋼ラグビー部に所属した。90年大和ハウス工業入社。神戸支店建築営業所長、姫路支店長、金沢支店長などを経て2011年取締役。16年専務、17年社長となり、19年より社長兼CEO。

「週刊新潮」2021年4月29日号 掲載

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