いまだに「女性の時代」が来ないのはなぜか――奥谷禮子(CCCサポート&コンサルティング会長兼CEO)【佐藤優の頂上対決】

「女性の社会進出」や「男女格差の是正」が唱えられたのは一昔前のことで、すでに法整備が進み、意識改革も図られているはずなのに、どうして日本に「女性の時代」は訪れないのか。男女雇用機会均等法施工前に起業し、経済同友会初の女性会員となった名物経営者が語る「女性活躍」の条件。

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佐藤 奥谷さんは女性経営者の草分けで、女性として初めて経済同友会のメンバーになりました。著作も多く、また、東村アキコさんの漫画「ハイパーミディ中島ハルコ」のモデルでもあります。

奥谷 佐藤さんは、東村さんを「彼女の漫画を読めば、いまの若者の生活がわかる」と褒めてくださっているそうね。彼女もそれをよく知っていて、今度対談すると言ったら「よろしくお伝えください」と言われましたよ。

佐藤 「東京タラレバ娘」のシーズン2が素晴らしいんです。特に主人公・廣田令菜の設定がいい。いまの時代の雰囲気をうまく表現しています。

奥谷 そう、それを喜んでいた。彼女は私のお茶のお弟子さんでもあるのよ。

佐藤 ご自宅には茶室があるんですよね。そのお隣は作家の林真理子さんで。

奥谷 私が隣に引っ越して来て、彼女、とても嫌がっているけど(笑)。もともと林真理子が私をネタにして『最高のオバハン 中島ハルコの恋愛相談室』という小説を書いて、それを東村さんが漫画にしたんだけどね。

佐藤 林さんとは親友なんですよね。

奥谷 エッセイなんか、ネタに困ると、私を登場させている。ほんと、私で儲けている感じですよ。だから私も彼女をネタにエッセイを書いたことがある。

佐藤 小説や漫画のモデルになる経営者は、そうはいませんよ。

奥谷 どちらもよく売れたようだから、それはよかった。

佐藤 奥谷さんはもともと日本航空のスチュワーデスでしたね。

奥谷 1974年に日本航空に入りました。

佐藤 あの頃のスチュワーデスは、選ばれし女性たちですよね。外国へ行くのもほんの一部の人たちだけだった時代ですから。

奥谷 そう、まだ少なかったわね。

佐藤 70年代に入ってテレビドラマがいろいろ作られます。80年代の「スチュワーデス物語」が有名ですが、その前に「アテンションプリーズ」があった。

奥谷 あと田宮二郎の「白い滑走路」。「アテンションプリーズ」のミニスカートの制服は強い印象を残したわね。

佐藤 奥谷さんの時代の飛行機は何でした?

奥谷 欧州・ニューヨーク便はDC-8が主でしたね。

佐藤 私は75年、高校1年の夏に一人で東欧とソ連を旅したのですが、日本航空で行きたかったんですよ。でも当時は個人旅行だと、58万5千円もかかった。

奥谷 じゃあ、アエロフロートで?

佐藤 アエロフロートも28万円くらいで高かった。だからエジプト航空に乗って、南回りでチューリッヒまで行き、汽車で東欧に入りました。ソ連国内はアエロフロートのイリューシンで移動し、最後はナホトカから船で帰国した。

奥谷 あの頃、ソ連に行くのなら、横浜から船でナホトカへ行ってシベリア鉄道でしょう。

佐藤 それだと持ち出し制限の1500ドルを超えて、お金が足りなくなってしまうんですよ。

奥谷 ああ、海外旅行には持ち出し制限がありましたね。

佐藤 当時の日本航空はどうでしたか。

奥谷 関西から東京に出てきて、もっとすごい人たちがいるのかと思ったら、そうでもなかった。選ばれた人たちが集まっているはずなのに、子供っぽいのと、軽い感じでしたね。関西のような文化の厚みがない。東京は田舎から集まってきた人でできているからなんでしょうね。

佐藤 いまでも京都の学生に比べると、東京の学生たちにそういう感じがありますね。

奥谷 当時、日本航空は半官半民で、偉い人はほとんどがお役所から来た人たちでしょ。だから経営者不在、儲けなくてもいいからコスト意識ゼロ。いつかこの会社は潰れるなと思った。

佐藤 ほんとに潰れましたね。このコーナーには、日本航空の再建を担当した産業再生機構の冨山和彦さんにもご登場いただいたことがありますが、日本航空のような会社は、社員ほぼ全員が地獄の釜が開いたことがわかるまで改革できないと言っていました。

奥谷 地獄の釜の蓋が開いたってダメよ。結局、開いて潰れてしまったけれど、組織のDNAはそう簡単には変えられない。

■女性の働く場を作る


佐藤 奥谷さんは国際線のスチュワーデスで、ニューヨークで人材派遣の仕事を知ったことが、そもそもの始まりですね。

奥谷 滞在しているホテルのドアマンが「今日はドアマンだけど、明日はタクシードライバーをやる」とか、「昨日はウエイターだった」と言っていたんですね。驚いて聞き返すと、いろいろな仕事を紹介してくれる派遣会社がある、と教えてくれた。

佐藤 そこに気がつく人と気がつかない人がいます。

奥谷 その時、そんなサービスがあるのかと衝撃を受けたんですね。景気がよくて忙しい時には人を集め、悪化すれば調整できる。非常に合理的な仕組みがあるのだと感心したし、何で日本にないんだろうと思った。

佐藤 ただ、そこからすぐに起業されたわけではない。

奥谷 日本航空は3年でいったん結婚退社して、その後、日本航空のVIPルームでアルバイトを始めました。当時は結婚して仕事を辞めてしまうと、女性が働ける場所がまったくなかったの。でも私の周りには、英語やフランス語ができるなど、高い能力を持った女性がたくさんいた。航空会社や大使館を辞めた人たちだけど、人材派遣のやり方なら、そういう人たちに働く場を提供できるんじゃないかと思ったのね。

佐藤 私が外務省に入ったのは85年で、その翌年から男女雇用機会均等法が施行されました。奥谷さんが人材派遣会社「ザ・アール」を設立されるのは82年ですから、相当に早い。

奥谷 そもそも、男性並みに働きたい女性が就職するのも大変な時代だったわね。

佐藤 当時、働きたい女性は官僚になりました。私と同じ外務省の専門職員(高い語学力と専門知識を備えた、地域のエキスパート)の半分は女性でした。基本的に男性と扱いは同じで、厳しく残業させられるし、さまざまなところへ派遣される。

奥谷 確かに官庁はその点、女性にとって恵まれた職場だったわね。

佐藤 研修もまったく同じ条件で、ロシア語だったらロシアなどで2年間みっちりやる。その間、国は3千万円くらいかけて養成してくれるんです。

奥谷 同世代の友達はけっこう官僚になっていますよ。太田房江とかね。彼女は通産省に入って、大阪府知事になって、いまは参議院議員です。

佐藤 奥谷さんは起業という選択をされた。その発想がすごいですね。

奥谷 何かやりたい、何かやりたいと言っていたら、「一番いいのは社長になることだよ」と言ってくれる人がいたんですね。日商岩井の副社長だった海部八郎さんです。

佐藤 ダグラス・グラマン事件で逮捕された大物財界人ですね。どんなご縁なのですか。

奥谷 私は神戸生まれで、海部さんも淡路島出身で学校も昔の神戸高商(現神戸大学)。そうした縁でご紹介いただいたのね。「35歳までに目鼻が付いていないと、その後の人生は難しい」とも言われたから、あと5年しかないとすぐに起業した。まあ、私はどこか生意気なところがあったから、自分の能力を試したかったのね。

佐藤 その当時、女性が起業するのは稀でしょう。

奥谷 会社の作り方も経営の仕方も何もかもわからなかった。司法書士を訪ねて「儲かる会社を作りたい」と言ったのだけど、会社に株式会社、有限会社、合資会社があることすら知らなかったわね。

佐藤 ほんとにゼロからですね。

奥谷 当時、株式会社を作るには7人の発起人が必要だったけど、そんなことも知らない。それで私のJAL時代の先輩に声をかけて6人集めて50万円ずつ出資金を出してもらい、ようやく会社の形ができた。

佐藤 すぐ軌道に乗ったのですか。

奥谷 ぜんぜん。大企業に行って、通訳や翻訳ができるクオリティの高い人材を売り込むわけですよ。でも最初は、何しに来た?という感じでね。しかも仕事の内容が、ソフトビジネスでしょう。モノがあれば、性能がいいとか、クオリティがいいとか言えるけど、女性の職業をプロデュースしたいというのはなかなか理解されなかった。その頃、名刺を持っていた女性って、保険の外交員くらいですよ。

佐藤 その名刺も角が丸かったり、小さかったりね。

奥谷 「これからは女性の時代ですよ」と、おじさま方を説き伏せる。もう折伏(しゃくぶく)ですよ。

佐藤 どんな会社に売り込みに行ったのですか。

奥谷 例えば神戸製鋼が海外プラント受注事業を立ち上げることになり、さまざまな書類を翻訳するため、5〜6人送りこみましたね。

佐藤 日本の企業が海外に出ていき始めた時期ですから、そうした需要は多かったでしょう。

奥谷 これから海外との行き来が頻繁になって、いろいろなパーティーも開かれる時代になるから、そこへ通訳を兼ねたコンパニオンを派遣しようとしたこともあった。でもみんなプライドが高い人たちだから、そのパーティーで一緒にご飯を食べちゃうし、お客さんがタバコを吸う際に、マッチも擦らないって怒られたり。

佐藤 銀座からパーティーにやってくるコンパニオンとは違いますからね。

奥谷 これは私たちに合わないと、すぐ止めました。

佐藤 賢明な判断です。

奥谷 それからアマダという工作機械メーカーで、女性社員のマナー教育をやらせていただいたのね。電話のかけ方とかお茶出しなど、接客の基礎を教える。これが好評で、会社に一つのノウハウができた。それから大きく広がっていった。

佐藤 そこは客室乗務員時代に鍛えられていますから強いでしょう。

奥谷 国鉄が民営化されてJR東海ができた時は、これからはサービスの時代だからと、新幹線で飛行機にあるような女性パーサーが食べ物や飲み物を提供するサービスを提案したのね。いまは名誉会長になっていらっしゃる葛西敬之さんから、最初は「そんなものはいらない」と言われたけれど、結局、それが通って、そのパーサーの教育も車内アナウンスも車内清掃も、全部やらせていただきました。

佐藤 国鉄は労働組合が力を持っていましたし、サービスという発想がなかったわけですから、カルチャーを変えましたね。

奥谷 そう、いろいろな場面で会社のカルチャーも変えるし、男性中心の社会のカルチャーも変える。だから毎日がとても面白かったわね。

■バッシングに遭う


佐藤 奥谷さんは、女性を活用するとともに、その彼女たちに、仕事をすることで生きがいを感じるような仕組みを作りだしたわけです。ドイツ語で仕事の「Beruf」は天職、使命という意味がある。それをプロデュースされてきた。

奥谷 まあ、そうかもしれない。

佐藤 そこをみんながきちんと理解していないから、ホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間規制の適用除外)導入時の議論で、ずいぶん叩かれたんじゃないかと思うんです。

奥谷 あの時は雑誌に「過労死は自己責任」と言ったように勝手に書かれてしまって、ボコボコにされたのね。ちょうど厚労省の労働政策審議会委員をやっていたから、国会にも呼び出されそうになった。私はちゃんと国会に出て説明したかったのに、経団連の事務局長が来て「それは止めてくれ」と頼まれたんですよ。知人の財界人に相談したら、おとなしくしていた方がいいと言う。それで国会にも行かず、委員も辞めたのよ。

佐藤 外務省時代、首脳会談前などは、月に300時間くらい当たり前のように残業をしていましたよ。政治家の勉強会の準備をして、資料を持って説明しに行って、そこで宿題をもらってそれに対処して、とやっていたら、そのくらいすぐいきます。土日も、朝はゆっくりですが、役所には出ていましたからね。

奥谷 そうなのよ。佐藤さんみたいに能力がある人は働きたいだけ働いて、自分できちんと判断して休めばいいの。自分で健康を管理して、自己責任で仕事に取り組めばいい。

佐藤 働き方改革でも、労働時間の短縮を言いますが、あれはマニュアル通りにやっている工場勤務の人たちを無理やり長時間働かせるな、ということでしょう。それを一律に当てはめようとするのはおかしい。

奥谷 自分で創造して何かを作ったり、書いたり、デザインしたりということには、時間は関係ない。集中して3時間でやる方がいい人もいれば、ゆっくり8時間かけたい人もいる。それに世の中がどんどん国際化されてきているでしょう。東京は夜でもニューヨークは朝なんだから、その分野の仕事をすると自分で健康管理するしかない。そういうことを言いたかったの。

佐藤 私はマルクスのことを書いたり富の再分配の重要性を指摘したりして、新自由主義的なものには批判的ですが、一方で、その人が成長するためにはある時期、猛烈に働くことは大切だと思っています。

奥谷 仕事が面白い、もっと働きたいと思っているとき、人の能力は伸びるのよね。

佐藤 それによって結果に差が出てくる。

奥谷 あの時、機会平等だから自分で能力を開発しない人は差がつくと言ったことも物議を醸したのね。これについては、いまみたいに格差がどんどん広がってくると、機会すら手に入らない人が出てくる。だからそこは反省しなきゃいけないと思っている。

佐藤 それは時代が動いたからですよ。そもそも奥谷さんが会社を始めた時期は、女性に機会の平等がなかったわけですからね。

奥谷 そうね、あの頃私たちは珍種のパンダみたいな扱いをされたけれど、いま女性に関して制度は整備されている。チャンスはいくらでもあるのに、いまだに「女性の時代が来ない」と言われるのは何なのかと思っちゃうわね。制度だけが先行して、女性が追いついていない。

佐藤 男性と伍して、という人は一部でしょうね。

奥谷 男性と同じにならなくてもいいのよ。人間社会には男とか女とか関係ないものがあるでしょう。

佐藤 ありますね。

奥谷 女性も、女性女性と声高に言わなくて、人間としてどう生きるべきかなのよ。それがきちっとあればいい。人間としてちゃんと生きている女性が少ないの。そもそもこれだけ制度ができて活躍する女性が少ないのは、社会性のトレーニングが欠けているからだという気がする。

佐藤 なるほど。

奥谷 女性の政治家と話をすると、もっと女性を応援する政策を作るんだと言うけど、そういう彼女よりも、例えば小池百合子の方が目立っているわけね。これまで権力者にくっついてうまく政界を渡り歩いてきたけれど、それはつまり、ある意味での社会性があるということ。その小池百合子的策略ができる女性は少ない。


■結局は自分との闘い


佐藤 でも小池さんって、政治家として何をやりたいんですかね。

奥谷 何もないんじゃないの。

佐藤 権力を追求しているだけ。

奥谷 そうだと思う。女性の権力者って、そういうタイプが多いのよ。何をしたいかじゃなくて、そのポジションが欲しい。だからポジションを失ったら、すごく不安になってしまう。何か一つの本質的なものを作りたいとか、カルチャーを変えたいとか、集団になって何かを作ろうという情熱は少ない。ここは男性と違うところだと思ったりするけど、いまは男性にもそういう人は少ないわね。

佐藤 やはり教育ですかね。

奥谷 まず基本に教育があるわね。それに文化を楽しむ余裕や趣味。女性で大企業の役員になっている人の多くは、趣味がないのよね。「奥谷さん、どうやって趣味を持つの」と言ってくるんだから。

佐藤 それまで仕事に逃げてきたか、仕事を一所懸命にやって視野が狭くなっているか。

奥谷 話をして面白い、話題が豊富な人が少ない。趣味なんて考えて持つものじゃない。興味があればやればいい。まずは自分を突き放して、客観的に自分自身を見ないといけない。結局は自分との闘いだから。すべて自分。だから仕事だって、上司が悪いとか、社会が悪いとか言っている場合じゃないのよ。

佐藤 いま奥谷さんが取り組んでおられるのは何ですか。

奥谷 3年前にいまの会社をつくって、若手のベンチャーを育てている。

佐藤 これも一種の教育ですね。どうですか、感触は?

奥谷 難しいわね。やっぱり若い人はお金儲けに走ってしまうのよね。IPO(新規株式公開)が目標で、世の中を変えようとか、仕事を通じて社会システムを変えていこうとか、自分自身のミッションを持ってやっている人が意外に少ない。

佐藤 優秀な大学を出ても、お金だけ追いかけているなんてつまらないですね。

奥谷 いま東大発ベンチャーが流行っていて、すぐにお金が集まるわけ。でも形だけ作って、うまくいかないところが多いと聞いている。

佐藤 日本は、大学の中にも社会の中にも学生からベンチャーに行けるようになっていませんから。

奥谷 そう。ある意味で、一度組織に入って覚えるべきことは覚えたほうがいい。あるいはインターンに行ったりね。そうした仕組みづくりは必要だし、教育も大事。そして世の中のことは――佐藤さんに教えてもらうのが一番いいわね。

奥谷禮子(おくたにれいこ) CCCサポート&コンサルティング会長兼CEO
1950年兵庫県生まれ。甲南大学法学部卒。74年日本航空入社。国際線客室乗務員となり、結婚退職して同社VIPルームのアルバイトに。82年ザ・アール設立、36年間代表を務める。86年、経済同友会初の女性会員に。86〜94年人材派遣会社ウイル社長を務めた他、ローソン、日本郵政の社外取締役も歴任。2018年より現職。

「週刊新潮」2021年9月9日号 掲載

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