携帯料金値下げ競争が招く日本企業の「ヤバい未来」

■これを競争と言うのか?


 2018年夏、菅義偉官房長官の口から突如として発せられた「携帯電話市場は機能していない。携帯料金は4割程度値下げが可能である」の言葉。毎月の利用明細に、時に驚き、苦しむ一般利用者からしてみれば、それはまさしく神の声、「福音」に聞こえたに違いない。
 目下、総務省内では通信料金と端末料金の完全分離を軸に、さまざまな方策を練っているというが、本当にこれを「福音」として、素直に受け止めていいものだろうか。

 いまや日本の携帯電話契約数は1億7千万を超え、世帯保有率について言えば95%超である。持つべき人はもとより、持ちたい人には、ほぼ全員に行きわたっていると言っていいだろう。それをNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの3社で“仲良く”分け合っているのが現在の日本の携帯電話の市場である。料金体系も提供されるサービスも、3社の間に大した違いはなく、その違いを見出せるのは、よほどのヘビーユーザーかケータイおたくぐらいだろう。ソフトバンクがiPhoneと独占契約を結んだ時こそ、他の2社は恐れ戦いたが、それもすでに昔の話だ。
 したがって新たな市場といえば、これから携帯電話を持つ若年層か、さもなくば他社からの「乗り換え」ぐらいである。各社のCMを見ても、謳い文句は「学生割引」やら「家族割引」ばかりで、大きく膨らまないパイをちまちまと食い合う、お世辞にも価格を動かすほどの競争が働いているとは言い難い。いや、それどころか逆の論理が働いているといってもいいいかもしれない。
 なにしろ長年利用するオールドユーザーに対しても、いまだに本体を替えれば2年縛り、4年縛りを課される旧態依然の体制を敷いているのである。初期費用の回収のみを考えれば、一定期間の縛りは納得出来なくもないが、オールドユーザーに対しても解約にペナルティを課すというのは、消費者軽視の囲い込みというか、とても客商売をやっているとは思えない。競争市場と言うよりも、公正取引員会が乗り出してもおかしくない状況と言ってもいいだろう。
 と、いうことを考えると菅官房長官の発言には一定の理解を示さざるを得ないのだが、だからといって菅氏の発言に、諸手を挙げて賛成するのか――と問われれば、それにはやはり疑問符を付けざるをえない。

■やはり“政治的”だった「官房長官発言」


 疑問符を付けるきっかけは、菅氏の発言が、楽天の携帯事業参入を前になされた点にある。
 楽天の三木谷浩史社長は2017年に参入計画を発表、2018年には楽天モバイルネットワークを設立して、さっそく4G向けの1・7GHz帯の免許を獲得した。今年の10月にはサービスを始めるというが、市場の特性上、新規ユーザーはほぼ見込めない。いきおい既存3社から客を奪い取るしかないのだが、そのためには、楽天ならではのインセンティブを提供しつつも、やはり相当な低料金設定を仕掛けなければ既存の牙城を崩すことはできない。
 楽天としてみれば入り口から出口まで、モバイルから本業のeコマース事業にいたる巨大市場を包括的に囲い込む戦略なのだろうが、だからといって収益度外視では上場企業は成り立たない。携帯電話市場はさらに安い料金設定にしても収益を得られる市場と見ているのだろう。
 となると、楽天参入によって、一時的となる可能性も高いが、早晩、携帯電話市場は再び活性化し、既存3社は料金値下げに走ることになる。これは政治的働きかけの有無にかかわらず、必定のことだ。
 にもかかわらず政治家が、「4割」という具体的数値を提示するのだから、そこはやはり菅氏の言葉には、何らかの意図を感じざるを得ない。「政治的発言」と見るのが適当だろう。今年は参院選挙、統一地方選挙の年でもある。


■総務省の壮大なる「勘違い」


 菅氏の発言がどうであれ、すでに総務省は通信料金と端末料金の完全分離をもって料金値下げのスキームの検討を始めている。これにより既存ユーザーの“○年縛り”が解消され、より自由な競争を促すとされるが、本当にそれで料金が安くなるのか、はなはだ疑問だ。
 というのも、今から4年前の2015年9月、経済財政諮問会議で「携帯料金が高すぎる」と言い出したのは、他ならぬ安倍晋三首相だった。高市早苗総務大臣(当時)はこれを受けて早速各社に勧告したが、結果はどうなったのか――。
 この時は格安本体による客の縛り付けの是正とライトユーザー向けの格安料金設定だったが、結果として起こったのは端末本体価格の高騰であり、長年利用するオールドユーザーの冷遇である。つまるところ今起こっている問題の発火点と言っても過言ではない。そして火をつけたのは他ならぬ総務省である。
 そもそも総務省は、頻繁に端末を替える利用者の負担をオールドユーザーに転嫁しているとして、2007年頃から端末料金と通信料金の分離にこだわってきた。しかし、この施策のために端末の価格は上昇。新規需要が低迷して、日本のメーカーが携帯電話事業から撤退を余儀なくされる一因を作ってしまった(統廃合を含め、三菱電機、カシオ、日立、NEC、パナソニック、東芝等が2013年までに、富士通は2018年に撤退)。


■不毛な競争ふたたび


 かつては端末の頻繁な買い替えだったが、いまはMNP(ナンバーポータビリティ:電話番号そのままで通信キャリアを乗り換えるサービス)により、端末と同時に通信会社ごと変わってしまう。競争といえば競争なのだが、価格ではなく、新規や乗り換え顧客を対象にインセンティブを与えるものなので、やはりオールドユーザーに厳しいことにはかわらない。
 意地悪く言えば、総務省の施策は、料金値下げに結びつかないだけではなく、日本の携帯電話端末メーカーの衰退を招く一因となった。そしてこのことが更なる悲劇を生み出してしまうのである。
 少なくとも総務省は、従来の施策の効果測定を確実に行ったうえで、料金体系を検討するべきである。


■悲劇の結末


 いま、あなたのお手許にある携帯端末を見ていただきたい。スマートフォンであれば、おそらくはアップルが大多数で、続いてシャープ、ファーウェイ、ソニーモバイルといった感じではないだろうか。日本ではこの4社で約8割のシェアと言われている(アップルが全体の約5割!)。が、世界に目を転じればサムソン、ファーウェイ、アップルに続いてシャオミ、オッポ(ともに中国)……と、ベスト5に日本製品の影を見ることは出来ない。
 これが、悲劇の結末なのである。
 現在、携帯端末は外国製が主流となり、次世代通信網(5G)の中で名前のあがる日本企業は皆無である。あくまでも一因とはいえ、官の介入により開発能力を失った日本の企業は“これからの時代”に爪痕すら残せない状況に陥っているのである。
 そして新たなテクノロジーから取り残されてしまうとどのようなことが起こるのか――それは歴史が示してくれる。


■過去の苦い経験


 そもそも日本の通信事業は、規制緩和の掛け声のもと、1985年の電電公社民営化でもって自由化された。事実、過激すぎる競争が展開された時代もあった。それは1990年代のことである。
「ゼロゼロワンダフル」(KDD)や「(田村正和の)零々四一、(鈴木保奈美の)零々四一子」(日本テレコム)といった派手なCM合戦を思い起こす方も多いだろう。電電公社民営化にともない、国際通信も自由化され、KDDの1社独占から解放された後、ひと頃は7社の国際通信企業がシノギを削っていた(KDD、日本テレコム、IDC、DDI、MCIワールドコム・ジャパン、東京通信ネットワーク、NTTコミュニケーションズ/99年時点)。
 また、国内長距離電話市場でも日本テレコム、日本高速通信が競っていた。
この時代、日本市場を狙うAT&T(アメリカ)やC&W(イギリス)といった巨大外資が、手を替え品を替え、攻勢をかけていたのである。これにより1989年にアメリカ宛ての電話料金は3分間で890円だったが、10年後の1998年には240円になっている。
 しかし、これらの通信企業が今、どうなっているか――。複雑怪奇な合従連衡の顛末は拙著『通信の世紀』(新潮選書)に詳しいが、各社、生き残りをかけて吸収合併を繰り返した結果、現在は携帯電話市場を中心にNTTドコモ、KDDI(AU)、ソフトバンクに収斂している。さらに言えば日本市場参入を目論んだAT&TもC&Wも、それぞれ買収の憂き目に遭って姿を消した。
 ただ、ここで留意しなければならないのが、これら通信企業が過激な競争の果て、息絶えてしまったわけでもないということである。もちろん過当競争によりそれぞれ体力を奪われていったが、企業の息の根を最後に止めたのは、新たなテクノロジーの登場であった。すなわち携帯電話であり、さらにはインターネットであった。


■失われた未来


 インターネット、携帯電話という新たなテクノロジーにより、当時有望視されていた国際電話、固定電話による長距離電話という市場はいとも簡単に潰えてしまった。駅前商店街の中で商店同士がシノギを削っている内に、郊外のショッピングモールが出来て、客を根こそぎ持って行かれたという感じだろうか。
 これこそが通信企業の中で起こっていることなのである。
 携帯端末は、いまや多機能化し、単なる通信機器から、情報収集や電子取引をするために欠かせない万能端末に進化している。一方、通信事業そのものはこの先困難を迎えると予想されている。
 この中でどうやって生き残るか――答えは明らかである。
 そう、テクノロジーである。
 たとえば、次世代通信システム(5G)導入のためにも多額の投資が必要である。携帯電話会社は、現在儲け過ぎのようにみえるが、目先の価格競争で資金難となって投資をためらえば、瞬く間に淘汰されてしまう。淘汰されてしまえば日本の産業全体にも悪影響を与えてしまうことになる。
 楽天が通信事業に野心を抱くように、これからは通信が全ての産業の“門番(ゲートキーパー)”になる。そこを抑えることの意味は、誰もが感じていることであろう。門番の意に沿わなければ、いくら高性能、高品質を謳っても、中に入ることはできないのである。
 そして今、門番の主導権を握る争いは米国と中国の間でのみ行われているということをわれわれは強く認識しなければならない。

大野哲弥
1956年東京生まれ。立教大学経済学部卒業、放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。博士(コミュニケーション学/東京経済大学)。1980年国際電信電話株式会社(KDD)入社。退職後、放送大学非常勤講師など歴任。2018年11月現在PR代理店代表。著書に『国際通信史でみる明治日本』(成文社)、論文に「西南戦争時の政府暗号補論」、「外国放送無線電報にかかわる外務省と逓信省の対応〜外務省の内閣情報局構想と情報委員会〜」など。共著論文に「原発事故を米軍“準機関紙”はどう伝えたか―Stars and Stripes 紙の報道内容分析から―」。

2019年3月13日 掲載

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