「金の亡者」と言われた本庶佑博士が小野薬品に反論2時間

■“金の亡者”といわれた本庶佑博士が「小野薬品」に反論2時間(1/2)


「地位も名誉も十分に得たのに、数百億のお金を貰ってどうする」「実は金の亡者」。小野薬品に莫大な特許使用料を求めたことで、ネットには本庶佑氏(京大特別教授)に対する批判が溢れた。しかし、真相は違う。ノーベル賞学者が明かす小野薬品との「8年闘争」。

 ***

 小野薬品からすれば、僕個人に100億円も払っておけば満足すると思っていたのかも知れません。これで楽しい生活が送れるだろうとね。仮に(高級ワインの)ロマネ・コンティを山のように買って飲んだとしてもたかが知れているでしょう? もちろん、僕はそういう使い方をしたいわけじゃない。僕はこの特許は本来大学に帰属すべきだと思っている。だから若手研究者の研究資金に充てたいということを小野にも伝えている。向こうはそこを分かってないと思うんです。

〈本庶佑(ほんじょたすく)・京都大学特別教授(77)のノーベル賞受賞につながった「PD―1抗体」で最も潤った製薬会社が、がん治療薬「オプジーボ」を製造販売する小野薬品だ。だが、本庶氏と小野薬品の関係は長らく冷え切ったものになっている。特許の対価が国際的な標準料率よりあまりに低いからだ。また、最近になって小野薬品から300億円の寄付の申し出があったこと(昨年11月)を本庶氏は明らかにしているが、これも「あり得ない金額」と批判するのだ。〉

 後で触れますが、寄付の件は、こちらから小野薬品に持ち掛けた話でした。特許の価値について合意できないなら、せめて前向きな研究資金として「小野・本庶基金」を設立し、そこに寄付をしてもらいたいと伝えたのです。しかし、小野が提示してきたのは、先方が2013年から提案してきた新しい契約条件に基づく算定額の数分の1以下。小野とは、もう8年の交渉になりますが、「払う」と約束しておきながら払わなかったり、一旦提示した条件を後で大幅に値切ってくるなど、その姿勢はずっと不誠実なものでした。

 そもそも小野薬品と京大は、古くからの付き合いなのです。薬の販売からスタートした小野薬品は、私の師匠である早石修先生から勧められ、プロスタグランジンの製品化に乗り出すのですが、これが大ヒットした。いわば、小野薬品は京大の協力で製薬会社としての礎を築いたともいえる。そうした関係から、私がオプジーボにつながる「PD―1」を発見した際にも、大学が特許出願の力はないというので、まず小野薬品に声をかけた。製薬会社は特許取得のノウハウを持っていますから、小野に協力してもらい共同で特許を出願したのです。2002年のことでした。その際“これは薬になるかも知れないから一緒に開発しないか”とこちらから持ち掛けたのです。

 しかし、小野薬品は及び腰でした。自分の会社はまだ規模が小さい。がん治療薬を作った経験もゼロ。だから、大手の製薬会社と組んで開発したいと答えてきたのです。それで、小野は武田薬品や中外製薬など、十数社に声をかけたのですが、いずれも断られてしまった。当時はがんの免疫療法に、まともに取り組もうという空気がなかったんですね。その結果、パートナーが見つからないから開発はできないと正式に断ってきた。当時の幹部で、後に小野薬品の社長になる人から言われたのです。


■騙すのは簡単


 でも、僕としてはPD―1抗体に大変な可能性があると信じていましたから、諦める気はなかった。それで知り合いの、とある創薬ベンチャー(米)に声をかけたら、すぐに乗ってきた。契約にあたっては小野が開発を放棄するという条件がつきました。そうしないとベンチャー企業にはメリットがありません。それで、小野に権利放棄を求めたら「ちょっと待ってくれ」と言葉を濁す。それから3カ月ぐらい経って、「やっぱりうちが開発します」と翻してきたのです。聞けば、メダレックス(後にブリストル・マイヤーズスクイブ=BMS=が買収)というパートナーを見つけたという。実際には小野が見つけたのではなくて、公開特許公報(特許申請すると1年半後に公開される制度)から、我々の特許申請を見つけてメダレックス側から連絡してきたのですけどね。

 PD―1抗体を薬として開発するために小野と契約を交わしたのは06年のことです(正確には、共同特許を小野薬品が独占的に使い、本庶氏は一定の対価を得るという契約)。しかし、私はパテント(特許)に関してまったく知識がありません。契約書を読み込んであれこれ指示することは出来ないので、大学の知財担当(「医学領域」産学連携推進機構)に委託したわけです。私は話し合いの場にもいませんでした。当時、京大は国立大学法人となった直後で、知財の担当部署も出来たばかり。でも、相手は昔から付き合いのある小野薬品です。誠意をもって契約してくれていると思っていました。そうするうちに、契約書が送られてきたので中身も見ないでサインしたわけです。今思えば大学教授なんて騙そうと思えば簡単です。商売のことなんか分からないんだから。でも、相手は1部上場企業でしょう。詐欺まがいのことをされるなんて想像もしていませんでした。


■小野が貢献したかのような“見せかけ”


〈06年4月、本庶氏と小野薬品は新薬の開発に向けて契約(「PD―1遺伝子特許実施権許諾に関する契約書」)を交わす。それによると、本庶氏が小野薬品から受け取るのは、(1)小野薬品自身が販売する新薬の売上げ、(2)小野薬品がBMSに導出し、BMSから受け取るロイヤリティ(これは小野薬品が一円も投資せずに得るもの)のいずれについても1%以下だった。(一財)経済産業調査会などのデータによると、前記(1)のカテゴリーについては、医薬品の場合、開発者のライセンス料は3〜5%、前記(2)のカテゴリーについては20〜30%が相場とされている。〉

 契約がおかしいな、と気が付いたのは11年のことです。すでにアメリカで治験が始まり、新薬になる期待も出てきました。研究費が入ってくるかも知れないと思って、その時、初めて契約書を見直したのです。すると、素人の僕から見てもライセンスの料率がひとケタ低い。そこで、以前から知り合いの仙元隆一郎先生(故人)に契約書を見てもらったのです(註・仙元氏は知財分野では世界的に有名な法律家)。そうしたら、すぐにおかしな契約だと指摘された。そこで交渉経緯の書類をすべて見てもらったら、双方が特許にどんな貢献をしたのかなどを整理してくれたのです。

 仙元先生は小野の知財担当者を呼んで交渉を始めてくれました。そこから分かったのは、小野がPD―1抗体の開発に多大な貢献をしたかのように見せていたことでした。しかし、実際には基礎研究の段階で1億円にも満たない資金を出したぐらいのものです。研究そのものには全く貢献していません。また、小野薬品が、私の特許は薬にするにはまだまだ未熟な遺伝子やタンパク質だと京大宛ての説明書面に書いていたことも分かった。つまり、大した価値はない。だからライセンスの料率は1%以下でいいのだという理屈でした。実際は「PD―1阻害によるがん治療法」という各社が訴訟合戦をしている製薬の基本特許です。

 一方で、アメリカではPD―1抗体の治験が進み、驚異的な治癒率が明らかになってきます。12年に医学誌「ニューイングランドジャーナル・オブ・メディスン」に論文が発表されると、その効果に世界中が注目するようになりました。後にカーター元大統領が、PD―1抗体を使った治療でがんを完治させるなど、日本より先に欧米で話題になったのです。

 こうした事実の露見に小野も具合が悪いと思ったのかも知れません。13年になって、小野側はライセンス料の改定案を持ち出してきます。

〈小野薬品が再提示したのは、前述した(1)小野薬品自身が販売する薬の売上げに対するライセンス料を2%に、(2)小野薬品がBMSから受け取るロイヤリティの配分割合を10%に引き上げるという案だった。それでも、国際相場と比較すると半分弱の数字である。14年、待ちに待った製造販売承認がオプジーボに下りる。一方で、アメリカではメルク社が同様のがん免疫治療薬「キイトルーダ」を発売。小野とBMSは特許侵害訴訟を提起したが、勝つためには本庶氏の協力が必要だった。〉

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年6月13日号 掲載

関連記事(外部サイト)