日本は「一度レールを外れると再起不能」は本当か


「日本は一度レールを外れると再起不能、負け犬に厳しい社会」という声は依然として多いと感じます。しかし、世界を俯瞰すると、これは必ずしも正しい主張とはいえないのではないでしょうか。筆者はこの逆が正しいと考えています。つまり、「日本はレールを外れても、やり直せる社会」ということです。

■「学歴フィルター」は本当に悪いのか?

日本社会は中身ではなく、学歴を見る社会だという主張があります。

「学歴フィルター」が存在するのは事実で、かつてSNSを騒がせた事例としては企業説明会にまつわる話があります。企業説明会の応募にあたり、早稲田大学の学生になりすましてログインをするとまだ空席がたくさんあるのに、そうでない大学の学生のログインでは「空席なし」と表示されてしまうというのです。なかなか露骨な学歴フィルターですが、筆者はこの措置を特別悪いとは感じません。

魅力的な大企業ほど応募者が殺到しますから、人事の立場で考えると応募者1人1人の中身を細かく精査するリソースがありません。そもそも、人の本音などわずかな面接の時間ですべて見抜くことは現実的ではないでしょう。また、万が一採用者に問題があって、選定基準を学歴でなく、人物本位で決めたとなると「人を見抜く眼力がなかった」と責任追及されてしまうのは必至です。特に仕事の経験がない学生は、仕事の実績をチェックできませんから、必然的に学歴で決めていくことになります。

本音では学歴で決定するのに、表向きは「当社に学歴フィルターはありません。全員、学歴不問でウェルカム」などといってしまうとかえって問題に感じます。高学歴でない、採用を夢見て応募する学生の就活リソースを、ムダに消費させることになってしまいます。

不文律として、学歴フィルターの存在を意識することは、応募する側のためでもあると思うのです。

■米国は日本以上の学歴社会

しかし、米国や欧州などの先進国では、日本以上といえる学歴社会の存在があります。筆者は米国の大学に会計学専攻で留学していましたので、それを肌で感じたものです。

日本は新卒の入社時の学歴で評価されます。そのため、社会経験がない学生が一流企業に入るための切符こそがこの学歴なのです。日本では入社後に丁寧な研修を経て現場に配属される前提の会社が多いために、プログラマー職での採用に「学部や専攻不問」というのは珍しくありません。つまり、就活戦線は「大学で何を学んだか?しっかり学んだか?」より「学校名の強さ」で決まる要素が大きいといえるでしょう。

一方で、米国は日本以上に学歴の中身までしっかり精査されます。まず、大学の専攻と応募職種に整合性があることが重視されます。プログラマー職の採用だと、情報工学(computer science)の学部出身者であることが求められます。さらに大学のGPA(成績評価基準)も重視され、大手IT企業や投資銀行ではGPAの足切り点が設けられているのも珍しくありません。

外資系コンサルのマッキンゼーでは、ハーバード大、スタンフォード大の学生には、専門のリクルーターがつくほど学校名での積極採用をしているという話もあるほどなのです。

入社後も出世は学歴が関係します。実際に筆者が働いていた米国系企業では「課長クラス以上は、全員MBA取得必須」といわれたことがあります。また、転職時には前職の働きぶりを確認するリファレンスチェックがあり、働いた後の実績も影響します(筆者も経験済)。

一度、キャリアで躓いた人のやり直しは簡単ではないのです。

■フランスや新興国も学歴の壁は大きい

フランスでも米国と同様に学歴がキャリアを決めます。

フランスではグランゼコール(Grandes ?coles)と呼ばれるエリート校があり、「グランゼコールを出たか?どのグランゼコール出身か?」がキャリアを左右するのです。就職できる会社だけでなく、入社時の給与も違うほどです。

また、新興国の学歴の重要性は言わずもがな。中国では日本とは比べ物にならないほどの苛烈な学歴競争社会で、中国国内の一流大学にあぶれた学生は、他国へ留学をして巻き返しを測る戦略が一般化するほどです。さらに、世界には生まれた身分で一生が固定化される国もあるのです。

学歴は一度獲得すると、後から容易に変更できません。こうした他国の状況を鑑みるに、日本は特別に学歴を使った人生の立て直しが難しいとは感じません。

■日本は努力が報われる社会

批判を恐れずにいえば、筆者は日本は世界的に見て、比較的努力が報われやすい社会だと思います。

日本社会は大企業が0.3%、中小企業が99.7%で構成されており、ほとんどの社会人は中小企業に就職して働くことになります。これは一部の財閥や超大企業が社会を動かす国とはかなり違う構造といえます。また、日本での中小企業における出世や待遇は学歴より、仕事ができるか?上司や同僚から信用を得ているか?が重要なファクターではないでしょうか。

仕事の実績や信用を得るには、入社した後の個人の行動で決まるもの、つまり「努力で切り開く社会」と考えます。

また、筆者自身が身を持って「日本は努力が報われる社会」と感じているところもあります。中学高校は不登校で、23歳までニートとフリーターで過ごしてしまいました。当時は「自分の人生は終わった…もう取り返しがつかない」と本気で人生に絶望していました。

その後、勉強の必要性を理解したことで、大学進学を決意しました。独学で英語力を身に着け、国内の大学に入学、その後は米国大学に会計学専攻で留学しました。米国から帰国して外資系企業に就職、そこでは英語力と会計の専門スキルを活かして働きました。採用時、「過去の5年間のニートとフリーター期間が懸念」として、落とされてしまった経験もある一方で、その逆に「フリーターだった立場から、よく頑張りましたね!」とフロンティアスピリットを評価して採用してくれた企業もありました。「採用は学歴やキャリアの実績がすべて」という会社ばかりでなく、過去の努力を認めて採用してくれたという貴重な経験をしたのです。

その後は働きながら起業して、今では会社経営をやっています。自分がその時々でやりたいことを好き勝手楽しくやってこれたのは、日本社会がそのようなレールを外れた活動にも、比較的寛容だったからというのもあるのではないでしょうか。

生まれた身分や家柄、卒業する大学だけで一生が固定化されかねない国がある一方で、日本は比較的自由に生きられる社会だと個人的には思います。「日本は敗者に厳しい」という主張は、他国との水平比較を経てなされるべき議論なのではないでしょうか。

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