日本に「DX」はムリなのか。うまくいかない根本原因はどこに

− レガシー政府のDXレポート2を読む −


巷を騒がし続けるバズワード「DX(デジタルトランスフォーメーション)」。

これは、2018年9月の経済産業省『DXレポート〜ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開〜』が発端でした。そして昨年(2020年)の年の瀬も押し迫った12月28日に『DXレポート2(中間取りまとめ)』が公表されました。

今回は、この『DXレポート2』を紹介します。個人的には「強気だなぁぁ」とも読め、その辺もあわせて書いていきます。

■9割以上の企業がDX未着手

まず経産省の2018年DXレポート発表後の取り組みが紹介されています。ひとつは企業外面からの働きかけ(DX認定、DX銘柄など)。もうひとつが、企業内面への働きかけ(DX推進指標による自己診断の促進やベンチマークの提示)です。

この各企業のDX推進指標の自己診断結果を独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が分析しています。その結果、実に全体の9割以上の企業がDXにまったく取り組めていない(DX未着手企業)レベルか、散発的な実施に留まっているとのことです(回答企業約500社)。

やはり恐ろしい結果となりました。日本のDXの実体は壊滅状態なのかもしれません。たしかにDXってよく分かりませんしね。「ハンコとかファクスを辞める?」「AIを導入すれば良い?」「アジャイルとかでやるの?」・・・さまざまなレイヤーの疑問符が果てしなく続いている気がします。

■経産省の考えるDXの誤解

現在のDXの実情をDXレポート2では、「DXへの誤解があった」とも分析しています。このあたりは経産省も立派で「単に民間が怠けていただけだ」とはしていません。ではDXへの誤解とはなんでしょうか。レポートから抜粋します。

『先般のDXレポートでは 「DX=レガシーシステム刷新」など、本質ではない解釈を生んでしまった』。つまり、DXがデジタルの話にすり替わってしまい、本質である企業の変革につながらなかったとしています。

レポート2ではあらためて「レガシー企業文化からの脱却」が強調されています。これは、たしかに正しいと思います。しかし個人的には2018年のDXレポートでも「企業変革が本質」とは書かれていたと思うのですが。

正直、日本の経営層の読解力が、それほど低いとは思えないのです(もし、それほど低いなら、その責任は経産省ではなく文科省ということかもしれません)。では、なぜ、こうなってしまったのか。

ザックリ言えば、やはり「ムリなものはムリ!!」ということなのではないのでしょうか。最近、実はそんな気がしています。

DXレポート2では、調査企業の約5%にあたる先行企業のDX進捗・目標値は決して低くなく、二極化という側面も指摘しています。これも「もう先に行ける企業から、どうぞお先に」と思えてしまうのです。

■レガシー企業文化から脱却ってカンタンに言うけど

ここからは、少し八つ当たり気味に話を進めます。レガシーシステムの問題点は部門間の横断性がないこと。各部門の個別事情により過剰な改修(アドオン)を積み重ねていること。そしてこれがITシステムの問題であると同時に、日本のレガシー企業文化です。

全くその通り。ご説ごもっとも、と思いますが、これを各省庁のシステムがサイロ化している“レガシー政府"の人たちに言われてもですね・・・昼の会議の席なら我慢できても、夜の飲みの席ならばキレちゃう人がいるかもしれません(いまは飲みの席は自粛中ですが)。

DXレポート2の特長のひとつは、社会構造への言及です。まずはリカレント教育。これは生涯を通して教育と就労のサイクルを繰り返す教育制度です。次にジョブ型人事の推奨。これは経団連も言っていますし。この辺も全部正しいと思います。

しかしながらジョブ型の諸外国では、たとえばドイツでは2000年代前半からハルツ改革と呼ばれる「失業者の保護」から「労働市場への再編入の促進」へと舵を切っています。そのうえでEUは「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」と言っているわけです。

果たして、そのような大きな構想まで経産省がやってくれるのか。それは労働市場問題だから厚労省なのか。つまり社会全体の設計思想が見えないのです。

■怒りの矛先はデジタル庁に

DXの本質は部分最適ではなく全体最適です。つまり「ジョブ型雇用」という部分最適ではなく、そのための社会保障の在り方(現役世代支援の強化等)や国家像などの、より上位のビジョンにコミットするのがDXの本質です。

そこまで求めるのは、経産省も一部署ですから、酷というものかもしれません。ではデジタル庁なのでしょうか。前提としてデジタル庁は“情シス"ではありませんよね。平井デジタル改革相のインタビュー等を読むと、言葉の端々から「情シスではない」と意思が読みとれるのですが。

現在、平井大臣はコンセプトとして「ソサエティー5.0」によく言及していますが、具体像は闇のなかです。

そもそも「ソサエティー5.0」は科学技術の話であり、「ソサエティー」の話にはなっていません。つまり「デジタル」の話であり「経営」の話ではありません。

DXレポート2の一節で、<経営>という言葉を<政治>に置き換えてみます。

『<政治家>は、<政治>と IT が表裏一体であるとの認識を持った上で(中略)ビジョンや事業目的といった上位の目標の達成に向けて、デジタルを使いこなすことで<政治>の課題を解決するという視点が必要』

まさにその通り。これをデジタル庁には是非、やって欲しいと思います。社長が範を示さなければ社員は動きません。これって偽りのないサラリーマンの心情ではないでしょうか。

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