「首相官邸」や「さいたまスーパーアリーナ」…大地震でも「倒壊は絶対阻止したい建物」に使われている“技術”

(※写真はイメージです/PIXTA)

地震大国・日本には、築300年を過ぎても倒壊しない建物が数多くあります。近代の建築物が大地震で倒壊し、死因の主な要因に繋がっているなか、いわゆる「古民家」などの“伝統構法の家”が倒壊しないのはなぜか。現在の木造軸組構法(在来工法)と明らかに異なるのは、伝統構法には、地震の揺れを建物に伝えない技術「免震工法」が採用されている点です。では、なぜ伝統構法の家が消え、免震工法も普及しないのでしょうか? 住宅の免震化に取り組む谷山惠一氏が解説します。

今や「伝統構法の家」はほとんど建てられていない

日本の伝統構法である「木組み」「土壁」そして「石場建て」による建物は、現在ではほとんど建てられていません。

そのおもな理由は、これらを施工できる職人がいなくなったことです。「木組み」にしても、「土壁」にしても、「石場建て」にしても、熟練した大工や左官職人の技術が必要であり、昨今の少子高齢化などによってこれらの職人が減り続けているのです。

現在の木造家屋の多くは、材木会社で設計図に合わせてプレカットと呼ばれる加工があらかじめ施され、現場では模型のようにそれらを組み合わせて金具で固定するだけの施工方法となっています。壁も工場でパネル化されて現場で打ち付けるだけです。そのため、熟練した職人でなくても建てることができてしまいます。昔のように現場で大工さんが鋸を引いたり、カンナで削ったり、ノミでほぞを作ったりする必要がないのです。

このように、日本の風土、環境に合った伝統構法は近代的な構法にとって代わってしまいました。伝統的な免震工法としての「石場建て」も例外ではありません。

大地震にも強い「免震工法」が普及せずにいる“裏事情”

昔の建築物は、免震工法(石場建て)が当たり前でした。ところが現在私たちの周りを見回してみると、免震工法は非常に少数派です。地震大国日本にとって免震は必要不可欠なはずです。それなのに普及していません。

その理由は、免震の生みの親といわれる工学博士、多田英之氏の著書『免震―地震への絶縁状―』に詳しく書かれています。

大正期、海軍技師の真島健三郎氏を中心とする「柔」の建物を推進しようとする一派と、東京大学教授の佐野利器氏を中心とする「剛」の建物を推進しようとする一派が対立し、10年の長きにわたって議論が続きました。いわゆる柔剛論争です。

この論争は最終的に、地震波の性質解明や振動解析手法が不十分だったため、「剛」の一派の勝利となります。そして「剛の思想」=「耐震工法」が法律にも取り入れられ、「柔の思想」=「免震工法」は表舞台から消え去ることになりました。この状態が現在まで続いています。

一つの状態が長く続くと、そこに既得権益が発生するものです。そこで利益を得る者が生まれ、その権利を維持しようとするのです。これらの人たちは、耐震工法に関わることで生活をしてきました。ですから、自分の利益のために権利を守ろうと必死に動きます。このような状態ですから、免震工法はなかなか世の中に出る機会がなかったのです。

多田氏は「免震について当時(大正期)語られたことは、今考えてみても全部正しかったと私は思っている。概念そのものは決して間違っていなかった」と語られています。

私も同意見で、当時に比べ現代はコンピューターも発達し、解析理論・方法も飛躍的に進歩しており、地震のデータ(地震波)も数多く取得できています。今こそ、多田氏が推奨されていた「柔」構造を、この地震大国日本における建物構造の基本にするべきだと思うのです。

最も倒壊を避けたい「総理大臣官邸」も免震構造

日本ではすっかり日陰者扱いとなってしまった免震構造。しかし、その将来性を信じて研究を続ける人も存在していました。

1960年頃からは、地震応答解析技術が一段と進歩し、実際の地震波の記録が得られるようになりました。これにより地震発生時の建物の動きが理論的、かつ、定量的に把握できるようになったようです。

また、その後も強震計やコンピューターの性能は向上し、強震観測の精度はさらにアップ。大正期に佐野利器氏が「地震のメカニズムが分からないので、とにかく耐震」といっていた理屈が通じなくなってきました。

ちなみに、加速度とは単位時間あたりの速度の変化率のことです。例えば、1秒で10m移動するものが、1秒で20m移動するまで加速すれば、加速度は10m/s2(メートル毎秒毎秒)となります。このほかにも加速度を表す単位としては、gal(ガル、1galは1秒間に1cm/s速度が増加すること)などがあります。

そして1970年代に入り、免震工法に役立つ積層ゴムが開発されました。いよいよ理論的に裏付けられた免震工法が実現可能になってきたのです。

とはいえ、前述の既得権益などの壁があり、免震工法の普及は遅々として進みませんでした。

状況を一変させたのは、1995年の阪神・淡路大震災でした。一般社団法人日本免震構造協会によると、1994年までに国内で建築された免震構造の建物は84件でした。それが阪神・淡路大震災で免震建物が倒壊を免れたことを契機に、震災の年と翌年だけで304件に増加したのです。以来、現在も年間200件前後の申請があるそうです。これは世の中の目が、やっと免震へ向き始めたということだと思います。

しかし、今のところ庁舎や病院、消防署など公共性の高い建物を中心に採用されています。住宅への普及はまだまだといえますが、採用されている建物を調べてみると、日本の中枢施設といえるところばかりということが分かります。

例えば次のような建物です。

総理大臣官邸(東京都千代田区)

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竣工:2002年4月22日

延べ床面積:約2万5000m2

階数:地上5階、地下1階

構造:鉄骨鉄筋コンクリート造

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内閣総理大臣の公的事務所であり、内閣の閣議が開催される場所です。まさに日本政治の中枢であります。

そのため、想定される大規模地震に対して建物の機能、建物内の人命、収容物の保全を図り、いかなる状況下でも官邸としての機能が十分に発揮できるよう、最高水準の耐震安全性を確保することとし、免震構造が採用されています。

■原子力発電所の重要免震棟(日本各地)

国内の各原子力発電所では、大規模地震など重大な事故の発生に備えて緊急対応の拠点となる重要免震棟の設置を進めています。

免震棟は、原子炉建物外部に放射性物質が漏えいすることも想定し、対処する所員の被ばくを可能な限り減らすよう、周囲には放射線を遮る巨大な壁なども設置されています。また、事故発生後に外部からの支援がなくても数百人が1週間程度生活できる食料や専用の電源設備、放射性物質の侵入を防止する放射線管理設備なども用意されています。

重要免震棟は、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生時(2011年3月)も十分機能する拠点となりました。同棟は新潟県中越沖地震(2007年7月)において柏崎刈羽原子力発電所が想定外の大きな揺れに襲われ、対応に支障が出た教訓から建築されたものです。

第一原発の事故当時、東京電力の社長だった清水正孝氏は、「あれ(免震棟)がなかったら、と思うとぞっとする」と国会事故調査委員会の参考人聴取で語っています。

■さいたまスーパーアリーナ(埼玉県さいたま市)

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竣工:2000年3月

延べ床面積:13万2310m2

階数:地上7階、地下1階、塔屋2階

構造:鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造+鉄筋コンクリート造)

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さいたまスーパーアリーナは、収容人数約3万6500人(スタジアムモード)を誇る巨大体育館です。国内外の大物アーティストのライブやバスケットボール、バレーボールの世界選手権など国際的なスポーツイベントなどが頻繁に行われています。

また、2011年の東日本大震災後は、福島第一原子力発電所の事故などによる避難民を受け入れる避難場所に指定されました。

つまり、同施設は単なるイベント会場としてだけではなく、非常に多くの避難民を守るシェルターとしての役割も担っています。したがって、この巨大施設の倒壊は、絶対に避けなければなりません。そのために屋根の支持部分には免震装置が設置されています。

■そのほか、役所の庁舎や病院も

このほかにも免震構造は、気仙沼市立病院、水戸市新庁舎、千葉県衛生研究所、新宿区役所本庁舎、愛媛県立中央病院診察棟、福岡赤十字病院など全国各地の絶対に倒壊してはならない重要なインフラ施設に採用されています。

その数は年々増加しており、日本免震構造協会の発表によると、2016年末までに計画された免震建築物は累計で4345棟(官庁853棟、民間3492棟)、免震戸建住宅は累計で4727棟、合計で9072棟となっています。

今のところ免震構造は、役所の庁舎や病院など公共性の高い建物を中心に増えています。さらに今後は、空調・電気・セキュリティなどの設備を自動的に制御するといった最新機能を備えたインテリジェントビルなどに対しても普及していくはずです。

特に最近注目されているのが、企業のサーバーを集中管理するデータセンターです。

昨今はますます情報化社会となっています。各企業が所有する情報は、経営上の命綱といえます。そのさまざまな情報を管理する国内のデータセンターは、総務省によると約6割が東京周辺に集中しています(2018年時点)。首都直下地震が発生し、データセンターが停止してしまえば、日本社会は大打撃を受けることになるはずです。

このような背景からデータセンターを免震化する企業が見られるようになりました。

例えば、大手総合商社の三菱商事株式会社は、2013年10月、東京都三鷹市に免震構造のデータセンターを建築しました。

同センターは、最新鋭の環境性能を備えるとして都心近郊初となる「完全外気冷房システム」などを採用し、従来型データセンターに比べ消費電力を約3割削減しています。

そして、床面積1万4000m2を超える建物の下には40個の免震装置が設置されています。この装置によって、東日本大震災クラスの大規模地震が発生しても、建物・設備に加え、屋内の精密機器への影響を最小限に抑えることができます。

谷山 惠一

株式会社ビーテクノシステム 代表取締役社長、技術士

日本大学理工学部交通工学科卒業後に石川島播磨重工業(現:株式会社IHI)入社。橋梁設計部配属。海外プロジェクト担当としてトルコ・イスタンブールの第1ボスポラス橋検査工事、第2ボスポラス橋建設工事等に参画。第1ボスポラス橋検査工事においては、弱冠28歳でプロジェクトマネジャーとして従事し、客先の高評価を得る。

その後、設計会社を設立し、海外での橋梁建設プロジェクトに参画。当時韓国最大の橋梁であった釜山の広安大橋建設工事などに、プロジェクトマネジャーとして従事。橋梁、建築物等の構造物設計・解析を専門とする。現在は橋梁設計のほか、独自の技術で一般住宅向け免震化工法「Noah System」を開発し、普及に努めている。元日本大学生産工学部非常勤講師。剣道五段。

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