「働き方改革」=「いかに安上がりに労働者を使いまくるか」構想?エコノミストが提言する“政府の野望”
2023年03月13日 10時53分幻冬舎ゴールドオンライン

貧しい人間と富める人間の差が顕著になった時代、21世紀。これからどのように働いていくべきなのか、人生にどれほどのお金が必要なのか。浜矩子氏の著書『人が働くのはお金のためか』(青春出版社)から、一部抜粋して紹介します。
安倍政権の「働き方改革」が目論んだもの
端的に言えば、2012年12月に第二次安倍政権が発足して以来、日本の21世紀の労働者たちは、「下心政治」の餌食となってきた。そうとしか思えない。
そして、これからフォーカスしようとしている3つの労働キーワードにも、この状況が大いに影響を及ぼしているのである。筆者は、故安倍晋三元首相が掲げた「アベノミクス」を「アホノミクス」と名づけ変えた。故人に対して礼を失するかと少々気が引けながらも、この言葉を使わせて頂きたい。お許し頂ければと思う。
安倍氏の後任者、菅義偉前首相の経済運営を「スカノミクス」と命名した。中身スカスカのイメージもあるが、「スカ」には「はずれくじ」の意味もある。こんな「スカ」をつかまされたのでは堪らない。その思いも込めた。
現岸田文雄首相の経済運営は「アホダノミクス」にした。岸田氏が掲げる「成長と分配の好循環」というフレーズが、アホノミクスの丸パクリだからだ。岸田さんは「困った時のアホ頼み」だというイメージも込めた。
スカノミクスもアホダノミクスも、要は、アホノミクスの二番煎じ、三番煎じだ。働く人々との向き合い方も、アホノミクスが敷いたレールの上を今なお滑り続けている。このレールが敷設されたのは、アホノミクスの大将の政権が発足して間もない時のことだった。
「低労働コスト国」追求路線のレール
2013年1月に開幕した通常国会冒頭の施政方針演説において、アホノミクスの大将は、「世界で一番、企業が活躍しやすい国を目指します」と宣言した。企業が活躍しやすい国とは、どんな国か。様々なとらえ方が有り得る。
だが、ことアホノミクスに関して言えば、それは間違いなく「労働コストが低い国」を意味していた。なぜそう考えられるのかをここで立ち入って申し上げていると長くなるので、それは割愛する。ご関心の向きは、恐縮ながら他の拙著でご確認頂ければ幸いだ(『どアホノミクスの断末魔』2017年、『窒息死に向かう日本経済』2018年、いずれも角川新書)。
アホノミクスの大将による「低労働コスト国」追求路線のレール上に、次に出てきたのが、例の「働き方改革」という構想だった。
2018年7月には「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」(通称「働き方改革関連法」)が公布され、順次施行に入っている(筆者としては「施行に入ってしまった」と言いたいところだ)。
「働き方改革」=「働かせ方・超お買い得化」構想
「働き方改革」構想は、実を言えば「働き方改革」構想ではない。その正体は、「働かせ方・超お買い得化」構想だ。いかに安上がりに、いかに効率的に、21世紀の労働者たちを使いまくるか。そこに焦点を置いたのが、この構想である。
この構想が実現しようとしているのは、21世紀の労働者たちの生産性を引き上げ、そのことによって経済の高成長に結びつけていくことだ。働く人々のための「働き方改革」ではない。
チームアホノミクスの「働き方改革」は、人と幸せをつなぎとめる蝶番としての労働の有り方とはまるで無関係だ。それどころか、「働かせ方」を変更することによって、彼らは、日本企業が「世界で一番」労働コストという名の制約から解放されることを目指している。
労働者を保護するための法制度の遵守責任から「世界で一番」解き放たれた状態で、日本企業が収益と効率を追求する。そして、そのことが、強くて大きな日本経済の構築につながっていく。強くて大きな経済基盤の上に、強くて大きな、21世紀版・大日本帝国を築き上げていく。
これがアホノミクスの大将の政治的下心だ。彼のこの野望が今なお毒々しく息づいていることは、与党の政治家たちが、ロシアによるウクライナ侵攻を盾に取って、日本の軍備増強と憲法改正を正当づけようと鼻息を荒くしているその様相に、如実に表れている。

このような下心政治が渦巻く中で出現してきた「働き方改革」体制が、その目玉商品としているのが、「柔軟で多様な働き方」の推奨である。
働き方改革関連法については、同一労働同一賃金と、長時間労働の是正の実現を打ち出したところに、その画期的な特性があると受け止められがちだ。そのような理解の浸透に向かって、政治的なプロモーションが盛んに行われてきた。
メディアが、このプロモーションに踊らされてきた。だが、実のところ、同一労働同一賃金と長時間労働の是正は、チームアホノミクスによる「働き方改革」の当初の構想の中には入っていなかった。
「働き方改革」の当初構想は、「柔軟で多様な働き方」を浸透させていくことがその一本柱だったのである。同一労働同一賃金と長時間労働の是正は、有り体に言えば、体裁を整えて通りをよくするために付け加えられた、側面支援的つっかえ棒に過ぎなかった。
「働き方改革」への労組の賛同を取りつけるための、取引材料だった面もある。これらの点についても、前掲の各拙著でご確認頂ければ幸いだ。
彼らが打ち出した「柔軟で多様な働き方」は、何を意味していたか。それがまさしく、本書でこれから見ていこうとしている就労形態、すなわちフリーランス化であり、人々のギグワーカー化だ。
そして、その延長上にあるのは、人々のプレカリアートへの転落の恐れだ。このカラクリの解明を含めて、21世紀の日本の労働者が、どのような働く日常に当面しているかについて、順次見ていくこととしたい。
※「不安定な」と「プロレタリアート」(労働者階級)を組み合わせた語で、1990年代以後に急増した不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者の総体。
浜 矩子
同志社大学大学院ビジネス研究科教授
エコノミスト
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