「社長が言ったんだから、社長の責任」…その後、社長の勇断により「指示待ち社員」が激変、始まった会社の“快進撃”
2023年08月01日 09時10分THE GOLD ONLINE

トップダウン経営のメリットは、意思決定を迅速に行うことができる点です。しかし、会社の規模が大きくなるにつれて、社長の指示がなければ動けない「指示待ち社員」が増えてしまいます。このような状況に陥った際、どのような取り組みを行う必要があるのでしょうか。本記事では、『賃金が上がる! 指示ゼロ経営』(内外出版社)の著者である米澤晋也氏が、「指示待ち社員」を自律した社員に変える方法について、同書より一部抜粋・編集してお届けします。
株式会社ザカモアの「愉しさが付加価値を生む経営」
1社目の事例は、福井県坂井市で靴のインターネット販売を手掛ける「株式会社ザカモア」(西村拓朗社長)です。同社の事例からは、愉しく仕事をする風土から創造性が生まれ、付加価値をつくり出すこと、指示ゼロ経営は「動的」で、環境変化に合わせ、常に変化する経営であることが学べます。
同社にお邪魔すると、「ここは音楽スタジオか?」と勘違いするほどのスタイリッシュな社屋に、軽快なBGMと若い社員さんの元気な声が飛び交っています。そして、誰もが気になるであろうことは、仲間を「トニー」「リリー」「ケイト」と、ニックネーム(同社では、イングリッシュネームと呼んでいる)で呼び合っていることです。社長の西村拓朗さんは「トニー」と呼ばれています。
2022年8月、私は西村社長から電話で驚くべき報告を受けました。なんと、社員数15名ほどの会社で、大企業の平均賞与額を上回る賞与を支給したというのです。電話の趣旨は賞与額の報告ではありませんでした。その時に、ある課題を抱えていて、その相談の電話だったのです。
決して、経営に行き詰まっていたわけではなく、さらなる成長に向けた、いわば「成長痛」を抱えていたのです。私は、どこまで進化するのかと、背筋がゾクゾクしました。
同社は西村社長の曽祖父が創業しました。いわゆる街の靴屋さんです。西村社長は、大学在学中、休学をして実家に戻り、靴のインターネット販売を始めました。大学卒業後、2012年に代表取締役に就任し、「感動をつくる!」という経営理念を掲げ、社名を「株式会社ザカモア」に変更しました。
家業から企業へ転換するため、最初はトップダウン経営を実施しました。西村社長のリーダシップにより、破竹の勢いで成長を続けました。
しかし、会社の規模が大きくなるにつれ、トップダウン経営の弊害が露呈します。2019年、ついに社長就任依頼、初めての赤字を出してしまいました。2020年1月に、西村社長は自律型組織への転換を決意し、社員さんに伝えました。
「今日は、最後のトップダウンの意思決定をさせてもらいます。それは、トップダウン経営をやめるという意思決定です」
その言葉を聞いた社員さんは、キョトンとした顔をしていたそうです。
トップダウン経営廃止に至った経緯
トップダウン経営だった頃には、意思決定は社長、実行は社員、という構図で仕事を進めていました。社員さんは、仕事の進捗を逐一、社長に報告し、チェックを入れてもらい、次の指示を受けます。社員さんには、社長の決定に反論する余地はなく、気付けば、ハイしか言えない社風ができ上がっていたと言います。
社員さんは自分で意思決定をしたくても、業務全体が見えていないので、どう決めるのが最適なのかが分かりません。その場で決めれば済むことも、すべて社長に相談が上がります。社長のもとには、すべての報告が上がってくるので、当然、忙しくなります。指示を出すのが遅れ、仕事が滞り、お客様に迷惑をかけることが増えました。
社員さんは、頑張っているのにお客様から怒られ、ヤル気を失っていったそうです。社員さんの成長にも悪影響が出ます。仕事が上手くいかない時には、社員さんは「社長が言ったんだから、社長の責任」と考え、自らを省みなくなっていきました。
自らの意思で行動しない人を動かすためには、「アメとムチの使い分け」が必要になります。同社では、相対評価を取り入れ、社員同士を競わせました。しかし、それが原因で部分最適に陥り、チーム機能は低下する一方でした。
西村社長は、当時を振り返り「孤独だった」と語りました。自分の思うように動いてくれない社員を見て、「ついて来られないなら辞めてもらってもいい」と虚勢を張りましたが、その言葉通り、離職が相次いだそうです。孤独のどん底に落ちた西村社長は、背水の陣の覚悟でトップダウン廃止宣言を行ったのです。
株式会社ザカモアが行った「愉しい会社」になるための改革
同社は自律型組織への移行として、環境を変えることから着手しました。人の思考や行動は、環境によって決まるからです。具体的には3つの取り組みを行いました。
1.役職廃止
部長、課長といった役職はすべて廃止しました。上下関係を一切つくりたくないという、西村社長の決意の表れです。当時、役職についていた方は抵抗があったそうですが、西村社長の丁寧な説明により、納得してもらえたと言います。
2.相対評価の廃止
相対評価は部分最適の最たる原因です。相対評価が廃止されたとなれば、全員が持てる力を発揮できるチームワークをつくる以外に道はありません。
3.イングリッシュネームの導入
イングリッシュネームで呼び合う効果はすぐに表れたと言います。社長を含むメンバー全員がフラットな関係になり、自由に発言できる雰囲気が醸成されました。
環境を変えたタイミングで、西村社長は、社員との対話を始めました。西村社長+5人というスタイルで、繰り返し行いました。「人生の目的は何か?」というテーマに基づき、自分のありたい姿を語り合う、「親友プロセス」を行いました。しかし、最初の頃は、なかなか社員さんが積極的に語ってくれず、じれったい思いをしたそうです。
「よく続けられましたね」とお聞きしたところ、西村社長は、少し考えた後にこう答えました。
「もともと金儲けがしたくて社長になったわけではないんです。“愉しい会社”をつくりたかったんです。メンバー一人ひとりが自分の個性を発揮し、自由でありながら、互いの能力の凸凹を補い合える、感動あふれるチームをつくりたかった。愉しくないのに業績が上がっても、僕には意味がないんです。この思いが強く、そんな会社をつくるためには、この対話をやめてはいけないと思ったんです」
根気よく対話を続けたことで、西村社長の思いが伝わり、社員さんは自分の人生について真剣に考えるようになりました。人生を真剣に考えると、人生を支える仕事についての捉え方も変わります。
「人生の目的を達成するためには、会社はどうあるべきか?」というテーマで語り合う「統合プロセス」に進みます。「感動をつくる、とはどういうことか?」「感動をつくるために、自分たちはどうあるべきか?」と真剣な対話を重ねました。「親友プロセス」と「統合プロセス」に、実に3年間もかけたのです。
指示待ちだった社員が心から仕事を楽しむように
変容した同社は快進撃を始めます。トップダウン経営の時代では、西村社長に相談していた、ほぼすべてを現場の社員さんが決め、実行するようになりました。
例えば、インターネットで靴を販売すると、サイズが合わず、返品が発生することがあります。通常だと、お客様から返品されたのを確認してから新しいサイズの靴を送ります。同社では、社員さんのアイデアで、最初に新しいサイズの靴を送り、交換で返品の靴を受け取るという方法を開発しました。
万引のリスクが伴いますが、「まずはやってみて、不具合があれば、後で改善しよう」と、この方法を進めました。 自発的な取り組みは、3人ほどのチームでPDSを回し進めますので、自然とメンバー間のコミュニケーションが活性化します。
協働する中で、仲間から「心のごちそう」をもらうことも多くなりました。お客様からは、販売サイトのレビューに最高点をつけてくれたり、喜びのコメントを入れてくれたりと、たくさんの「心のごちそう」をいただけるようになりました。
4年前までは、指示待ちだった社員さんが、今では、「やってみたいことを、成功するまでできる」と、心から仕事を愉しんでいます。
米澤 晋也
株式会社Tao and Knowledge代表
株式会社たくらみ屋代表
一般社団法人夢新聞協会理事長
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