日本が誇る俳句そして民謡の高い芸術性 「秩父音頭」の撰者となって亡き金子兜太氏の偉業を振り返る

 「秩父音頭」というものの撰者をしています。

 正確には、「歌詞と囃しことばを募集して特撰と秀作を選ぶ」という仕事です。急逝された金子兜太さんから引き継ぎました。

 「秩父音頭」と呼ばれますが、もとは「皆野盆歌」という俗謡です。

 歌詞は半即興的、卑猥なものが多く、テレビもラジオもなかった時代、人々が車座になって酒を酌み交わしながら、歌い踊った民衆の楽しみ、夏の盆踊りは、その日だけは無礼講、と若い人たちの出会いの夜にもなっていました。

 これを、今日のように小学校で教える地元の「民謡」にブラッシュアップする最初のキッカケは、地元皆野の医師、壺春堂を経営していた金子元春氏が作りました。

 伊昔紅(いせっこう、と読みます。我も昔は紅顔の美少年という意味です)と号した金子元春氏は、独協中学で水原秋櫻子と同級生という俳人でもありました。

 その金子伊昔紅元春の長男が、金子兜太さんにほかなりません。

「何が太いか?」と中国騒然!?

 金子兜太さんが初めて中国を訪問されたときのこと、出迎える側の人たちが騒然としていたそうです。

 なぜかというと、「金」「子」また特に「兜」の文字、どれも男性のシンボルを想起させるのだそうで、さらに最後が「太」 いったいどういう人物が来るのやら・・・という出迎えであった。

 本当か、やや創作が入っているか分かりません。しかし、これは金子兜太さんが、埼玉県の教職員ばかり500人ほど集まる場に招かれた講演の最初に話された逸話です(それは間違いありません)。

 当然ながら座はドッと沸き、堅苦しい雰囲気は全くなくなって、実に良い会になったそうです。

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