財前直見、ひとり息子と大分移住。子育で、決めていた2つのこと

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1984年、18歳のときにキャンペーンガールに選ばれて芸能界デビューした財前直見さん。その翌年に『婦警候補生物語』(日本テレビ系)でドラマに初出演して以降、数多くのドラマに主演・レギュラー出演し、今年芸能生活35周年を迎えた。

2007年から長男とともに大分市の実家へ戻り、仕事の度に上京する生活に。2016年には5月から9月までのわずか4カ月で「終活ライフケアプランナー」をはじめ六つもの資格を取得した財前さんにインタビュー。

デビュー時

◆キャンペーンガールに抜てき

−お父様は、最初は芸能界デビューに反対されていたそうですね−

「やっぱり寂しいという思いがあったでしょうね。父には『親を捨て、故郷を捨てて出て行くのか』って言われました。

姉がいるんですけど、姉は先に家を出たので、私は実家にいるものだと自分でも思っていたんですよね。まさか東京に行くことになるとは思っていなかったのですが、事務所も今の事務所にすぐに決まりました」

−ご両親はどうだったんですか−

「当時は芸能界って怖い世界という印象があったみたいで…。でも、やってダメだったらあきらめがつくけど、やらないであきらめさせられたりすると、ずっと後悔が残るだろうと。最後は『やってみなさい』と言ってくれました。

私も反対されたまま上京するのは嫌だったので、良かったです。応援してくれたら気持ちよく行けますよね。『そのかわり迷惑はかけません』と言って上京しました」

−それでキャンペーンガールとして注目を集めて、すぐにドラマに主演もされたわけですが、いかがでした?−

「今でこそうちの事務所は俳優や女優が多いですけど、その当時は歌の事務所だったので、女優として入ったのは私が初めてだったんですよ。

だからオーディションがあったら受けて…という感じで、自分でつなげていかないと次の仕事にいけなかったので、そういう点でいうと、いい苦労をさせてもらったなぁと思います。それがご縁で今でもたまに呼んでいただいたりとかしているので」

※財前直見プロフィル
1966年1月10日生まれ。大分県出身。1984年、芸能界デビュー。ドラマ『お水の花道』(フジテレビ系)、『ごちそうさん』(NHK)、映画『愛唄−約束のナクヒト−』(2019年)など映画、テレビに多数出演。

「終活ライフケアプランナー」をはじめ、六つの資格を取得。4月18日(木)『自分で作る ありがとうファイル』(光文社)を出版予定。映画『居眠り磐音』(5月17日)、映画『劇場版 ファイナルファンタジー XIV 光のお父さん』(6月21日)の公開、連続テレビ小説『スカーレット』(NHK)出演も決定している。

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◆「田舎に帰れ!」と罵倒され女優に目覚める

デビュー後、主演・レギュラードラマが次々と放送され、早くから人気女優として知られる存在となった財前さんだが、将来の目標が揺らいでいる時期があった…。そんなとき、彼女に女優スイッチが入る出来事が…。

「20歳位のとき、マネジャーに『お前辞めて田舎に帰れ!』って言われたことがあるんですよ。キャンペーンガールをやっていた需要と、今度は女優としての需要の間ですね。『もう田舎に帰れ』って言われたことが私のスイッチを押してくれて、『私は覚悟を決めて女優をやります!』って。

それまではグラビアやリポーターの仕事が多かったんですけど、これからは女優、お芝居を重点的にやっていくという覚悟がそこでできました」

−マネジャーの方はそれを計算して言われたのでしょうか−

「どうでしょうね。ただ、マネジャーにとって私は感情がわかりづらい子だったみたいです。わりと素直に『はい。はい』と言う子だったので、自分から『これがしたい、あれがしたい』という感じではなく、内に秘めているものはあるんですけど、伝えるということを知らなかったんですよね。

言われたことは真面目にやるんですけど、本当にこの子はやる気があるのかと思っていたかもしれません。本心がわからないという感じで」

−そういう意味では、まだ20歳ぐらいのときにやる気スイッチが入って良かったですよね。主演作も続きましたし−

「そうですね。それからはわりと順調に階段を上っていったという感じがします。

大分にはそんなに帰らなかったと思います。両親は引っ越しがあったりするときには必ず手伝いに来てくれたり、田舎で作った食材を送ってくれたりして応援してくれていました。とにかくがむしゃらに仕事をしていました。楽しかったですからね」

−印象的な作品もたくさんありますね。『お水の花道』も時代を象徴していましたしね−

「バブルでしたからね。あれだけ遊ばせてもらえるドラマはそうはなかったので(笑)。楽しかったですね」

−バブルのかおりが漂ってくる感じでした。バブルを直接肌で感じたというのはありました?−

「そうですね。バブルを感じるっていうと、タクシーがつかまらないとかありましたけどね。でも、まぁドラマとかもすぐ宅送(タクシーチケット)が出たとか、そういうのはありましたね」

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◆一人息子とともに実家のある大分に移住

2006年に長男を出産した財前さんは、2007年、長男とともに大分市の実家へ戻り、仕事の度に上京する生活を始める。かねて一人息子を自分が育った環境で育てたいと思っていたという。

−大分への移住はかなり勇気ある決断だったと思いますが−

「私は40歳で子どもを産んだんですけど、それまで十分といっていいくらい、女優業を楽しんだんですよ。それで今度は子育てを楽しもうと思って、子どもをつくるための休暇から育てるまで、5年間ぐらいほとんど仕事をしなかったんです。

子どもが4歳になったときにレギュラーのドラマを始めたんですけれども、それまでの4、5年は、もうずっと子育てをしていて楽しかったです」

−それは財前さんがこの期間は、子育てに専念したいからと事務所に話されて決めたのですか−

「そうですね。自分のなかで決めていたのは完全母乳と、3歳までは『三つ子の魂百まで』という言葉があるように、愛情豊かに育てたいという希望があって、それはかないました(笑)。

ドラマのお仕事ももちろん楽しいんですけれども、やっぱり息子のことを守れるのは自分しかいないというような思いもありましたね。せっかく授かった命なので、後悔したくなかった。ほんとに手塩にかけて育てたかったんですよね」

−テレビで拝見しましたけれども、とても素直で利発そうなイケメン君ですね−

「ありがとうございます。今12歳なんですけど、1番精神的に大人なんですよ。よくしかられると言ったらなんですけど、『あなたのおっしゃる通りです』みたいな、そういうところがよくあって(笑)。

的を射たことを言われちゃうんですよね。子どもはいろんなことを純粋な目で見ているから、色々と教えられることがあります」

−クールでしっかりしているという感じがしました−

「クールですよ(笑)。もうサンタさんも信じてないし。親だというのがわかっているんですよ。それでサプライズで『ほら、サンタさんが来たよ』なんてやると、『知らないおじさんからもらってもうれしくもなんともない』って言って、『不法侵入、不法投棄だ』って言うんですよ(笑)。『確かに』って」

−不法投棄、不法侵入とはすごいですね。実家のご両親もビックリされていたのでは?−

「この1本取られ方がすごくて(笑)。うちの両親も、やっと跡継ぎができて、男の子だし財前家を継いでくれる子だって言って、家紋の置物を買ったんですよ、屋久杉の。それが私たちが思っていた以上に大きくて、それを見た瞬間、息子が『こんな高いものを買うお金があるんだったら、困っている人に寄付してあげたらいいでしょう』って言ったんですよ。もうみんな『ごもっともです』って言いました(笑)」

−すごいですね。ご自分の立てた計画通りに4歳ぐらいまでは子育てに専念して、それからまた本格的にお仕事をされて。今はお仕事の度に大分から東京へという生活ですか−

「そうです。逆にオンとオフがはっきりしています。東京にいるときは女優、そして実家にいるとお母さんという感じなので、全然普通にやっていますね」

−お仕事をされていることに関して息子さんは何か言ったりします?−

「見てはくれていますね。でも、やっぱり化粧して帰ってくると嫌がります。『誰?』って(笑)。普段はほとんど化粧をしないので」

息子さんのお話をするときはひときわ優しい表情になる。次回後編では大分での生活、六つの資格を取得した理由、未来の幸せのための終活を紹介。(津島令子)

※『自分で作る ありがとうファイル』4月18日(木)発売予定
光文社刊 財前直見著

※財前直見インスタグラム公式アカウント

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