『月がきれい』12話 驚きの最終回。アニメならでは描き切った中学生のリアル、この作品こそが「きれい」

『月がきれい』12話 驚きの最終回。アニメならでは描き切った中学生のリアル、この作品こそが「きれい」

『月がきれい』公式サイトより

――深夜にたくさんの視聴者を悶えさせてきた“恋テロ”アニメ>『月がきれい』(TOKYO MX)もついに最終回。地味アニメ好きのライター・大山くまおが全話レビュー中。フライングドッグ南健プロデューサーへのインタビューもあわせてどうぞ(http://otapol.jp/2017/04/post-10440_entry.html)。


■恋愛の意志を描いたアニメ

 Aパートの主人公は、意外にも千夏(演:村川絵梨)だった。風に吹かれながら、思いきって小太郎(演:千葉翔也)に告白するときの正面からのカットに、千夏へのスタッフの愛情を感じる。

 しかし、千夏が告白したのは、小太郎が茜(演:小原好美)とキスをした思い出の氷川橋。それに飛び込んでいって顔を埋めた先には、茜の手編みのマフラーが。いわば、茜の結界に阻まれたような格好だった。フラれた千夏はさわやかにフレームアウトする。たぶん、同じ高校に行っても、話しかけたりしないんじゃないだろうか。

 Bパートでは、小太郎と茜の「別れ」が描かれる。茜は引っ越しのために千葉へ去ってしまう。「今までと変わらない」と強調する小太郎だが、茜の心は揺れ動く。小太郎が千夏に告白されたことも知っている。中3少女の心は飛び石のように不安定で、川面のようにゆらめく。

「小太郎くんに迷惑ばっかり……それが一番辛い……。どうしたらいいの……」

 涙を流し、嗚咽しながら茜は小太郎にキスをして走り去ってしまう。残された小太郎にはどうすることもできなかった。

 その後、ネットに投稿した小説がきっかけで茜が小太郎の本心に気づくという筋立ては、やや慌ただしかった感がある。そして引っ越し当日。電車に乗って川越を去る茜。茜のコメントに気づき、走りはじめる小太郎。

 LINEに頼らずに行動に移したのは、太宰治の「少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う」という言葉を全うしたということだろう。恋愛は意志の力で成就するし、継続する。『月がきれい』はそんなわりと当たり前のことを当たり前に描いた作品だった。


■驚きと涙のエンディング

「好きな人が自分を好きになってくれるなんて」
「奇跡だと思った」

 小太郎と茜のモノローグから、「それから」とタイトルクレジットが出る。最終回のクライマックスはまさにここからだった。

 これまで11回にわたってエンディングで映し出されていた小太郎と茜のLINEの会話が時系列順に並び替えられ、さらにシチュエーションを表したイラストともに次々と現れたのだ。高校時代の他愛ない会話、実家でのデート、大学に進学した後のすれ違い、はじめての2人の旅行、就職、結婚前夜――。

 ラストカットは川越まつりで両家の両親に囲まれた小太郎と茜の姿だった。茜は2人の赤ちゃんを抱いている。3人が指にしている赤い水引は、川越氷川神社の「結い紐」だ。

「縁結びの神さま」として知られる川越氷川神社のウェブサイトによると、人と人がただ出会うだけでなく、そのめぐりあいから「新しい何か」が生まれることを「むすび」というらしい。同じクラスになり、一瞬のふれあいと直感から意志によって恋愛を紡いできた2人は、それだけで常に何かを生み出してきたということになる。

 LINEの会話が小太郎と茜のものだとわからなかった人にとっては、驚きの仕掛けだったと思うし、2人のものだと確信していた人にとっても、意外性あふれる感動的なエンディングだった。なんでだか泣けてきちゃうよね、あのラスト。


■最後までとても心地よかった『月がきれい』

『月がきれい』は最後まで非常に心地良いアニメだった。タイトルどおり「きれい」な作品と言い換えることもできるだろう。

 中学生たちの群像の部分はCパートに割り振り、本編は主人公2人に焦点を絞りきったのが勝因の一つ。1年を12話で語るという駆け足感もほとんどなく、過不足なくじっくり描くことができた。説明セリフに頼らず、それでも説明不足に陥ることなく、ドラマを作ることができたのも2人に絞ったからだ。

 小太郎と茜がとても素直で屈託のない(特に小太郎は意外なほど屈託がなかった)少年少女だったことも、2人の恋模様をほのぼのと(たまに唸りながら)見守ることができた要因だと思う。また、周囲にも悪意を持った人間がまったく登場しなかったことで、視聴していてもネガティブな感情に陥ることなく、さわやかな印象を最後までキープできた。現在放送されている朝のNHK連続テレビ小説『ひよっこ』とも似た感覚だった。

 作画に関しては一部で若干残念な部分があったにせよ、なんとか破綻することなく乗り切った。特に最終回はかなり盛り返していたと思う。プレスコ(声優の芝居を先に録音する手法)も功を奏し、吐息や短い言葉を中心に非常に細かな芝居が組み立てられていた。背景の美しさ、精緻さは昨今のアニメ随一だったのではないだろうか。


■『月がきれい』はアニメならではの作品

『月がきれい』は良いアニメであり、良いドラマだった。良いアニメは多いけど、同時に良いドラマであることはなかなか難しい。そして、『月がきれい』はアニメならではの企画であり、アニメじゃないと成立しなかった企画だったと思う。

 川越はとても良い街だけど、普通に実写で撮ったってあんなにきれいには映らない。新河岸川の桜並木に始まり、蔵造りの街並み、菓子屋横丁、川越氷川神社の「縁結び風鈴」、川越まつり……。いずれもリアルなだけではなく、アニメならではの美しさに彩られていた。

 また、筆者はテレビドラマや実写映画もチェックしているが、「地方都市を舞台に、中学生男女の恋愛を丹念に描く」なんて企画は見たことがない。テレビドラマで恋愛ものならOLさんが主人公だし、実写映画なら高校生ぐらいのハイティーンが主役のものが多い。演じる役者の年齢層やマーケティングのデータなどから、こういう結果が生まれるのだろう。

 以前、『月がきれい』の企画を発案したフライングドッグの南健プロデューサーにインタビューした際、「アニメで『中学生日記』をやる」とコンセプトを明かしてもらったが、そもそも現在では『中学生日記』のような実写ドラマはもう見ることがない(2012年に終了している)。

 でも、アニメなら『月がきれい』のような企画も通すことができるし、多くの人のハートを掴むことだってできる。同じような作品が多いと嘆かれがちな最近のアニメだけど、まだまだこうやってチャレンジができる。だから、この作品にはすごく風通しの良さを感じた。魔法もメカも幼女もハーレムも無敵の主人公も登場しなかったけど、これからのアニメの可能性を感じさせた最高のアニメだったと思う。

(文/大山くまお)

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