いっぺん、死んでみる?『地獄少女 宵伽』放送前にシリーズ過去4作を振り返る

いっぺん、死んでみる?『地獄少女 宵伽』放送前にシリーズ過去4作を振り返る

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2017年7月、テレビアニメ『地獄少女』の新シリーズが放送される運びとなりました。題して『地獄少女 宵伽』。新作6話と、過去の作品6話が放送されるそうです。放送局と放送日は以下の通り(正確には番組公式サイトやテレビ局のホームページでご確認ください)。

東京メトロポリタンテレビジョン 金曜24時
とちぎテレビ 金曜24時
群馬テレビ 金曜24時
日本BS放送 金曜24時
毎日放送 金曜26時55分

 本稿では、今までの『地獄少女』シリーズを振り返り、『地獄少女』という作品が何を描いてきたのか見ていきたいと思います。尚、本稿は過去の『地獄少女』シリーズについてのネタバレを含んでいますのでご注意ください。

 過去の『地獄少女』シリーズは以下の通り。
テレビアニメ第1作『地獄少女』2005年10月〜2006年4月放送
テレビアニメ第2作『地獄少女 二籠』2006年10月〜2007年4月放送
テレビドラマ『地獄少女』2006年11月〜2007年1月放送
テレビアニメ第3作『地獄少女 三鼎』2008年10月〜2009年4月放送

 『地獄少女』のあらすじは、他人に恨みを抱く者が、地獄少女と呼ばれる謎の主人公・閻魔あい(声・能登麻美子)に依頼すると、閻魔あいが恨みの相手を地獄に送ってくれる、というストーリーです。
 『地獄少女』第1作の時点では、このあらすじに3つの要素がありました。

 1つ目は、弱者が悪人に対して怨みを晴らすという、復讐の要素です。本作の冒頭に登場する「晴らせぬ恨みを晴らし云々」というナレーションは、『必殺仕掛人』の冒頭に登場するナレーションとそっくりです。また本作の冒頭に登場キャラクターの顔が白黒で登場するのも必殺シリーズの冒頭にそっくりです。

 本作に登場する悪人は、いかにも子供番組に出てきそうな分かり易い悪役キャラクターが多く、弱者を虐げる悪人を地獄に流すというストーリーは、『水戸黄門』的な勧善懲悪ものと言うことができます。そして悪人は、閻魔あいとその仲間からまるでコントのようなお仕置きを受けるのです。このお仕置きの場面は強烈であり、毎回の見せ場となっていました。
 しかし一方で、必ずしも勧善懲悪と言い切れない回もありました。第14話「袋小路の向こう」では地獄に流されたのは悪人ではありませんでしたし、第19話「花嫁人形」では悪人は地獄に流されたものの弱者が救われることはありませんでした。

 2つ目の要素は、いかにも子供番組的な教訓話の要素です。前述のように毎回、悪人が強烈なお仕置きを受けるので、悪いことをすると報いがあるという教訓話を伝える典型的な子供番組であるかのような印象も与えています。仏教的な因果応報を描いていると言うこともできるでしょう。

 3つの要素ですが、本作の本来のテーマは、実は上記の2点ではなく、この点にあると筆者は見ています。
 そこで重要なのが、閻魔あいが毎回、依頼人に対して必ず口にする「人を呪わば穴二つ」という諺であす。閻魔あい曰く依頼人は死後、浄土には行けず、永遠に地獄をさまようことになるそうです。これを聞いた依頼人は地獄を想像するのですが、そのイメージ映像は強烈でした。本作は弱者が悪人を地獄に流すという行為を好意的に描いている訳ではありません。具体例を見てみましょう。

 例えば第10話「トモダチ」。クラスメイトから苛めを受けた登場人物は、閻魔あいの力を借り、苛めっ子を地獄に流そうとするが、呪いの力を借りずとも苛めっ子との和解に至ります。だが、ふとした拍子から呪いが発動し、苛めっ子は地獄に流されてしまうのでした。この事態に直面した、苛められていた側の人物は「私のせいじゃない」と言い訳するのですが、閻魔あいは「あなたのせいよ」と冷たく言い放つのでした。

 ではなぜ閻魔あいが、恨まれる者を地獄に送っているかというと、それは四百年前に原因がありました。実は、閻魔あいは元々(四百年前)は人間だったのですが、村人から迫害を受け、生贄として生き埋めにされてしまいます。あいと仲が良く、村人の迫害からあいを守ると約束した少年・仙太郎までもが、村人から強制されてあいの生き埋めに加わってしまった為、あいは強い恨みの感情を抱き、村を炎上させてしまうのでした。
強い恨みの感情を抱いたが為にあいは成仏できず、何百年にも亘って、恨まれる者を地獄に送るという仕事をする宿命を背負わされたのでした。つまり本作は他人を恨むという行為が如何に恐ろしい行為であるかを描くのがテーマと言えるでしょう。

 テレビドラマ『地獄少女』の最終回でも、喫茶店のマスターが真実を知って味わった絶望感によって、他人を恨むという行為の不毛さを描いていました。
 『地獄少女』第1作の最終回は、四百年前に仙太郎があいの生き埋めに荷担したことを後悔していた、とあいが知り、過去と決別したところで幕を閉じます。  
このように本作は、他人を恨むことの不毛さや恐ろしさを訴えていたのです。そしてこのテーマは、アニメ第3作の『地獄少女 三鼎』で再び描かれることになります。

 尚、BPO(放送倫理・番組向上機構)ホームページで「2006年10月に視聴者から寄せられた意見」というページを見ると、『地獄少女 二籠』に対して
「「黒い掲示板に嫌な奴の名前を書き込むと死ぬ」という常識的には考えられないアニメ」
という苦情が寄せられていますが、『地獄少女』シリーズ全体を見れば、嫌な奴を地獄に送って満足するだけの単純な番組ではない、と指摘できます。

 続いてアニメ第2作『地獄少女 二籠』 を見ていきましょう。本作の終盤は住宅地が舞台となります。住民は紅林拓真(声・藤村歩)という少年のことを殺人犯ではないかと疑いますが、第24話「連鎖」の時点では、多くの住民が、拓真は殺人犯ではないと気付いていました。しかし拓真が殺人犯扱いされていることを利用し、殺人を全て拓真のせいにして住民は次から次へと嫌いな相手を呪い殺すのでした。集団的な狂気に背筋が凍りつきそうです。

 更に第25話「彷徨」で住民(声・大塚周夫ら)は遂に拓真を殺そうとします。『地獄少女』第1作で描かれた、四百年前に人間だった頃の閻魔あいが生き埋めにされたエピソードと、現代の住宅地のエピソードがオーバーラップしていると言えます。

 そして第26話(最終回)「あいぞめ」で閻魔あいは、自身が人間だった頃(四百年前)に村人から受けた迫害と、現代の住宅地の住民に迫害されている拓真を重ね合わせ、拓真を助けようとします。閻魔あいはいつも無表情ですが、初めて感情を露わにするところを見た思いです。閻魔あいは、四百年前の自分と同じ境遇にある少年を助けることで、成仏できたのでした……と言いたいところですが、閻魔あいが成仏したら番組が終わっちゃうのが、この番組の悲しいところです。
(余談ですが、『艦隊これくしょん』にも同じことが言えます。劇場版『艦これ』で最終的な目的が明らかにされましたが、目的を達成したら『艦これ』という作品が終わってしまうのです)

 アニメ第3作『地獄少女 三鼎』は、御景ゆずき(声・佐藤聡美)という少女が物語の鍵を握ることになります。第14話「怨みの街角」ではゆずきが、世の中の人々が恨み、そねみ、ねたみを抱いていることに絶望する描写があり、第1作が持っていたメッセージ性が取り戻されました。
 更に第16話「誘惑の罠」でも恨みの不毛さを表すという第1作のテーマが復活します。AがBを呪って地獄に送り、更にBの関係者CがAを呪って地獄に送るという恨みの連鎖が繰り広げられるのです。「恨みは恨みによって止まず」という仏教の教えが描かれていると言えます。

 ところで『水戸黄門』では黄門様が仇討を手助けするエピソードが何回も登場していますが、AがBを殺し、Bの関係者CがAに仇討しようとした時に、たまに黄門様が「今度はAの関係者DがCに仇討する」と言って仇討をやめさせる回もありました。本作において呪いを止めようとする役どころのゆずきは、どうやって人々の心から恨みを取り除くのか、という点が見所となりました。
 第19話「雪月花」で閻魔あいはゆずきに対し「あなたは地獄少女になるさだめにある」と告げます。地獄少女は、他人に対して強烈な恨みを抱いた業(カルマ)によってなるもののようですが、一体ゆずきにはどんな業があるのでしょうか?ストーリーの謎は深まっていきます。

 第20話「地獄博士 対 地獄少女」では地獄を探る数学者・溝呂木省吾(声・岸野一彦)が、今まで呪い殺された人の中には誤解や逆恨みによって呪い殺された人もいたと指摘。この点については閻魔あいも、平静を装いつつも、心を痛めていたようです。
第25話「ゆずき」はゆずきの少女時代のエピソード。ゆずきは周囲のありとあらゆる者達から迫害を受け、心に深い傷を負っていたのでした。そして呪いは必要であるとの結論に達します。やはり憎しみの連鎖を断ち切ることはできないのでしょうか?
第26話(最終回)「魂の軌跡」では結局、閻魔あいが今後も地獄送りをこなすことになりました。あいは相変わらず淡々と地獄送りをこなしていましたが、その心中には相当な苦痛が溜まっているでしょう。終わることのない苦行を負うあい。人々が恨みの感情を捨てない限り、その苦行が終わることはありません。即ち、世の中から恨みの感情がなくならない限り、閻魔あいが成仏することはできず、『地獄少女』という番組も続くのです……。

※画像は地獄少女 宵伽公式ページのスクリーンショットです。

(コートク)

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